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不埒な天国 ~Il paradiso irragionevole

道理だけでは進めない世界で、じたばたした生き様を晒すのも一興

Dove finiscono le lettere

2009-09-02 14:38:12 | 日記・エッセイ・コラム

古きよき時代のイタリアでは
建物の入り口に小さなブースがあって
そこで門衛さんが暇そうに新聞読んでいたりしました。

門衛減少についてはメールマガジンでも紹介したので
こちらもどうぞ。

我が家にはもともと門衛さんなどいないのですが
いてくれたらどれだけ助かるかと実感中。
というのも、
ここ数ヶ月友人が送ってくれている郵便物が
届いていないのです。
光熱費の請求書は届くので、
郵便やさんはきっと
ほかの郵便物も配達していると信じたいのですが
建物の大扉の鍵が壊れているせいで
ヨソモノが入り込んで
めぼしそうな郵便物を物色しているのか
はたまた建物の住民が
日本からの珍しそうなものを
さらっと持ち帰っているのか不明ですが
とにかく私の手元に届かない!!
こんなとき門衛さんがいてくれたらなぁと思うのです。

今年に入ってすでに4件ほど
行方不明になった郵便物が。
もしかしたらこれ以外にも
知らないで紛失しているものもあるのかも?

私に何か送ってあげようと思っている
心の広い方がいましたら、
送る前に是非一報ください。
オフィスに送ってもらうほうが確実かもしれないので。
実際2-3年前から
不安なのでAMAZONで購入したときは
自宅ではなくオフィスに送ってもらうようにしています。

それにしても
予期せず郵便で手紙やプレゼントを受け取る喜びも
ちょっとした悪意によって楽しめなくなっちゃう
今の世の中ってすごく残念。


Pico della Mirandola

2009-09-01 20:03:29 | アート・文化

431年のエフェソスの宗教会議で議題に上がったのは
キリスト教論と聖母マリアの本質、
つまり創造主としてのマリアの存在でした。
キリストの母としてのマリアか神の母としてのマリアか。
イタリアでは聖母信仰も強く
マリアの存在自体がキリスト教にとっては
非常に意味深いものでもあります。
しかしその一方でキリストをこの世に送り出したのは
全能の神であって決してマリアではなく
全能神は男性であるという考え方もカトリックの世界にはあるのです。

2007年7月26日にフィレンツェのサン・マルコ教会に祀られている
Pico della Mirandola(ピコ・デラ・ミランドラ)と
Angelo Poliziano(アンジェロ・ポリツィアーノ)の墓が開けられ
DNA鑑定など詳細の遺体検査が行われました。
この検査の結果、
両者が砒素を利用した毒殺で他界したことが証明されました。
500年にも亘り、毒殺説が囁かれていましたが、
実際には証明されることがなく噂として言い伝えられていたことが
科学技術により証明され
それによって様々な憶測が新たに飛び交い始めています。

Giovanni Pico dei conti della Mirandola e della Concordia
というのがピコ・デラ・ミランドラの本名。
北イタリアの貴族の家系に生まれ、
自身はコンコルディア伯爵と名乗っていたといわれています。
非常に裕福な家庭で、
今のベルルスコーニの10倍の富を誇っていたとも言われます。
ボローニャの法律学校で学んだあと各地を放浪し
フィレンツェの人文主義者
Marsilio Ficino(マルシリオ・フィチーノ)のもとへ身を寄せて、
やがてLorenzo di Medici(ロレンツォ・ディ・メディチ)の
恩寵を受けるようになり、
メディチ家のプラトンアカデミーの主要人物として活躍します。
語学に堪能で、
優秀な頭脳の持ち主であったと伝えられていますが
2007年のDNA鑑定でも
通常よりも巨大な脳の持ち主であったことも証明されました。
人分主義者、哲学者、天文学者として名を馳せ
そして非ユダヤ人としては初めて
ユダヤ教に基づく神秘論であるカバラを
完璧に習得した人物としても知られています。

23歳にして900の論文を書き、
1486年にローマで開催される予定だった討論集会で
発表することになっていました。
彼の主論は、人間は他の動物と異なり、
あらかじめ決められた本質を持たず
人間の自由意志により、いかなるものにも変貌できるというもので、
それは神自身が望んだことであり、
神は人間の中にいくつもの可能性を持った種を植え付け
その種を本人の意思によって選択し育てることにより
どのようなものにでもなりうる存在としているのであり、
人間はそもそもそういうものとして創造されたのであるとしています。

こうした考え方の一部が当時のカトリック社会では
危険思想として見られたこともあり、
1486年の討論会は中止され、
彼の論文の一部は
Papa Innocenzo VIII(教皇インノチェンツォ8世)から
異端とされています。
これを受けてピコはフランスへ身を隠しますが、
ロレンツォ・ディ・メディチの努力によって
フィレンツェに呼び戻されています。
ロレンツォはその死の間際まで
ピコのために教皇の許しを請い続けましたが、
結局ピコは教皇インノチェンツォ8世の許しを得ないままでした。
(後継者であるボルジア家出身の教皇アレッサンドロ6世の
偽善によって許されてはいますが)

このときに書いた900の論文とは別に
日の目を見なかった99の論文が存在するとも言われており
そのなかで彼は神の女性的本質、
つまり創造主としてのマリアについて
書いているとも伝えられています。
カトリック教会が否定し続けている本質的な議論であり
ピコが1494年に31歳の若さで暗殺された原因も
定説となっている
ロレンツォの息子ピエロの嫉妬による毒殺説ではなく
この創造主マリア説にあるのではないかといわれ始めています。
親友のポリツィアーノがピコよりも
3ヶ月前に同じく毒殺されているのも
ピコが唯一この説を打ち明けた人物であったからだ
ともいわれています。

ルネッサンス時代の天才については
まだまだ今後も様々な憶測が飛び交いそうです。