不埒な天国 ~Il paradiso irragionevole

道理だけでは進めない世界で、じたばたした生き様を晒すのも一興

Palazzo Portinari Salviati

2007-10-09 08:20:03 | アート・文化

フィレンツェの中心地区を
東西に横切るコルソ通り(via del Corso)は
古くはCorso di Por San Piero
(コルソ・ディ・ポル・サン・ピエロ)と呼ばれ、
守護聖人の祝日(6月24日)には
街の外れのVia Ponte alle Mosse
(ポンテ・アッレ・モッセ通り)から
Piazza San Pier Maggiore
(サン・ピエール・マッジョーレ広場)まで
パリオの裸馬が走りぬけたことでも有名。
この古くからある通りに面して建つのが
ポルティナーリ・サルヴィアーティ宮殿。

この界隈はダンテとその永遠の恋人ベアトリーチェに
深い関わりがありますが
この宮殿の建築を依頼した
Folco Portinari(フォルコ・ポルティナーリ)は
ベアトリーチェの父親です。
実際現在の宮殿を建てる前にあった家屋に
ベアトリーチェが暮らしていたといわれています。
彼は近くのOspedale di Santa Maria Nuova
(サンタ・マリア・ヌオーヴァ病院)の創立者でもあり、
当時の権力者として界隈に土地と宮殿を所有していました。
ポルティナーリ家は元々はフィエゾレ出身で
1240年頃までにフィレンツェの街に降りてきたといわれています。
因みにメディチ家がムジェッロからフィレンツェにやってくるのは
その後の1300年代半ばになります。

Salviati_grottesco (サルヴィア:セージをかたどった紋章)
1546年に所有権はSalviati(サルヴィアーティ家)に移り
Jacopo Salviati(ヤコポ・サルヴィアーティ)の時代に
近隣の建物が買収され
宮殿は更に大きく改築され、いくつもの中庭が増設されました。

サルヴィアーティ家の女性マリア(Maria Salviati)を
妻として迎えたメディチ家のGiovanni delle Bande Nere
(ジョヴァンニ・デッレ・バンデ・ネーレ)も
一時期この宮殿で暮らしました。
彼は自分の息子で後のコジモ一世(Cosimo I de' Medici)の
将来を占うために
妻に命じて2階の窓から子供を通りに放り投げさせ、
自分が通りで抱きとめたという有名な伝説が残っています。
コジモは泣くこともなくその自由落下を成し遂げ
子供ながらに勇気のあるところを見せ付けたといわれています。

1768年にセルグイディ家(Serguidi)に売却され、
1808年にはPietro Leopoldo di Giannozzo da Cepparello
(ピエトロ・レオポルド・ディ・ジャンオッツォ・
ダ・チェッパレッロ)の所有となります。
その後フィレンツェがイタリアの首都だった1865年には
司法省がおかれていました。
現在この宮殿はBanca Toscana(トスカーナ銀行)の拠点。
第一次世界大戦直後の1921年、
当時のCredito Toscano(トスカーノ信用金庫)は
宮殿を購入しその本拠地と定めます。
それ以降Banca Toscanaに名前を変えても
長く銀行の総本拠地としての機能を持ち続けてきました。
近年郊外に主要機能が移転したあとは、
内部の芸術品の研究などのために
美術史研究家に門戸を開放しています。
実際宮殿内は特にトスカーナを中心に活躍した
芸術家の作品が所蔵され
ルネッサンス時代から近現代に至るまでの
幅広いコレクションを誇っています。

Salviati_odissea (オデュッセイアのエピソードより)
特にアレッサンドロ・アッローリ(Alessandro Allori)が
1574年から1575年にかけて手がけた
Storie di Ercole(ヘラクレスの苦行)や
Episodi della Odissea(オデュッセイアのエピソード)などの
フレスコ画は有名。
Salviati_cappella
また同じくアッローリの手による
Cappella di Santa Maria Maddalena
(マリア・マッダレーナの礼拝堂)や
ジャンボローニャ(Giambologna)がデザインした
古代ローマ皇帝の胸像が並ぶ「皇帝の中庭」なども残っています。
Salviati_imperi(皇帝の中庭・幼少のミケランジェロ像)

土曜日に一般公開されていたので何年かぶりに見学。
私は実はアッローリの大ファンですが
久々に見る作品は実に優雅でマニエリスムくさくてよいなぁと。
今回更に感動したのは1400年代から受け継がれているという金庫。
高さ160センチくらいの黒い大きな箱ですが
これを仰々しい鍵で開けて見せてもらいました。
一筋縄では開かないように実に複雑な仕掛けがなされていて、
昔の人の知恵にも驚かされます。
そして中からコインチョコレートが出てきて、
「フィオリーノ・ドーロです」といいながら
見学者に配布するなんていう銀行のお茶目な部分も気に入りました。

因みにこの宮殿にも程近いギベッリーナ通り(Via Ghibellina)にある
Palazzo Borghese(ボルゲーゼ宮殿)もサルヴィアーティ家の所有で
最後の相続者からボルゲーゼ家に所有が移ったものです。