日々徒然

日々旅にして旅を住処と・・・
できるほどの金も時間もないけれど、お散歩も旅。
ほてほてのんびり歩きましょう。

ヘルシンキ大聖堂

2004-12-12 17:58:25 | 北欧紀行
北欧最後の観光は、ヘルシンキ大聖堂。

青い空をバックに、蒼いドームに白亜の大聖堂がとても美しい。
ヘルシンキの市の主教会として、今も使われているのだそう。

建物の中も、白くて明るくて、とてもきれい。

大聖堂を見学した後、大階段を下りて目の前の元老院広場の向かいにある、日本人向けお土産屋さんでお土産を買い込んだのに、さらに空港でも買い物をして、一路日本へ。楽しい北欧の旅でした。

シベリウスの顔

2004-12-11 18:00:44 | 北欧紀行

そして、シベリウス公園の目玉といってもよい、シベリウスの顔の彫像!

皆この顔と共に記念撮影をしているから、なかなか人が途切れることがない。
私たちも当然、合間を縫って、顔と一緒に記念撮影してきました。

デスマスクみたいでちょっと怖い。

シベリウス公園

2004-12-09 18:06:29 | 北欧紀行

次に向かったのは、シベリウス公園 Sibeliuksen Puisto。
作曲家ジャン・シベリウスを記念して作られた公園です。

シベリウスといえば、交響詩「フィンランディア」が有名!
この曲が作られたのは、当時のロシア皇帝ニコライ2世によりフィンランドは自治権を取り上げられ、民衆はロシア軍の傍若無人な圧力に日々苦しんでいた時代。
そんなフィンランディアの人々にとって、この交響詩は、ロシアの圧政や検閲に対する抵抗、抗議運動のシンボルにもなり、フィンランディア国民の独立心が鼓舞されたのだそう。誇りの象徴なんですね。

奥にある彫刻は、女性彫刻家エイラ・ヒルトゥネンが作った記念碑で、ステンレスパイプを組み合わせたもの。パイプオルガンみたい。

テンペリアウキオ教会

2004-12-08 18:10:48 | 北欧紀行

次に行ったのは、テンペリアウキオ教会。

この教会は、1931年、1936年の設計コンクールを経て、1961年にティモ・スオマライネンとトゥオモ・スオマライネンという兄弟によって設計され、1969年に建堂されたのだそう。
本によると、テンペリアウキオという名前は、土地の名前が由来ということ。でも、ここの土地ってなんて名前なのだろう?

自然の岩場を掘り下げて造られた教会で、外壁は切断された岩になっている。内側の壁は、音響効果や美的感覚を考えて、岩盤を処理せずそのままの状態にして作ってあるのだそう。だから、岩屋の中に入ったような雰囲気。このパイプオルガンも、とてもよく響くのだろう、と思うと、聴けなかったのが心残り。
天井はドームになっていて、ドームと壁の岩の間に180の窓ガラスがはめ込まれて、自然光が取り込めるようになっていて、響くような明りがはいってくる。教会席は白樺。

星の天井

2004-12-07 18:14:02 | 北欧紀行

ウスペンスキ寺院は、13の黄金色に輝くクーポラを持っている。そして素敵なのは内部の天井の頂と聖壇の天井は、星できらめく空を表しているかのように、蒼く装飾されていること。

ウスペンスキ寺院のほかの見所は、聖画壁と教会堂の3つの壁。キリスト、乙女マリア、殉教者などを表すイコンが掛けられている。

ところで、昨日、この寺院はギリシア正教会と書いたけど、本によってはギリシャ正教会となっていたり、ロシア正教会と書いてあることもある。どっちが本当なのだろう?

ウスペンスキ寺院 

2004-12-02 19:30:58 | 北欧紀行

夜が明け、無事ヘルシンキHelsinki に到着。とうとう北欧最後の日です。

船から下りてまず、港付近でやっている朝市へ。食べ物のほかにも、日用品もあります。北欧らしいな、と思うのは、多分デザイナーの卵であろう人たちが自分たちで作ったアクセサリーや、お皿などの日用品を売っていること。買わなかったけど、見てるだけで楽しい♪

次に向かったのはウスペンスキ寺院 Uspenskin Katedraali。
19世紀には帝政ロシアの統治下にあったときに建てられたもの。ロシア人建築家ゴルノスタイッフの設計で、1868年に完成したビザンチン・スラブ様式のレンガ教会を代表するものである、ギリシア正教会なんだそう。ロシア正教会じゃないの?
「永遠に眠る乙女マリア」に献堂されたものだそう。聖母マリア様、ではないの?

