船で海からアクセスするか、
最寄りの街から約1時間半の
トレッキングでアクセスする以外には
辿り着くことができない、
リグーリアの小さな入り江にある
L'Abbazia di San Fruttuoso(サン・フルットゥオーゾ修道院)。
ドーリア家(Famiglia Doria)の所有であったものの、
一時放置されていたこの修道院は
ドーリア・パンフィーリ家(Doria Pamphilj)から
1983年にFAI(イタリア環境基金)に寄付され、
その後、修復が行われて一般公開となっています。
ポルトフィーノ山の緑と、入り江の青という
自然の織りなす色彩の中に、
白く浮き上がるような建築物は
海からアクセスすると言葉を失うような美しさです。
![Dscn8884_2 Dscn8884_2](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3f/71/9815b4a69ef1325db36ce8c4b8b9722c.jpg)
伝説では、スペインの司祭フルットゥオーゾは
その助祭二人とともに火にかけられて殉教しました。
そののち、アラブ人の侵略を受けたTerragonaから
司祭Prospero(プロスペロ)が
修道士をともなって逃亡する際、
フルットゥオーゾの遺灰をもっていた
若い修道士(Giustino)の夢にフルットゥオーゾが現れ、
彼に自分の遺体を安置する場所を示したと伝えられています。
その場所とは3つの特徴を持つところで
海岸沿いにある「凶暴なドラゴン」が棲息する
「洞窟」で、近くに「水源地」のある場所。
天使によって導かれた司祭と修道士たちが
この三つを満たす場所をリグーリアの海辺に見つけ
そこにいたドラゴンを天使が鎮め、
この地の水源の上に教会を建てたとされています。
![Dscn8859 Dscn8859](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/10/37/c28dec62ebfb8502a2302018cc519524.jpg)
![Dscn8865 Dscn8865](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4f/5c/d82e73740e679bfe718c075603a6288f.jpg)
![Dscn8873 Dscn8873](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/32/e3/7e29e0af473149e7629893360f23d6e1.jpg)
建築群の起源ははっきりしませんが、
800年代には初期の修道院の建設が始まっていたとされています。
上記の伝説のように
当時スペインのTerragonaの司祭だったプロスペロが
アラブ人の侵略から逃れてリグーリア地方に辿り着き
殉教者Fruttuosoの聖遺物を安置するために
この地に教会を建てたのが始まりといわれています。
現存する修道院の建築物の大半は10-11世紀の頃のもので
神聖ローマ帝国皇帝オットー1世の未亡人アデライデの命により
改築が行われています。
この改築で、水源地に該当する場所に
ビザンチン風の丸天井をもつ教会が建てられています。
13世紀からドーリア家の手が入り
より海に近い部分に開廊付きの修道院施設を設け、
彼らのこうした改築協力に感謝の意を表する形で
修道士たちは教会のクリプタ部分に
ドーリア家の墓を集めた部屋を作ることを認めています。
現在もこのドーリア家の墓は残っており、
1275年から1305年に亡くなった
同家のメンバー7名が眠っています。
1467年に最後の修道士が亡くなると
ベネディクト会は修道院から去り、
ドーリア家に関係する臨時修道士などが出入りしますが
そのころから修道院の衰退が始まります。
1915年に大洪水に見舞われ
教会の一部が崩壊し、
奔流によって運ばれてきた土石により
修道院前に小さな砂浜が形成されました。
![Dscn8877 Dscn8877](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/37/61/55f92cc5a7cdc739924804f64e8a2557.jpg)
1933年にリグーリア州美術監督局による修復が行われ
洪水の被害を修復し、
改装されていた開廊の海側の三連窓を
オリジナルに戻したりしています。
1983年にイタリア環境基金に寄付されたあと
1985年から1989年に大掛かりな修復が行われました。
回廊部分は二層になっており、
下層部分のロマネスク様式の回廊は小さな庭園に面しています。
またこの回廊に面した一角に
前述の、白大理石とグレーの石を使った
二色作りの墓碑がならぶ、ドーリア家の墓もあります。
![Dscn8867 Dscn8867](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/15/06/314c897edd540a63b615da85d101d0ad.jpg)
