日々徒然

日々旅にして旅を住処と・・・
できるほどの金も時間もないけれど、お散歩も旅。
ほてほてのんびり歩きましょう。

ローマ-カフェグレコ

2007-02-09 22:06:47 | 伊太利亜
余りに久しぶりの更新です。
伊太利紀行もいい加減にしなさい、というところまできてしまったので、伊太利亜紀行最終日のお話をちょっと。

最後の日は、午前の半日だけローマで過ごして帰国の予定。
自由行動だったのですが、添乗員さんがとってもいい人で、希望者を募って、観光につれてってくれました!

確か月曜日だったのかな?ちょっと朝早めの出発。集まったのは5-6人だったかなあ?
皆で地下鉄に乗って、真実の口までお出かけしました。
その後歩きながら、一昨日に見たフォロロマーノ、コロッセオのそばを通ったけど、平日の朝だったから、土曜日の昼に観光したときと全然雰囲気が違いました。
お休みの賑わいもいいけど、旅先の平日って、その国の普段の表情が見れる感じで好きなのです。

ちょっとのんびり、ローマの松が街路樹になっている坂を登ったり。
気持ちのいいお散歩でした。

その後はスペイン広場のほうに戻り、かの有名なカフェ・グレコへ。
このカフェは、ゲーテやショパン、バイロン等、当時の詩人や音楽家、画家などの芸術家が好んで通ったという名店です。

私たちじゃこのお店の格に失礼かな、と思いながら、ちょっとだけお邪魔します、という気持ちで入りました。

頼んだのが写真のもの。チョコケーキとココアです。
チョコレートが有名みたいで。ココアを芸術家が好んでいたと聞いたのかな?
だから私はココアを頼みました。
チョコレートは同行のほかの人の。食べかけのときに気づいて撮ったのでちょっと欠けてます。

入口ではお持ち帰りのチョコレートやケーキなども売っていたので、お土産にチョコレートを購入。
素敵でした、カフェグレコ。

その後は解散して、少しお散歩した後、お昼ご飯に混んでるお店に入ってパスタを食べたのだけど、、失敗。
何でイタリアでパスタで失敗しなければならないんだか・・・。
自分の勘というものはつくづくあてにならないと、何故か最後に悲しい思いをした、イタリア紀行なのでした。
(最後はこんなか・・・)


今日の天気はのち

アッピア街道

2006-01-11 12:03:25 | 伊太利亜
ローマで丸1日自由時間があったので、南へ日帰りバスツアーをしました。
ローマを出発してまもなく見えてきたのが、アッピア街道です。

見えてくるアッピア街道を撮ってみました。
バスの中からだから、窓は映るし、工事中のクレーン車も写ってますがお許しを。
(今、アッピア街道は修復工事中らしい)
アッピア街道といえば、今残っている昔のローマ街道でもっとも有名といえる街道。

古代ローマといえば、インフラ事業に力を入れていたことがよく知られてます。

もちろん、道路整備は最も重要なインフラ事業の一つで、物資輸送や軍団の移動、政治にも便利なように、征服した地とローマの間にはすぐに街道が敷かれていたわけです。
それが「すべての道はローマに通ず」の語源になっているのです。

重要な道だから、できるだけ直線になるよう、橋をかけ、トンネルを掘り、水はけまでも完備された平坦な石畳を敷いた舗装道路になっていたそう。

このアッピア街道は、紀元前312年当時の財務官アッピウスによって敷設されたので、その名前をとってアッピア街道と名づけられてます。
こういったインフラには、女性名にして名前をつけることが一般的だったよう。

そのアッピア街道を横切る、と聞いて、一人興奮してしまいました。

バスで通るだけで、街道を歩けるわけじゃないのが、非常に残念なのですが、これも次回の目的として楽しみにしておこう。(あと何回ローマに来るつもりなんだ、私・・・)


そしていよいよ通過。

走ってるバスから一瞬を写したものなので、ぶれぶれなのもご容赦下さい。

でも、アッピア街道ってたしか、本当は、もっと広い通りの筈なんだけど・・・。
石畳で舗装されてるようにも見えないし・・・。おかしいな。

場所によるのか、ガイドさんの言葉を聞き間違えたのか・・・。

とにかく、これがアッピア街道だと聞いたので、そう信じています。
本当にこれがそうなのかどうかは、次回リベンジのときに確認することにします。

(だから、本当にこんなところ歩くだけの時間を持ってローマに来れるのか、私!?)

