Syl.Com.

名も無きねこに

『幼年期の終り』 読了

2008-04-30 21:26:43 | わたし
クラークの『幼年期の終り』を読み終えた。
哲学的SFかどうかは分からないが、いろんな点で面白い本だった。
類として行き詰まった種族と未来のある種族の対比はとても印象深かったし、
別の宇宙の様子も想像力を働かせるような描写で、
50年代に書かれた古めかしさなど全くといっていいほど感じない。
名作といわれるのも納得できた。

以前は欲しい本は買ってしまっていたから、
図書館に通って一冊の本を読むのははじめての経験だった。
途中にある公園の木々の緑も眼に鮮やかで、歩いていて気分がいい。
鬱の程度にもよるだろうけど、散歩も効果のある療法だと思えるようになってきた。

今日で図書館通いは六日目。
脚も鍛えられて、50分の道のりは苦にならなくなった。
一冊読み終えたのを機に、明日からは隣の市の図書館に足を伸ばしてみよう。

職に就かず、市場経済に生産者として参加していないのは、まだ後ろめたく感じる。
はやく社会に復帰して恩返ししたい思いは強い。
けれど焦って失敗するのは良くないと前のドクターに言われた。
短期的な視野で考えてばかりいて、今のわたしになってしまったのだから、
同じ失敗をしないためには思考法を変えていかなければならない。
回り道に見えても、いまは歩いて体力作りに専念しよう。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

道から外れた 道を切り拓けるか?

2008-04-22 23:00:14 | わたし
学習意欲がなくなって、フランス語からだいぶ離れてしまっている。
鬱の症状が良くなったのか悪くなったのか、
早く社会に戻らなければという気持ちが強くなって、
それどころではなくなってしまったのだ。

仕事を探すにしても、この年になって職歴も無しとなると、
頭を下げて回って何とか単純労働の口をもらうか、
でなければ以前のように派遣で翻訳をしていくくらいしか選択肢は思い浮かばない。

翻訳者としても腕前は三流なので、先行きのことを考えると無職でいる間に
必死に勉強して、あちこち積極的にトライアルを受けていかなければならないが、
今のアタマでそこまでできるかと考えると、足を踏み出せない。

これまでやってきたことを考えると、才能の無さをカバーするくらいに
腕を磨くしかないだろうか。
英語力ががた落ちしているから、そこから修理することになる。
英語を勉強しようか。

どんな手を打つにせよ体力が最初の資本になる。

まずは体力作りということで、図書館まで50分の道のりを歩いた。
結構な運動だ。

昼下がりの図書館は空調も聞いていて、
外から差す陽射しもカーテンで和らげられ、別世界の静けさだ。
クラークの『幼年期の終りに』(池田真紀子訳 東京 光文社 2007)に軽く目を通した。
書店で見かけたときは「哲学的SF」とか銘打たれていた気がするけど、
まだ50ページ読んだだけでは分からない。

明日も図書館に行くつもりだが、たまには翻訳について書かれている本でも読んでみよう。
これまで曲がりなりにも翻訳でお金を貰っていて、
その手の本に目を通していなかったのは、全く恥ずかしい。
再スタートだ。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

主治医が変わって

2008-04-06 00:21:58 | わたし
新しい主治医と会うのに三時間半も待った。
病院の混み方もすごかったが、それよりも午後は医師が一人しかいないので
全部の患者を診るのに時間がかかるのだ。仕方ない。

担当が替わって初めての診察だから一人一人病歴とか
聞いて忙しいのかと思っていたけれど、
わたしの番になってみると病状を聞いて出す薬の確認だけで
診察が終わりそうになった。

いや、まあ医師がやる仕事はそれだからいいんだけど。

ビルの屋上でコーラを飲んでいるとちょっと飛び降りてみたくなるとか
そんな考えが出てきてしまうと話しても、処方薬の種類や量の見直しとか
全く触れずに置かれたので、少し心配になった。
実際のところ強い衝動ではないので、今の薬で治められる範囲なのか。