上層部分は12世紀に増築されたもので
1500年代にAndrea Doria(アンドレア・ドーリア)の希望で
大幅に手が加えられています。
![Dscn8855 Dscn8855](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0b/77/159cfaa552cd5d600912e4352cdf7eae.jpg)
修道院の建築物から少し離れたところに
大きな塔が建てられていて
急勾配の階段を使ってアクセスすることができます。
![Dscn8879_2 Dscn8879_2](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/08/00/507ce14c40146b6552d720999cbdabe2.jpg)
修道士たちが日常的に利用していた
淡水の水源地と修道院自体を海賊の襲撃から護るために
1562年にドーリア家によって建てられたものです。
この塔の、海に向かった二面には
鷲印のドーリア家の大きな紋章がつけられています。
ラパッロ、ラ・スペーツィア、
サンタ・マルゲリータ・リグーレから毎日船が運航されています。
ポルトフィーノからは約30分、
サンタ・マルゲリータ・リグーレからはポルトフィーノ経由で約45分。
L'Abbazia di San Fruttuoso
San Fruttuoso (Camogli)
開館時間:平日
1月・2月・3月・10月・11月・12月 10:00ー15:45
4月・5月・9月後半 10:00ー16:45
6月・7月・8月・9月前半 10:00ー17:45
土日
1月・2月・3月・10月・11月・12月 10:00ー15:45
4月・9月後半 10:00ー16:45
5月・6月・7月・8月・9月前半 10:00ー17:45
休館日:12月25日
入場料:5ユーロ(特別展開催中は7,5ユーロ)
インフォメーション:http://www.sanfruttuoso.eu
![Dscn8885 Dscn8885](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6f/a1/283f7a708336a0e944213dfa30baf69e.jpg)
最寄りの街から約1時間半の
トレッキングでアクセスする以外には
辿り着くことができない、
リグーリアの小さな入り江にある
L'Abbazia di San Fruttuoso(サン・フルットゥオーゾ修道院)。
ドーリア家(Famiglia Doria)の所有であったものの、
一時放置されていたこの修道院は
ドーリア・パンフィーリ家(Doria Pamphilj)から
1983年にFAI(イタリア環境基金)に寄付され、
その後、修復が行われて一般公開となっています。
ポルトフィーノ山の緑と、入り江の青という
自然の織りなす色彩の中に、
白く浮き上がるような建築物は
海からアクセスすると言葉を失うような美しさです。
![Dscn8884_2 Dscn8884_2](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3f/71/9815b4a69ef1325db36ce8c4b8b9722c.jpg)
伝説では、スペインの司祭フルットゥオーゾは
その助祭二人とともに火にかけられて殉教しました。
そののち、アラブ人の侵略を受けたTerragonaから
司祭Prospero(プロスペロ)が
修道士をともなって逃亡する際、
フルットゥオーゾの遺灰をもっていた
若い修道士(Giustino)の夢にフルットゥオーゾが現れ、
彼に自分の遺体を安置する場所を示したと伝えられています。
その場所とは3つの特徴を持つところで
海岸沿いにある「凶暴なドラゴン」が棲息する
「洞窟」で、近くに「水源地」のある場所。
天使によって導かれた司祭と修道士たちが
この三つを満たす場所をリグーリアの海辺に見つけ
そこにいたドラゴンを天使が鎮め、
この地の水源の上に教会を建てたとされています。
![Dscn8859 Dscn8859](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/10/37/c28dec62ebfb8502a2302018cc519524.jpg)
![Dscn8865 Dscn8865](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4f/5c/d82e73740e679bfe718c075603a6288f.jpg)
![Dscn8873 Dscn8873](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/32/e3/7e29e0af473149e7629893360f23d6e1.jpg)
