山形弦楽四重奏団 第52回定期演奏会を無事に終える事が出来ました。梅雨の合間に暑気がぶり返した一日でしたが、夕方には涼しい風も吹き多くのお客様が文翔館までいらしてくださいました。心より御礼申し上げます。ありがとうございました!!
今回、紺野陽吉の弦楽二重奏を、白鷹での故郷初演そして酒田での再演に続き、山形でもお披露目出来た事を嬉しく思います。世にたった三つだけ遺された紺野陽吉の作品たちは、彼が太平洋戦争の最中、出征を目前に控えかろうじて作品を清瀬保二に託し、それが清瀬氏の死後遺品の中から発見され、その後多くの人々の努力によって現代に芽吹きました。その経緯は、私が幼少の頃より祖父から何度も聞かされていた「大賀ハス」の話を思い起こさせます。千葉の地下数メートルの泥炭の中で約2000年の時を過ごした後に発掘され、現代に発芽したというハスの話です。ハスの種子の様に清瀬氏の手元で多くの楽譜たちとともに大切に保護され時を越え、そして現在に芽吹き甦った紺野陽吉の作品たち。それらを枯らさずにこれからも大切に育んでゆく事ができたならば、それは山形にとって素敵な文化的財産のひとつになる事でしょう。そして作品を生かし続けるためにこれからも再演をする事が、演奏家としての紺野にしてあげる弔いだと思っております。機会が巡り会わせれば、また再演をしてまいります。
今回、紺野陽吉の弦楽二重奏を、白鷹での故郷初演そして酒田での再演に続き、山形でもお披露目出来た事を嬉しく思います。世にたった三つだけ遺された紺野陽吉の作品たちは、彼が太平洋戦争の最中、出征を目前に控えかろうじて作品を清瀬保二に託し、それが清瀬氏の死後遺品の中から発見され、その後多くの人々の努力によって現代に芽吹きました。その経緯は、私が幼少の頃より祖父から何度も聞かされていた「大賀ハス」の話を思い起こさせます。千葉の地下数メートルの泥炭の中で約2000年の時を過ごした後に発掘され、現代に発芽したというハスの話です。ハスの種子の様に清瀬氏の手元で多くの楽譜たちとともに大切に保護され時を越え、そして現在に芽吹き甦った紺野陽吉の作品たち。それらを枯らさずにこれからも大切に育んでゆく事ができたならば、それは山形にとって素敵な文化的財産のひとつになる事でしょう。そして作品を生かし続けるためにこれからも再演をする事が、演奏家としての紺野にしてあげる弔いだと思っております。機会が巡り会わせれば、また再演をしてまいります。