10月半ばからアレッツォ周辺を騒がせている問題ですが、
未だはっきりした行き先が定まらない状態。
建築家、画家、文学者として
華やかだったメディチ家の繁栄の時代のフィレンツェで活躍した
Giorgio Vasari(ジョルジョ・ヴァザーリ)が残した
膨大な書簡やメモ類を集めたヴァザーリの記憶の集結ともいえる
アーカイヴが1億5000万ユーロという破格の高額で
ロシアのとある組織の手に渡りそうになっています。
問題となっているアーカイヴは31枚の紙片で
ヴァザーリ自筆で製作作業に必要なメモなどが記されているものや
ミケランジェロやコジモ・ディ・メディチをはじめ
1500年代の著名人と交わした書簡などが含まれています。
もちろんこのアーカイヴのもつ歴史的価値は高く
1994年には国家通達によって
国の重要な歴史文書であると認定されています。
それが今、なすすべもなく
遠い異国の地に渡ってしまうかもしれないのです。
実際にはこのアーカイヴは
国家や市などの公の機関の所有ではなく
Conte Giovanni Festari(ジョヴァンニ・フェスターリ伯爵)の
個人所有で、この伯爵が過日他界されたことによって、
ロシアへの販売譲渡が明らかになったのです。
ただし、この販売契約などについても不明瞭な部分が多いため
アレッツォ市長は成り行きの仔細な調査と
文書の買戻しをイタリア国家に対して要請しています。
トスカーナ州の美術監督局からの書類には
2009年9月23日より
90日以内に買取の提案を行わない場合には
本売買契約が成立すると書かれていたようですが
アレッツォ市長自身も10月12日に事実を知らされた時には
寝耳に水の状態で相当驚いたようです。
そしてアレッツォ市の年間予算の5倍にも相当する
といわれる金額をひねり出すことは到底できないため、
アレッツォ市での買取を諦め
イタリア首相ベルルスコーニ、文化大臣ボンディ、トスカーナ州議会、
そしてローマのロシア大使館を通じて
プーティン首相にも親書を出したそうです。
今のところ各筋からの動きはまったくないようで
ロシア訪問していたベルルスコーニ首相も
何もせずに戻ってきてしまいました。
唯一イタリア司法当局だけが
既にこの売買についての見解を示し
たとえ売買が成立したとしても
その文化的・歴史的価値と土地との繋がりを鑑みて
文書自体はアレッツォから移動させることはできないとしています。
ただし、12月22日までになんらかの策がとられない場合には
この大切な古文書はアレッツォを離れてしまう
可能性もまだ残っているわけで
国家間での話し合いが進められることが望まれています。
2011年はヴァザーリ生誕500年祭が
予定されているアレッツォですが
市長はこの文書に対して国家が何も策を講じないのであれば
2011年の祝賀は行わないと強気に出ています。
果たしてヴァザーリの記憶をとどめた文書の行方はどうなるのか。
アレッツォにあったからといって
それを観にたくさんの人が訪れるわけでもないのですが
いざイタリア国外に流出となると
なんかじたばたしちゃいますよね。