建築群の起源ははっきりしませんが、
800年代には初期の修道院の建設が始まっていたとされています。
上記の伝説のように
当時スペインのTerragonaの司祭だったプロスペロが
アラブ人の侵略から逃れてリグーリア地方に辿り着き
殉教者Fruttuosoの聖遺物を安置するために
この地に教会を建てたのが始まりといわれています。
現存する修道院の建築物の大半は10-11世紀の頃のもので
神聖ローマ帝国皇帝オットー1世の未亡人アデライデの命により
改築が行われています。
この改築で、水源地に該当する場所に
ビザンチン風の丸天井をもつ教会が建てられています。
13世紀からドーリア家の手が入り
より海に近い部分に開廊付きの修道院施設を設け、
彼らのこうした改築協力に感謝の意を表する形で
修道士たちは教会のクリプタ部分に
ドーリア家の墓を集めた部屋を作ることを認めています。
現在もこのドーリア家の墓は残っており、
1275年から1305年に亡くなった
同家のメンバー7名が眠っています。
1467年に最後の修道士が亡くなると
ベネディクト会は修道院から去り、
ドーリア家に関係する臨時修道士などが出入りしますが
そのころから修道院の衰退が始まります。
1915年に大洪水に見舞われ
教会の一部が崩壊し、
奔流によって運ばれてきた土石により
修道院前に小さな砂浜が形成されました。
![Dscn8877 Dscn8877](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/37/61/55f92cc5a7cdc739924804f64e8a2557.jpg)
1933年にリグーリア州美術監督局による修復が行われ
洪水の被害を修復し、
改装されていた開廊の海側の三連窓を
オリジナルに戻したりしています。
1983年にイタリア環境基金に寄付されたあと
1985年から1989年に大掛かりな修復が行われました。
回廊部分は二層になっており、
下層部分のロマネスク様式の回廊は小さな庭園に面しています。
またこの回廊に面した一角に
前述の、白大理石とグレーの石を使った
二色作りの墓碑がならぶ、ドーリア家の墓もあります。
![Dscn8867 Dscn8867](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/15/06/314c897edd540a63b615da85d101d0ad.jpg)
上層部分は12世紀に増築されたもので
1500年代にAndrea Doria(アンドレア・ドーリア)の希望で
大幅に手が加えられています。
![Dscn8855 Dscn8855](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0b/77/159cfaa552cd5d600912e4352cdf7eae.jpg)
修道院の建築物から少し離れたところに
大きな塔が建てられていて
急勾配の階段を使ってアクセスすることができます。
![Dscn8879_2 Dscn8879_2](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/08/00/507ce14c40146b6552d720999cbdabe2.jpg)
修道士たちが日常的に利用していた
淡水の水源地と修道院自体を海賊の襲撃から護るために
1562年にドーリア家によって建てられたものです。
この塔の、海に向かった二面には
鷲印のドーリア家の大きな紋章がつけられています。
ラパッロ、ラ・スペーツィア、
サンタ・マルゲリータ・リグーレから毎日船が運航されています。
ポルトフィーノからは約30分、
サンタ・マルゲリータ・リグーレからはポルトフィーノ経由で約45分。
L'Abbazia di San Fruttuoso
San Fruttuoso (Camogli)
開館時間:平日
1月・2月・3月・10月・11月・12月 10:00ー15:45
4月・5月・9月後半 10:00ー16:45
6月・7月・8月・9月前半 10:00ー17:45
土日
1月・2月・3月・10月・11月・12月 10:00ー15:45
4月・9月後半 10:00ー16:45
5月・6月・7月・8月・9月前半 10:00ー17:45
休館日:12月25日
入場料:5ユーロ(特別展開催中は7,5ユーロ)
インフォメーション:http://www.sanfruttuoso.eu
![Dscn8885 Dscn8885](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6f/a1/283f7a708336a0e944213dfa30baf69e.jpg)
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