Belle Epoque

美しい空間と、美しい時間

うれしそうな顔をしたい

2019-01-15 | Kyoto sneakers since 2008
こないだの日曜は、初めての初釜でした。きものでお点前だって初めて。(なんとお当番に。。)
先生の御宅で、お弟子さんが勢ぞろいしました。
きっと京都ではこうだろうとかつてわたしが勝手に予想していたような「イケズな目」には、誰も遭わない、
いや遭わせない。
という先生お二人の心が行き渡り、今日も、誰もが幸福な気持ちになれる素晴らしい会でした。
良い空間というのは、悪い言葉や態度を寄せ付けない毅然とした「強さ」の結果であると思いました。
また、そもそも誰もが成長の途上にある学びの交流会であることで、自発的な緊張を皆が持つのも、良いのだと思います。

そして、お茶歴の長い人ほどよく働く!
慣れない、重たい袋帯、つるつる滑る綸子の色無地で、ヨイショと立ち上がるのも軽やかにはいかない自分がもどかしい。
指揮は70代60代、力仕事は50代の方が中心となって、皆上等な付け下げを鮮やかにさばきながらくるくる働き回り、素敵だなあと、刺激と感銘を受けました。
炭を起こすから、手は荒れる。朝早くから働くからメイクだって最小限。
しかし皆の、髪を結い上げすうっと伸びたうなじから背すじ、毅然とした口もと、優しい微笑み、凛とした動作、
そういうものは、美容一本槍の肌よりも、精気がある美しさ。

最近、良い表情というのが、印象に残る真に美しいものだと思うようになりました。
顔立ちよりも、刻まれる表情が、魅力というものであります。
わたしは、最初お目にかかった時から、今お世話になっている70代の先生がとてもとても好きで尊敬しているのですが、表情が中でも魅力的だと思っています。嬉しそうに先生が笑うと、なぜか涙ぐみたくなるくらい感動している自分がいます。
一期一会
の真剣味を、何故だか、そのリラックスした笑顔に感じるのです。
「今しかない」
そんな声を何故か、いつも響くように耳に感じます。

何故か、何故か 、
とばかり書いていますが、見えないけれども感じる、ことの密度が、
あのたたみ何畳かの濃密な空間で五感を研ぎ澄ませてみると、実体を伴ってくるのです。


お濃茶を先輩が練る間。
湯気が幻のようにお釜とお正客を包む時。
空間が連帯感に満ち、ぐんぐんと沈黙が透明ながら湯気のかたちに力強く踊り、この目が眩むような、みっちりした幸福感は一体!何だろうと思いました。
先生の静かな微笑が錨のように空間を落ち着かせそこにありました。


この日のために先生が見たたてくださった七宝模様の色無地、一つ縫紋。夫からの誕生日祝いとしてお仕立て。
袋帯は母方の祖母のもの。


わたし自身を振り返ると、昨年夏あたりから、急に写真にうつる顔が、浮かない表情になって老け込んできました。
ずらーと年代別に並べてみると、ああ2017年夏のあの辺りから。と、わかるのです(~_~;)
日常はたしかに忙しいですが、何か解決できない不安があるわけでも、心配事があるわけでもありません。
むしろ歯車がキチンと回って、安定している感じです。スキンケアにも悩みはなく、肌ツヤも悪くない。
しかし日常に安穏と甘んじるあまり、「こうしたい」「あんなことしたい」という湧き上がるサービス精神やアイデアが、かつてのようには湧いてこなくなっていました。
こうなると人間覇気がなくなり、顔にそれが出るのだなあと思いました。
一つ歳上の夫は、いつも新しいことを考えているので、ぜんぜん老け込みません。
「こうしたい!」が自発的にあるから、人は達成感で嬉しそうになるのだ。

今年は、表情をわかがえらせたいなあと思います。



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