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名も無きねこに

メモ 『存在と無』 読んだほうがいいんだろか

2007-12-02 02:07:10 | わたし
サルトルの『存在と無』が文庫で出たらしい。

『存在と無(1)』J.P.サルトル 松浪信三郎訳 ちくま学芸文庫 2007

学生時分は「実存哲学の人」と十把一絡げにし目もくれなかった。
まったく頭の悪い学生だった。

うつ病のせいか、それとも生活環境の変化か、
ひょっとしたら自分の抱えている問題に、
そっち方面から処方箋があたえられるのではないかなんて、
最近は思ったりもする。
大江健三郎も好きだったけれど、彼にはまっていた時期から数年を経て、
初めて『嘔吐』を読んでみたら、
なんだか鋭利な剃刀を持った男に決断をせまられているような、
切迫感があった。
わたしには大江よりアクチュアルだったのだろう。
時々自分を「蟹」と想像しながら人ごみを歩く癖がついたのは、
あの本のせいだ。

自分の問題意識を言語化する技術・訓練が不足している。
問題意識といえるほど、意識化できていない。
言語化できず消えてしまう前に、メモとして書き止めておく。


どうしても特殊な地点としての私
(他人との間の小さなズレをまとめたかたまりにすぎない部分を越えた、「どうしようもないもの」)
生、死が、刻印されて、宿命づけられている
呪われた、もしくは、祝福された地点(方向の違い)
生死に限定されている<にもかかわらず>、(予期という行動様式上)生死の無きものとして<越えながら?>行為する

「死ね」と同質の「生きろ」という命令法
可能か?
存在の問題か?


あんまり本を買ってもインテリアが増えるばかりだけれど、
文庫化を機に読んでみたほうがいいかな。

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