我が家の近くに数年来放浪を続けていたPabloクン。
私がローマから戻ってきたときには姿を見かけなくなり
最近ではどこ行ったんだろうと気になっていたんだけど。
まだ彼の脳みそのネジが正常だった頃
きれいな身なりをしていて、それなりに普通の人だった。
しかし、何かのきっかけでネジが外れてしまったか
日を重ねるごとに精神的に変化を続け
そしてとうとう家のない生活を始めた。
日々状況が悪化する様子を見ているのは
彼を知るこの近所の人にとっては結構辛いものだったに違いない。
彼のために何かしてあげたいと思う人もとてもたくさんいた。
でも彼はそうした援助を受け付けなかった。
道行く人にからむわけでもなく、いつも笑っていて
異臭を放つ以外に何の害もない人だった。
他人から恵んでもらうことを極端に嫌がり
彼に何かしてあげたいと思った人は
彼の寝床の近くに食べ物や飲み物、
寒さを防ぐ布団などをそっと置いていくのが
暗黙の規則となっていた。
ビリーの散歩道のどこかにいつも寝転がり
誰かとしきりに話をしているような雰囲気もあった彼。
一説ではとても愛していた女性を交通事故で失い
その悲しみと辛さを乗り越えられずに
だんだんと闇の世界に落ちて行ったとか。
その彼女とずっと無心に話し続けているのだとも。
5月にローマから戻ってきたとき
そんな彼の姿がビリーの散歩道から消えているのには
すぐに気づいたけれど、誰に聞くわけにもいかず。
どこかに収容されたのか、それとも悲しい最期になったのか。
色々想像してみたりもしたけれど。
先日たまたま読みかけた新聞に彼に関する記事が載っていた。
どうやらミラノに移住したらしい。
相変わらずの放浪生活らしい。
今でも誰からも直接の援助も受けずいつも微笑んで
虚空に向かって懸命に話しかけ
その日その日を暮らしているらしい。
彼はポルトガルからやってきて
フィレンツェではあのMaggioMusicaleで
バレリーノとして踊っていた経歴もあるんだと書いてあった。
しかし、ある日突然すべてを捨てて放浪生活を始めたのだと。
そこには彼にしかわからない、
そして今となっては彼にもわからないかもしれない理由がある。
フィレンツェからなぜミラノへ移ったのかはわからない。
ただ、彼がイタリアのどこかでまだ元気に暮らしていると知って
なんだか旧友の無事を知ったような安堵感があった。
彼はミラノのとあるバス停の近くで
「ボクはインフルエンザがひどくて動けない。
終着駅に連れて行ってくれるバスが来るのを待っているんだ」
と繰り返しているそうだ。
どんなにバスが来ても乗り込むことはなく、
もちろん終着駅にたどり着くこともないまま繰り返す。
「今夜ボクを終着駅に連れて行ってくれるバスがくるんだ」
彼が捜し求めている終着駅は果たしてどこなんだろう。
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誰しもが放っておけないのに、誰も、彼の世界の住人にはなれないんだね。
今夜のバスが来るまで、時も凍りついたまま。
それでもその彼を包んで一緒に生きているイタリアというところに、尊敬の念を感じました。
そう。
わかってあげられない部分が大きすぎて、
どうも胸につかえるんだよね。
>j-tentenさん
孤高の人生みたいな捉え方をしている部分もあるみたいです。
わかりあえない隣人。
誰もが何かをずっと待ち続けているからこそ
彼の待ち続ける姿が気になるのかもね。
寛容であるときとそうでないとき。
イタリアは不思議な国だよ。
ある意味幸せな人生です、この人が羨ましく思う。
また、この生き方を受け入れてくれる環境も羨ましい...。
淡々と、心に沁みて来る良い文でした。
自由に生きることの難しさを考えさせられます。
イタリアにいるとあまり人の目を気にせずに比較的自由でいられるのは確かですね。