自分の名前があまり好きではないのです。
どこにでもあるよくある名前なので、
却ってなんか苗字のほうがインパクトが強くて。
苗字は好きなんですけど。
でもイタリアにいると苗字ではなくて
下の名前で呼ばれることのほうが多く
14年経ってもなんだか慣れない・・・。
むずむずするんですが。
でも名前を呼ばれることで親近感がわいたり
寂しいときに呼ばれるとほっこりしたり
決して悪い効果はないんですよね。
同じような効果は動物にもあるみたいですね。
まぁどこまで彼らが
自分の名前を認識しているのかわかりませんけど。
ビリーなんてビローでもウィリーでもピリーでも反応するし。
でもビリーもチッチーノも
名前呼ばれると一応嬉しそうにしてますしね。
まぁ嬉しいんでしょ、きっと。
牛さんに名前をつける人がどれほどいるかはわかりませんが、
名前をもっている牛さんは
名無しの牛さんより多くの乳を出すそうですね。
まぁそれは名前があるからということが直結した結果ではなくて
個々体に対しての飼い主の綿密な注意が払われることによって
牛さんが幸せになり、リラックスできるからなんだそうです。
ちっち、さすがに乳は出しません(爆)。
そういえば、私は始めて自分で買った車にも名前つけて大事にしていました。
名前付けると確かに愛情のかけ方が違ってくるのかもね。
>あきちゃん
イギリスもそうか、イタリアもなんかっていえば名前が挟まってくる。
時々鬱陶しかったりするけど
それは実は大事なコミュニケーションツールなのねぇ。
>hiroさん
ははは。イタリア人にHの発音は難しいね。
ようやくちゃんと聞こえるようになったのは、
先生が上達したのか、
hiroさんが慣れたのか?!
イタリア語教室の先生に呼ばれた時は
ちょっとこっぱずかしかったです。
しかも苗字も名前も頭文字がHなので、
さぞ呼びづらかったろうと思います。
最近はイロミからようやくヒロミと聞こえるように
なりました。
なかなか慣れることができなかったことのひとつに、
相手の名前を頻繁に呼ぶ、ってのがあります。
例えば、
「今日はどんな1日だった?あきこ。」
「ハロー、あきこ。今日も寒いねぇ。」
などなど、会話のはじばしに相手を名前で呼ぶんだよね。
日本人は、相手に呼びかける時くらいしか、
名前を言わないし。
主語を省略するせいも、あるのかもだけど。
でも確かに、名前を言われるとうれしいし、
自分を思ってくれてるのだな、って実感するよね。
照れちゃいけないわね~。
チッチ牛さん、お乳はでないよね?
名前は、不思議。物でも何でも、名前をつけると自分の世界に入ってきますね。
しかし、この頃人の顔と名前が覚えられなくて。。。。
反省。。。