今日の天気は
昨日は一瞬も降ったらしいけど、つもりもしませんでした。日本列島全体が雪で大変なときなのに。恵まれてます。

スペイン広場で結婚記念撮影

2005-12-16 14:26:44 | 伊太利亜
あの「ローマの休日」で有名なスペイン広場は観光客とローマっ子でいつもいっぱい。

ジェラートを食べながら歩いたりはしなかったけど(直前にトレビの泉で食べちゃったから)、座り込んで写真撮ったり、上まで登って散歩してみたり。
なんて、のんびり過ごしていたら、どこからともなく、いかにもたった今結婚式をあげてきました!というカップルが2組、スペイン広場に現れました。

結婚の記念に、スペイン広場で記念撮影しにきたみたいですが、当然観光客の格好のモデルともなるわけで。一緒に混じって撮影してきました。

こういう場面に遭遇するのって、こちらまで心が浮き立つので、好き。
4人とも、とっても幸せそうで、見ているだけで幸せな気持ちになれます。

いま、この写真を改めてみてみると、階段に座ってる人たちがみんなカップルを、とてもほほえましく見つめてることに気づきました。

こういう雰囲気ってよいなあ。

今日の天気も

トレビの泉

2005-12-13 17:45:29 | 伊太利亜
トレビの泉です。
海神ネプチューンと2人のトリトーネが馬を引いている彫像がとても素敵。

泉を背にして、肩越しにコインを投げると、再びローマに訪れることが出来、2枚投げ入れると恋がかなうといわれているそう。もちろん、投げ入れてきました。

フェリーニの「甘い生活」で、夜中にこのトレビの泉に入るシーンもありましたよね。
あの映画ではとても広い広場にあるようなイメージだったのだけど、実際はそうでもない。というか、観光客が多すぎるのが原因かも。泉のふちには所狭しと多くの人が腰掛けているんだもの。
仕方ないから人越しにコインを投げ入れてきました。

写真も、一生懸命人を取らないようにしてみたんだけど、2,3人の頭が写ってますね。かえって変かも(^ ^;)。

このトレビの泉に面したとおりの角に、ジェラート屋があり、NAKATAジェラートを売っていました(2004年9月現在)。
私は他のものを選んだのだけど、食べた人によると、ストロベリージェラートらしい。
イタリア人のNAKATAのイメージって、そういう感じなんだろうか?

今日の天気も

ローマ-コロッセオ

2005-12-12 18:09:49 | 伊太利亜
そして、ローマのコロッセオ、円形競技場。

ヴェスパシアヌス帝が72年に着工、そして80年に息子ティトゥス帝により完成したのだそう。
5万人も収容できたそうです。

で、ここで剣闘士同士、あるいは剣闘士と野獣の闘いが、見世物として行われていたわけですね。ローマっ子の娯楽だったというから。

剣闘士の勝敗が決まったとき、敗者を生かしておくか死なせるか、は、親指の向きで決まったらしい。
親指を上に向けると「生かす」、下に向けると「死なせる」という意味だったとか。
そして今でも、前者は「Good!」だし、後者はブーイングの意味をもって生きてるんですね。こんなことにまでローマの習慣が残っているとは、すごい。

コロッセオは化粧石(大理石?)で覆われていたらしい。けれど、エジプトのピラミッドと同様、後の建設のために勝手にはがされて持ってかれてしまったのだとか。
地面にある黄色い線が、本来のコロッセオの大きさなのだそうです。この写真だとわかりにくいけど。

時間がなくて、中に入っていないんです。
そして、フォロ・ロマーノにも入ってない。入りたかったのに(;_;)。
いずれ、リベンジするぞ!(また来る気なのか、というつっこみはナシで。)

今日の天気は。昨日から一段と寒くなりました。

コンスタンティヌス帝の凱旋門

2005-12-09 15:53:41 | 伊太利亜
さてバチカンを出発し、ローマのコロッセオやフォロ・ロマーノ、コンスタンティヌス帝の凱旋門があるところにやってきました。

もともと凱旋門って、名前の通り本当に勝利者である将軍が凱旋して戻ってくるときに通るために作られた門なわけです。

しかも、凱旋門って、そのときの将軍を讃えるために、そのたびに作られたもの。だから勝ったからといって、誰もが作ってもらえるわけじゃなく(そんなことしてたら大変)、凱旋門を通って祝うほどの戦功を挙げた人だけに捧げられる、本当に名誉なものだったんですねぇ。

で、これはコンスタンティヌス帝のための凱旋門(A.D.312-315)。現在残ってるものの中で最大のものなのだそうです。
この凱旋門は、あちこちの記念建造物から流用して作られているらしい。
でも、そんな風には到底思えない。立派ですよね。すごーい。
(あれ?カエサルやアウグストゥス帝の凱旋門も作られたんでしたっけ?)