職探しのことで少し相談があると話を振ってみたら、
やはりいきなりフルタイムの仕事に復帰するのは無謀らしい。
できたらバイトか何かで体をならして、とのことだけど、
こちらの都合にあわせて雇ってくれるところはそうそうない。
仕事がもらえるだけでありがたいという立場なので、
リハビリ的なバイトを探すのは困難さより心苦しさが先立つ。
とはいえ、リハビリ期間を経ないでフルタイムジョブに直行は危険すぎる。
ここは慎重にいかしないと。

帰り道、自宅近くの大型古書店で
クラークの『幼年期の終わりに』(早川SF)を見つけた。
定価700円が400円、そんなに安くない。
この値段だったら、最近光文社から発行された新訳を買う方がよさそうに思える。
もともとSFはそれほど読まないけど、
光文社の古典新訳シリーズで発刊されていたから気になっていた。
特にディーノ・ブッツァーティの翻訳には、入院生活中ずいぶんと支えられた。
新刊のラインナップには注目している。
『幼年期』は地元の図書館にも置いているようだ。
明日明後日あたり読みに行ってみるか。

今日の分は次のとおり。
まいにちフランス語:15分
アンコールフランス語:20分
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

一歩前に踏み出すまでに

2008-04-05 02:28:39 | わたし
昨日に引き続き、某大手サイトで精神病関連の掲示板を読んでいた。
健常者にとってもそうだけれど、精神病患者にとっても、職探しは深刻な問題だ。
無理な職場に入ってしまうと、せっかく安定していた症状がぶり返して、
また治療に専念しなければならなくなる。
わたしも昨年は二度ほど失敗して、病状を悪くしてしまった。

楽そうな仕事などあるはずも無い。それは甘い考えだというのは理解している。
しかし失敗を繰り返せば繰り返すほど、仕事探しで自分の首を締めることになる。
どうにか自分の病状を悪化させない方法で、悪循環を止めないといけない。

これまで自分のやってきたことからすれば、翻訳関連に戻るのが順当なのだろうが、
神経を使う仕事にはもう耐えられそうに無い。
単純作業の仕事を地道に探して、長く使ってもらえそうなところが見つかれば、
それがいいんだろうか。

わからない。

ひと月前は、寝たきりで出来るだけ眠剤を飲んで
意識の無い状態を保とうとしていたけれど、こうした現実問題に目が行き始めたのは、
病状が快方に向かっているのだと思う。フランス語から足が遠ざかっているのも、
その兆候だろう。

ただ、こうした状況では判断ミスをするから、焦らないで短期の仕事で
小さな目標を立てて、それを達成していくのが大事だと、前任の主治医に言われた。
年齢的に非常に厳しいが、単発の仕事を見つけて挑戦してみるのがいいのだろう。

うつ病はとかく自分の失敗ばかりを考えてしまうので、小さな目標でも
一つずつ達成して、成功体験を自分に覚えさせる必要がある。

もう少し体力作りをして、小さな一歩を踏み出せるようになりたい。

今日の分は次のとおり。
まいにちフランス語:15分
アンコールフランス語:20分
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

人頭税について 雑感

2008-04-04 02:57:31 | わたし
『経済ってそういうことだったのか会議』の人頭税の話にはまだ納得がいかない。
租税の三要件、簡素性・公平性・中立性を満たせるのが人頭税だというのだが、
公平性の議論はどうかなと思う。

「がんばる人(=マーケットで価値を生み出している人)ほど損をする税制は理不尽だ」
と竹中平蔵は言う。
稼いでいる人からは取れるだけ取ってなんて、
納税者としての立場からすればバカらしくなるような「財の再分配」は
公平ではないと主張している。

例としてこんな話がある。(『フェアプレイの経済学』からの引用)
100個おもちゃを持っている子供が遊んでいるところを見て、
他の子供の親は我が子がおもちゃを1個しか持っていないからといって
「あんなに持っているんだからとってきちゃっていい」と言いはしない。
言うとしたらそれはおかしい。
多く持っているという理由だけで持ち物を取り上げて、
少ししか持たない者へ分配するのはフェアではないのだ。

