日々徒然

日々旅にして旅を住処と・・・
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ほてほてのんびり歩きましょう。

フィレンツェ-メディチ家

2005-10-06 22:15:53 | 伊太利亜
シニョーリア広場の裏道にあるお店でお昼ご飯を食べた後、ポンテ・ヴェッキオを渡ってみました。

ポンテ・ヴェッキオ(=古い橋)は、アルノ河にかかる橋で、橋の上にはたくさんのお店が連なっています。
貴金属が中心で、どのお店もきらきらと黄金のアクセサリーがたくさん飾ってあります。いくつかのお店をのぞいてみると(あくまでも外から)、お客様がじっくりと購入交渉?している姿がありました。

ポンテ・ヴェッキオのお店は今でこそ貴金属が中心ですが、15世紀には食材、それも肉類の販売が中心だったそう。
切り取った余分なモノは、そのまま河にドボンと捨て、そのためにアルノ河はいつも臭っていたのだとか。
今もいい香りとはいえませんけど、昔はすごい匂いだったのでしょうね~。

貴金属のお店に変わったきっかけは、メディチ家が、手狭になったヴェッキオ宮から対岸のピッティ宮に引っ越すにあたり、この2つの宮殿を結ぶ回廊を作ろうとしたものの、河があまりに臭う。だったら、橋の上の肉屋を立ち退かせ、貴金属の店に変えよう、と変えさせたのが原因と言われているのだそう。
また、金額の高い金銀細工の店から上前をはねるためだったとも言われてますが、どっちも本当の理由だったんじゃないでしょうか。

さて、渡ってみた後は、新しいメディチの宮殿、ピッティ宮に向かいます。

ピッティ宮の前に広がる広場。「これがメディチの宮殿?」というくらい、妙に閑散とした感じを受けるのですが、この何もない広場には、もともとは噴水のようなものが作られていたようです。

この宮は、もともとは15世紀に商人のルカ・ピッテイがブルネレスキに依頼して建てたものですが、後にメディチ家が買い取り、その後何度か改築を重ねたのだそう。ルネッサンス様式の建築です。

今、ピッティ宮は、ラファエロの作品がいくつか入っているパラティーナ美術館、メディチ家の宝物を展示している銀器博物館や近代博物館が入っています。また、イタリア式庭園であるボボーリ庭園もあります。

そもそも美術館や博物館が併設されているなんて全く知らずに、思いつきで「メディチの宮殿を見たい!」というだけで訪れたため、まず、中に入るためにチケットを購入しようとした時点でいくつも料金設定があることに「??」
人の様子を見つつ、何とか入ってみました。。。

中では、パラティーナ美術館を中心に見たのですが、無知な私たちは、見終わった後「で、結局ラファエロの作品ってどのくらいあったっけ?」「うーん、今いちよく・・・」などと、行った甲斐のない会話を交わす始末。

教訓。事前準備はしましょう。


次にはメディチ家一族の眠る、サン・ロレンツォ教会に向かいました。

この教会もブルネレスキ作です。1460年に着工されたものの、途中ブルネレスキが亡くなったため工事が中断し、ファザードは未完成のまま、レンガが積んである状態です。
とはいえ、写真のとおり、修復工事中だったので、まるでその一環のよう。

教会内部の説教壇はドナテッロが製作、左翼廊の旧聖具室はブルネレスキとドナテッロの二人によって建てられたそうです。

教会の裏手にはロレンツォ2世の墓になっているメディチ家礼拝堂があり、そこの新聖具室はミケランジェロが設計したのだそうです。ここには、ミケランジェロ作の「曙」「黄昏」「昼」「夜」の4つの像がありました。

礼拝堂だからなんでしょう、装飾はすっきりしていて、余分なものがなく、上品な感じです。床もモノトーン。

ブルネレスキは、フィレンツェの名門に生まれた、フィレンツェの代表的な建築家兼彫刻家。ルネサンス建築の創始者ともいわれてます。
ちょっと調べてみると、実際、フィレンツェの街は彼の作品で一杯。
彼の手がけたものをちょっと挙げてみますと・・・
 ■サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂(ドゥオモ)のクーポラ
 □サン・ロレンツォ教会
 ■サント・スピリト教会
 □サンティッシマ・アンヌンツィアータ広場
 ■ピッティ宮殿   など
だそうです。すごーい。。

ブログを書くために調べていたら、彼のお墓は、ドゥオモの地下にあることを知りました。
今度行くときは、ウフィツィ美術館だけじゃなく、ブルネレスキ建築めぐり&お墓参りもしなくては。
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いちおう”フィレンツェ-メディチ家”と銘打って、メディチゆかりの散策として今日のブログを書いてみました。が、実際のところ、フィレンツェの街を歩くとメディチにゆかりのものにぶつかることが多いものです。
とはいえ、初めてのフィレンツェの割に、私たちはマイナー路線を選んだらしく、ピッティ宮やサン・ロレンツォ教会では、日本人に出会うことが少なかったのは事実。。
ですがこのあとはメジャー路線に立ち返り、ドゥオモのクーポラに登りにいくのでした。

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