この凱旋門のすぐ近くにある、フォロ・ロマーノにも、ティトゥス帝の凱旋門がありますです。

[おまけ]
でも、今はただ「凱旋門」といったら、パリのシャルル・ド・ゴール広場にあるエトワール凱旋門を指すくらい、パリの凱旋門が有名ですよね。 (コレ→)

これは、ナポレオン一世により着工し、1836年に完成した、パリの象徴。
壁面にはリュードが制作した義勇兵の群像「ラ・マルセイエーズ」が浮彫りにされてます。
内側の壁には、フランス軍の将軍の名前がびっしりと彫られ、足元には、フランス軍の無名戦士の墓があります。

ローマ時代の凱旋門とはちょっと意味が異なってしまってます。
まあ、コンスタンティヌス帝のものから計算しても、1500年も後のものだしね・・・。

今日の天気も。爽やかです。

聖ピエトロ大聖堂-回廊

2005-12-08 16:36:57 | 伊太利亜
サンピエトロ大聖堂前の広場を囲む回廊、キオストロ。

このキオストロは、ベルニーニ作のバロック建築だそうで、ドーリア式の円柱284本で広場を囲っています。
キオストロには屋根がついていて、屋根の上には142人の聖人の像が、バチカンを見守っているのです。

とーっても歩きたかったのだけど、時間がなくて割愛。
せめても、と思って写真を撮りました。

自分では、一人歩いている男性がなかなか良い雰囲気をかもし出していていいなあ、と思っていたのですが、周りの反応は。
「このおじさんがいなかったら、この写真いいのにねぇ」

ナゼだ・・・私のセンスが悪いのか?

今日の天気も。日々寒くなってまいりました・・・。

聖ピエトロ大聖堂-ピエタ

2005-12-07 14:13:12 | 伊太利亜
サンピエトロ大聖堂内に安置されている、有名なピエタ像。ミケランジェロの若い頃の作といわれています。

ピエタとは、十字架から降ろされたイエスを抱く母マリア、という構図で、"嘆き""哀れみ"という意味のイタリア語。

この像にまつわるエピソードを2つほど。
[エピソード1]
完成度の高さゆえ、若いミケランジェロがこんな素晴らしいものが作れるわけがない、という噂が世間に広まり、ミケランジェロが後に生涯で唯一のサインをマリアのたすきに彫り込んだ。
[エピソード2]
イエスに比べ、マリアがあまりにも若すぎると、当時の枢機卿からまで批判されたが、ミケランジェロは「罪ある人間は歳をとるが、無原罪の聖母は常人のようには歳をとらないのだ」と言ったということ。

マリアの処女性を出すには、この若さが必要だったと思いますし、確かに年取ったマリア像にすると、あまりにもイエスの母、というイメージが出すぎてしまう気がします。素人考えですが。
なんにしても、このマリアは本当に美しく、聖母の慈愛と悲哀を伝えてくれていると思います。

このピエタ像、ガラスで覆われていました。光などを反射させないガラスで、写真を撮っても大丈夫、と書いてあったのですが、結果はご覧のとおり。
どっかの窓が映ってしまいました。

でも、以前来たときは、ガラスでなんて覆われてなかったと記憶してるんだけど。
世知辛い世の中になったものです。

今日の天気は

聖ピエトロ大聖堂-天国の門

2005-12-06 18:46:27 | 伊太利亜

以前、フィレンツェのサンジョヴァンニ洗礼堂の天国の門を紹介しましたが、今回は、サン・ピエトロ大聖堂にある天国の門です。

この扉は、何年かに1度だけ開かれて、そのときにこの扉をくぐると、罪が許されるのだそう。
でも、普段はこんな風に、セメントで固められているのです。
この天国の門の鍵を持つのが、ペテロ

この扉が前回開いたのは、ミレニアム、2000年。
自分がローマに来たのは2回目だけど、1回目は1998年、2回目の今回は2004年。
う~む、なんか自分の人生、こんなのばっかり。

何年に一度開くのかを忘れてしまったので、ネット検索してみたのだけど、25年に1度と書いてあるものと、50年に1度と書いてあるものとを発見。さて、どっちでしょう?

でも、かすかに残る記憶をたどると、この扉の前で説明を聞いたとき「次回開くの待ってたらよぼよぼの老人かぁ。それより、そもそもそれまで生きてるかなあ?」と思った覚えがあるから、多分50年に1度といわれた・・・はず、です。

ところで、許される罪は、自分の犯したすべての罪?それとも原罪?どっちだったっけ?
それとももっと違うものだったっけ?

なんにしても、天国に行くことは約束されるはず。
50(?)年後、生きていたら、通りたいものです。
が、人混みを面倒くさがって、ミレニアムの年にわざわざイタリアに来ることを避けたことを思うと、多分一生この門をくぐることは・・・(> <)。

今日の天気は、朝ちょっと、そのあとは

鍋パーティ♪

2005-11-29 17:11:28 | 日々
昨日、このブログに好きな鍋のことを書いたら、とってもタイムリーに、鍋パーティのご案内メールをもらいました。わーい!

パーティーはまだ先だけど、キムチ鍋が今一番濃厚な線。
いちおうきりたんぽ鍋も推してみたけど、どうなるかなあ?

飲み逃していた、今年はすばらしい出来!といわれるボージョレヌーヴォーも用意されるらしいので、とっても楽しみです♪