終了式・卒業式も、終わりました。わたしも今日で、みんなとさよならです。
みんな、元気でね。
わたしのこと、忘れないで。
わたしは、ずっと、ここにいるから。
たとえ、ここに、わたしの姿はなくとも。
ずっと、ここで、みんなのことを見てるから。
わたしは、ずっと・・・ここに・・・・いるよ。
終了式・卒業式も、終わりました。わたしも今日で、みんなとさよならです。
みんな、元気でね。
わたしのこと、忘れないで。
わたしは、ずっと、ここにいるから。
たとえ、ここに、わたしの姿はなくとも。
ずっと、ここで、みんなのことを見てるから。
わたしは、ずっと・・・ここに・・・・いるよ。
これで、私と夢ちゃんの物語はおしまいです。はぁ~、長かったぁー。え、そうでも
ない?それはうれしいです。でも、なんでちょこちょこ、四小の姉さんが出て
くるんだろう。これは、私と夢ちゃんのお話のはずなのに。う~ん、わからない。
今度、夢ちゃんに聞いてみよっと。
さあ次は、夢ちゃんが大人になってから、四小の姉さんと私に会った時の物語です。
でもその前に、ちょっとしたコラムのようなものを書くそうです。〔夢ちゃんからの伝言〕
コラムって、何書くんだろ。わくわく。
はぁ~、今日は卒業式かぁー。六年生のみんな、大きくなったなぁ。
わたしが始めて卒業式を見てから、もう四十三年になるんだなぁ。早いなぁ。
今までに卒業してった子たちは、みんな元気にしてるかな。そういえば、夢ちゃんは
確か、第四回の卒業生だったよね。あん時の卒業生は何人だったっけ。う~んと、
あ、思い出した。確か、九十八人だった、うん。あの頃は、子どもたちも多かったな。
それが今では、三十何人なんだよね、大体。ずいぶん少なくなっちゃった。四小の
姉さんは卒業生九人だって。四小の姉さんも八小の妹みたいに、何年か後には
閉校になっちゃうのかなぁ。そしたらわたし・・・・・淋しいなぁ。クスン・・・・・
夢ちゃんから聞いた話。以下は、夢ちゃんの言葉です。
「昭和三十八年に川崎市の小学校で実際に出されていた給食を、期間限定で
食べられる所がある、と聞いて行って食べてきた。献立は、コッペパン・
鯨のたった揚げ・白菜と人参のおひたし、それに脱脂ミルクだった。
コッペパンは当時の大きさ、でも、味は当時のよりいい。当時のコッペは
パサパサしていたけど、今回のはやわらかくておいしかった。鯨のたった揚げ・
おひたしは、当時食べたそのままの懐かしい味だった。脱脂粉乳ミルクは、
当時のより少しうすく感じたけど、おいしいと思ったのは・・・何故???
食器も、アルマイト製のものをわざわざ使ってくれていた。ただ、当時あった
先割れスプーンのかわりに、スプーンと箸が付いてたのがちょっと残念。評判が
悪くて使わなくなった先割れスプーン、だけど、当時は当たり前に使っていた。
当時確かに、子ども心にも強烈な印象を与えた先割れスプーン、そんなものにも
郷愁を抱くわたしだった。
それはともかく、懐かしい味に、おもいっきり感動!
楽しくて、涙もろくもなった給食時間であった。」
へ~、そうだったんだ。夢ちゃんも年だね。うふっ。
ねえ、みなさん、コークスって知っていますか? え、知らない?そんな~~。
コークスは、石炭と同じようなものなの。石炭とコークスの違いはね、なんか
あるらしいんだけど、わたしには難しいからパス。
夢ちゃんがわたしの所にいた頃は、コークスを燃す石炭ストーブだったのよ。
夢ちゃんによると、このストーブのことを『だるまストーブ』って言ってね、結構
暖かかったんですって。教室全体にちょうどよく、暖かさがまわっていたそうよ。
時には、ストーブの上に牛乳のせて温めたりして。そういえば、給食のない時には、
お弁当のせて温めていた子もいたなあ。今ではもう、そんな光景見ることも
できないけど。う~~ん、懐かしい思い出だわ。あ、こんなこと言うと、わたしの歳
ばれちゃうわね。え、もうばれてる?そっか。そう、わたしはただ今四十四歳で~す。
ついこの間、開校四十周年むかえたのよ。あ~、月日のたつのは早いなぁ。
「何、ごちゃごちゃ言ってるの。夢ちゃんが、次のお話に進めないでしょ。」
あ、四小の姉さんだ。また注意されちゃった。結構うるさいんだ、姉さん。うふっ、
じゃあ、またね。