ヘルシンキHelsinki は、フィンランドの首都。緑豊かな森や、美しい海岸線に彩られ、それゆえ「バルト海の乙女」の愛称を与えられてる美しい町です。約450年の歴史をもつ町ですが、一度、大火のため街の大半を焼失。その後(1840年)ネオクラシック様式の近代都市へと生まれ変わったんだそう。

シリヤ・ラインの舟旅

2004-12-01 19:36:30 | 北欧紀行

スウェーデン ストックホルムに別れを告げ、フィンランド ヘルシンキへと出発です。

スウェーデン-フィンランドをつなぐ船としては、バイキングラインが有名。国際船なので、船の中に免税店もあるし、バーやカジノもあったりする、豪華客船ホテルというイメージでいたけれど、私たちが乗ったのはシリヤラインSilja Line。船で1泊してフィンランドに向かいます。

シリヤラインも、バイキングラインと同様、ストックホルム-ヘルシンキをつなぐ船。もちろん免税店もあります。でも、日本人ツアーが想像するバイキングラインに比べたら、かなり庶民的な船。客室も、上から下まで、レベルがあります。私たちはかなり下のレベルの部屋に宿泊。

北欧は物価が高い。何カ国か旅行してるけど、日本より物価の高い国に来たのは初めて。税金が高いせいなんだろうけど、これが本当にきちんと福祉に使われているとわかっているので、皆納得してるんですよね。

にもかかわらず、今回のツアー、本当に安かったんです。ホテルも、水の出がいまいちとか、水はけが悪くてバスルームが水浸し、なんてこともあったけれど、総じてまずまずオッケーだったし、食事も結構美味しかったし、どこで調整しているの?と思ってましたが、船のレベルとかだったか~というわけで、文句は言えません。

もちろん、船の中では免税店での買い物に。現地の人たちも、免税店で買い物をしたいがゆえに、このシリヤラインに乗り込む人もたくさん。安い買い物したいのだから、豪華客船に乗る必要はないってことなのですね。


最も狭い路地

2004-11-30 19:39:51 | 北欧紀行

ちょっとタイトルに語弊があります。

本によると「石畳の道が残る街で最も狭い路地」が、ここ、ストックホルムのガムラ・スタン(古い町、旧市街)にある、モーテン・トリチグス・グレン通りMarten Trozigsgra:nd なのだそう。

ガムラ・スタンGamla Stan は、曲がりくねった細い道や、石畳の道が残る街。本当に、名前の通り、ストックホルムの中心にある最も古い地区であり、中世の面影がそのまま残されているところ。

ガイドさんについていきながら、少し昔の建物などを見学。どこを見学したのか忘れましたが、「この中庭は昔汚物垂れ流しで臭かったのよ~」なんていわれると、その場に立っていたくなくなったり。

スウェーデン王宮

2004-11-29 19:46:09 | 北欧紀行

スウェーデン王宮。ガムラ・スタンと呼ばれる、ストックホルム旧市街に建っています。
衛兵の交代式が見所らしいけど、今回見られず。
王宮前の広場には、結構たくさんの人がいました。

こちらは今は国王一家はお住まいになられていません。先に書いたとおり、郊外のドロットニングホルム宮殿に住んでいらっしゃるのだそう。街中より環境いいですものね。

けれど、この王宮は執務にはきちんと使われているのだそう。
中も見学できるらしいです。「らしい」というのは、今回は素通りしただけだから。

市庁舎裏庭

2004-11-27 19:50:04 | 北欧紀行

市庁舎の見学を終えて、市庁舎の裏庭に出てきました。目の前に広がるのはメーラレン湖。
北欧の短い夏を楽しんで、皆ほとんど上半身裸になって日光を浴びてます。

とっても気持ちよくて、空いたベンチを見つけて、時間の許す限りゆっくり座ってました。

北欧の夏は、昼がとても長い。9時過ぎに歩いていても、夕方みたい。そのかわり、冬は午前10時過ぎにないと明るくならないし、午後2時過ぎには暗くなっていく。だから3時過ぎからはほとんど誰も外出しないのだとか。それじゃ、生活しづらいだろうから、多分少しは出歩いてるんだろう・・・と思うのだけど、日本人的発想なのかも。

長い冬を楽しく快適に過ごすために、北欧のおうちってカラフルでデザインが凝ってるのだなあ。日本の北国って、冬を耐えて乗り切る、ってイメージなんだけど、長い冬なんだから、家の中を快適に明るく楽しく過ごしましょうという、人生を楽しむほうがやっぱり前向きでいいな、と思います。