また、国からサービスを提供されている身として応益分を負担すると考えるのなら、
皆が同じ額を納めるのが公平だともいう。
例えば国の防衛のような公共のサービスは、個々人が選択して享受するものではない。
「うちはお金払わないから守ってくれなくていいよ」という
主張そのものができないのだ。
だから誰にでも同じ金額を課す人頭税こそ公平という話になる。

しかし、納税義務について一点留保がある。
さすがに、0歳児から死ぬ直前の人間にいたるまで納税させるのは無理なので、
「納税者の年齢は考慮に入れるべき」との発言がある。
実際に人頭税が導入されるのなら、確かに考慮しなければならないことだろう。

ところがその場合、公平性は保証されるか。
応益的負担としての公平性を保つには、
国民は皆すべからく納税すべきだということになるはずだ。
国防の例で言えば、納税年齢を制限することは、
守ってもらっているにも関わらず代金を支払わない(支払えない)人の
存在を認めることになる。
仮に、子供やお年よりの分は払わなくてもいいですよということになれば、
子供が沢山いて、お年寄りを抱えている一家は、
他の納税者の負担に乗っかる分が大きくなる。
フェアでないといって退けたはずの「財の再分配」は、
限定的であるにせよ、認められることになる。

また、所得に占める税の割合も納税者によって異なる。
年収200万の人の納める20万と、年収2000万の人の納める20万とでは、
負担率が大きく違う。
おもちゃの例で言えば、おもちゃを持て余している子供がいる一方で、
一つしかないものを取り上げられる子供も出てくる。
一律同額、なるほどそれは公平だろう。
しかし、「働くことがバカらしくならないような税制」への解答のはずなのに、
持てるもの全てとまでは言わないが、
ごっそりと奪われかねない可能性もあるようでは、
なんのための公平性だか分からなくなりはしないか。

あくまで公平性を尊重して、納税者の年齢制限を行わなかったとしたらどうか。
高収入の人は何も心配することなく結婚して子供を作ることができるだろうが、
収入の低い人は、子供の分の負担を考えるとなかなかそうもいかない。
だとすれば、極端な話、別の税制の外国に人が流出して、
国の競争力が低下することも考えられる。

財の再分配は、市場人から見た場合公平ではないと言える。
自分でプレイしたスコアを勝手に持っていかれるのだ。面白くなかろう。
しかし、厳密に公平性を追求すれば国力の低下を招く恐れがある。
とはいえ公平性のたがを緩めることは、人頭税の存在意義の一部を失うことになる。

本当に人頭税が理想の税制なのか、疑問が残る。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

少し前向き

2008-04-04 01:26:14 | わたし
Easy French Readerを読もうとして、その前に某大手掲示板で
精神病関連の話題を読んでいたらこんな時間になってしまった。

苦しい思いをしている人が大勢いるのが分かった。
わたしはまだ良いほうなのかもしれない。
社会復帰は困難だし、復帰できても生きていくのは大変だけど、
生きていさえすれば何とかなると最近思うようになってきた。

今日の分は次のとおり。
まいにちフランス語:15分
アンコールフランス語講座:20分
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

少し慣らし

2008-04-01 21:59:35 | わたし
またもやフランス語をサボっていた。
せっかく10月から続けていたNHKのラジオ講座も、
最後の一週間は聞かずに終わってしまった。
完走できなかったのが悔やまれる。

昨日から始まった「まいにちフランス語」と
「アンコールフランス語講座」は、どちらも入門編の内容が重なっている。
「まいにち」の方が従来の入門編よりも敷居が低いようだけれど、
発音については十分時間を取って練習させてくれそうだ。
鼻母音は未だによく発音できないので、ちょうどいい練習になるだろう。

仏検の準備もするべきだろうけど、秋の試験までまだ大分あるし、
もう少し慣らし運転をしてから取り掛かろう。

今日の分は次のとおり。
まいにちフランス語:15分
アンコールフランス語講座:20分
コメント (3)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする