最近ネットというものに関して思考を巡らしている時間が長いです、akkiyですこんにちは。
とりあえず今のところ考えているネットでの人間関係に関する論理でも書いてみることにする。ネット社会というのは、なんとなく仮面舞踏会と同じような状況だと思える。現実世界の自分ではない人格を架空の世界に作り出し、他の人間と接するのはどうも仮面を被って(本性を隠して)パーティーに参加するのと似た感じではないか、そう思うようになってきた。両者とも本来の自分を隠した状態で他人と接する点で同じだし、相手の本性も見た目だけではわからないというのも同じだ。つまり、ネット社会というのは『仮面を被った社会』と言ってもおかしくはない。
では、どうやって他人の本質を見抜き、自分と馬の合う人間を探すのかといえば、一般的には相手の言論、考え、趣向などを客観的に見て判断する方法しかない。という事は、ネット社会では外面ではなく内面を見て判断する事が必然として求められる。現実世界のように肉親などの親戚関係も一切存在しないので、ネット社会の中での関係というのは『他人同士の関係』だ。この関係に、相手の外見や表向きの言動といったものはない。つまり内面がむき出しなのだ。そのむき出しの内面を客観的に見て、評価する事でその人間の姿がわかる。
これはある意味で素晴らしい利点だ。現実世界ではどうしても外見や表向きの態度に注目してしまいがちで、落ち着いて内側を探るなんていう事はなかなかできない。そのため、どうしても外面だけでの主観的な判断になる事がある。一方ネット社会では外見がないので内面を冷静に判断しないと他人というものが全くわからない。そのため客観的な判断が必要とされるが、その分落ち着いて相手の本質を確認できる。
ただし、ネット上の他人は現実世界の一個人と同人格とは限らない。ネット社会にいる自分と、現実世界にいる自分に多少なりとも隔たりができるのは当然だし、やろうと思えばわざと自分ではない存在になりきる事もできる。だから、ネットと現実の同一人物を同じ人格だと決めることはかなり危険だ。例えば、現実世界では明らかに内向的で陰気な感じのあるAと、ネット上での快活な印象で積極的に活動しているAは同人物かと訊かれたら、同じと定義するのには無理があると感じるはずだ。実際に、ネット上と現実では全く異なった人格を有する人間はいくらでもいる。
考えていくと、どうやら現実世界とネット社会は同じであり別の世界でもある、という理論がなんとなく浮かんでくる。ネット社会はもう一つの世界、つまりアナザーワールド。そこに存在する自分という存在も、現実とは違う人格である。となると、現実での関係をネット上にそのまま持ち込むのは危険ではないだろうか。違う人格同士の世界で、現実世界での関係が完全に当てはまるとは思えない。現実世界と同じ接し方では、ネット上での人格と合致しないが為に関係の破壊が起こる事だってありうる。
それよりも、ネット上では別人として異なった関係を作った方が存在しやすい。実際に、自分は全国各地にいる人間とチャットで会話を交わしたり、所有する情報の交換を行ったりしているが、おそらく現実で出会った場合にはまた別の関わり合いになると思う。つまり、ネット上での自分ではなく現実世界での自分という人格で他人と接する必要がある。理由は非常に単純だ。ネットと現実は異なる世界であり、それぞれの世界に存在する自分はそれぞれ異なるのだから。今のところそういった機会はないが、もしネットと同じ感覚で接すればそのうち気まずくなってくるだろう。
最近はミクシィ等のコミュニティーサイトで、現実での友達を誘って楽しんでいる人が増加しているようだが、個人的にあまりいいとは思えない。別世界に別世界の人格・関係を持ち込む事は、前述の通り非常に大きな危険性を秘めているからだ。もし持ち込むとするなら、自分も含めた全ての人格が現実とは違う事を頭の隅にでも置くべきだと思う。現実ではこういう人間なんだからネットでも同じでしょ、と思い込んで、結果として関係を壊すような事が実際に起きて、それが原因になった事件なども実際に発生している。そういう最悪の事態はなるべく避けたいものだと思う。
付け足しだが、ネット上で現実世界における人間関係はあまり信用しない方がいい。これも理由は同じくネット上では友達も単なる他人だからである。過度に信用して痛い目を見た後で、現実世界においてその事を追及しても余計に関係が壊れるだけだ。そもそも、ネット上で信頼というものを信じる事自体が非常に危険なのだが、その事についてはまたいつか詳しく説明しようと思っている。
ではでは。
