蝸牛の歩み

「お話」を作ってみたくなりました。理由はそれだけです。やってみたら結構面白く、「やりたいこと」の一つになっています。

言わなければよかった・・・

2015-08-27 15:20:54 | 日記
 いまさらながらに、あんなことをしゃべらなければよかったと後悔している。あんなことをしゃべらなければ、その後の大混乱はなかったはずだから。
 私が生活している地域にはいくつかの有名な神社があって、多くの参拝者を集めている。知人を案内している時に、小さな祠が眼に入った。四方を石柱で囲ってはあるのだが、かなり傷んでいる。
 「これはどんな神様なんだ?」
 「うーん・・結構歴史は古いらしいだけれど、今はこんな状態だね。あ、でも、うちの猫が逃亡して行方不明になった時に、お賽銭を放り込んだら、帰ってきたから御利益はあるのかも」
 「でも、それって、お前の家の近くにあるっていうだけで、ここに参ったんだろ?」
 「ま、そう言われればそうなんだけどね」
 「だいたいさあ、宣伝が足りないんだよね」
 知人は広告業に従事している。でも、大手ではない。
 「宣伝って、『いらっしゃーい!』てなやつ?」
 「あ、それはもう古いのかも。『不安をあおる』って結構効き目があるんだよね。病気とか、成績とか。予備校とか塾なんてそうだし、保険会社なんかその典型だよ」
 「不安って言えばね」
 ここで止めておけばよかった。ついつい豆知識を披露してしまった。
 「六代目の円生師匠の噺のなかに、貧乏神が、『参詣なさらねばこちらからお伺いいたします』とふれたら、すごいたくさん参詣するようになったってあったなぁ」
 「あっ、それだよ、それ。それって不安をあおってるでしょ」
 それぞれ10円玉を放り込んで終わった。

 一週間経って、ポストの中に入っている郵便物とビラ類を取り出して、部屋に入ってパラパラ見ていたら、変なビラが眼に入った。
 「当方、貧乏神でございます。最近、ますます貧乏の度を加えておりますので、みなさまにご参拝をお願いいたす次第でございます」
 その下に「ご参拝のない場合は、当方よりお伺いいたし、場合によっては居座らせていただきます」となぜか、丸文字のゴシックで書いてあり、蛍光ペンで下線が引かれていた。

 次の日に、行ってみた。ものすごい数の人達がいた。道路から、細い道を入って行って10mほど登り坂を登ってたどり着けるような祠であり、参拝し終わった人たちとこれから参拝する人たちとのすれ違いも一苦労であるようだ。
 パトカーが来た。「町内会役員」という腕章を巻いた六人の人達が警官と立ち話をしていた。
 警官が、ハンドマイクを町内会の役員に渡した。役員は、あっちに行ったり、こっちに行ったりしながら概要以下のような事をしゃべった。

 これから、賽銭箱をもっと広いところに移動すること。それを基金とし、町内会の積立金、さらに、篤志家の寄付を募って、近々のうちに祠を新築すること。

 混乱はやや解消され、人の流れもスムーズになった。それでも、毎日毎日山のように人たちが押し掛け、町内会役員と警官が対応にあたっていた。NHKのニュースでも紹介されていた。

 結局、祠は移転され、お賽銭、寄付金をもとにして、立派な神社が建った。当たり前の事だけれど、「貧乏神」という名前は消え、「福の神」が祭られているという平凡な結果となった。しかし、境内の片隅に、もとの祠が鎮座しておられ、にらみを利かせている。

 その頃、夢を見た。貧相な老人が出てきて、貧乏神だと名乗り、礼をいってくれた。いい事がある、と言ってくれた。

 宝くじを張りこんで一万円分買ったけれど、外れた。
 ぎっくり腰になり、治療に通った。通った日数分保険金が給付された。良いことってこれだったんだ・・・。

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