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とりあえず今のところ考えているネットでの人間関係に関する論理でも書いてみることにする。ネット社会というのは、なんとなく仮面舞踏会と同じような状況だと思える。現実世界の自分ではない人格を架空の世界に作り出し、他の人間と接するのはどうも仮面を被って(本性を隠して)パーティーに参加するのと似た感じではないか、そう思うようになってきた。両者とも本来の自分を隠した状態で他人と接する点で同じだし、相手の本性も見た目だけではわからないというのも同じだ。つまり、ネット社会というのは『仮面を被った社会』と言ってもおかしくはない。
では、どうやって他人の本質を見抜き、自分と馬の合う人間を探すのかといえば、一般的には相手の言論、考え、趣向などを客観的に見て判断する方法しかない。という事は、ネット社会では外面ではなく内面を見て判断する事が必然として求められる。現実世界のように肉親などの親戚関係も一切存在しないので、ネット社会の中での関係というのは『他人同士の関係』だ。この関係に、相手の外見や表向きの言動といったものはない。つまり内面がむき出しなのだ。そのむき出しの内面を客観的に見て、評価する事でその人間の姿がわかる。
これはある意味で素晴らしい利点だ。現実世界ではどうしても外見や表向きの態度に注目してしまいがちで、落ち着いて内側を探るなんていう事はなかなかできない。そのため、どうしても外面だけでの主観的な判断になる事がある。一方ネット社会では外見がないので内面を冷静に判断しないと他人というものが全くわからない。そのため客観的な判断が必要とされるが、その分落ち着いて相手の本質を確認できる。
ただし、ネット上の他人は現実世界の一個人と同人格とは限らない。ネット社会にいる自分と、現実世界にいる自分に多少なりとも隔たりができるのは当然だし、やろうと思えばわざと自分ではない存在になりきる事もできる。だから、ネットと現実の同一人物を同じ人格だと決めることはかなり危険だ。例えば、現実世界では明らかに内向的で陰気な感じのあるAと、ネット上での快活な印象で積極的に活動しているAは同人物かと訊かれたら、同じと定義するのには無理があると感じるはずだ。実際に、ネット上と現実では全く異なった人格を有する人間はいくらでもいる。
考えていくと、どうやら現実世界とネット社会は同じであり別の世界でもある、という理論がなんとなく浮かんでくる。ネット社会はもう一つの世界、つまりアナザーワールド。そこに存在する自分という存在も、現実とは違う人格である。となると、現実での関係をネット上にそのまま持ち込むのは危険ではないだろうか。違う人格同士の世界で、現実世界での関係が完全に当てはまるとは思えない。現実世界と同じ接し方では、ネット上での人格と合致しないが為に関係の破壊が起こる事だってありうる。
それよりも、ネット上では別人として異なった関係を作った方が存在しやすい。実際に、自分は全国各地にいる人間とチャットで会話を交わしたり、所有する情報の交換を行ったりしているが、おそらく現実で出会った場合にはまた別の関わり合いになると思う。つまり、ネット上での自分ではなく現実世界での自分という人格で他人と接する必要がある。理由は非常に単純だ。ネットと現実は異なる世界であり、それぞれの世界に存在する自分はそれぞれ異なるのだから。今のところそういった機会はないが、もしネットと同じ感覚で接すればそのうち気まずくなってくるだろう。
最近はミクシィ等のコミュニティーサイトで、現実での友達を誘って楽しんでいる人が増加しているようだが、個人的にあまりいいとは思えない。別世界に別世界の人格・関係を持ち込む事は、前述の通り非常に大きな危険性を秘めているからだ。もし持ち込むとするなら、自分も含めた全ての人格が現実とは違う事を頭の隅にでも置くべきだと思う。現実ではこういう人間なんだからネットでも同じでしょ、と思い込んで、結果として関係を壊すような事が実際に起きて、それが原因になった事件なども実際に発生している。そういう最悪の事態はなるべく避けたいものだと思う。
付け足しだが、ネット上で現実世界における人間関係はあまり信用しない方がいい。これも理由は同じくネット上では友達も単なる他人だからである。過度に信用して痛い目を見た後で、現実世界においてその事を追及しても余計に関係が壊れるだけだ。そもそも、ネット上で信頼というものを信じる事自体が非常に危険なのだが、その事についてはまたいつか詳しく説明しようと思っている。
ではでは。
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