法では取り締まっていないから、ルールには記載されていないからやってもいい事なのか。そこまでして、何を得たいのか。
この三年間ロボコンを間近で見つめてきて、そう思う事が何度もあった。ルールの網を潜り抜けるようなマシンで勝ち上がろうとするチームを幾つも見てきた。それを見る度に胸を締め付けられる思いがした。どんな手段を使っても勝つ。狙うは優勝のみ。……そんな事のために、彼らは全力で取り組んでいたというのか。ロボコンの趣旨である「知恵と技術の祭典」とは、所詮そんなものなのか、彼らにとっては。
確かにロボコンは競技大会であって、それ故トーナメントが存在する。しかし、元々は順位ではなくアイデアの質と高い技術力を求めていたはずだった。いかなる制約においても、いかなる状況においても対応できる柔軟さ、あるいは観客を魅了するような奇抜なアイデア。
そういうものを求めていたはずなのに、ここ数年高専生が考え出した物は、勝つ為だけの、それしか能がないようなマシンだった。昨年の豊田高専のホバークラフト、あるいは詫間電波高専の超高速マシン。ああいう技術者倫理を無視したものを、堂々と出展できる精神は異常以外の何物でもない。
そして、主催者のNHKもそういう傾向を見て見ぬ振りしている事にも、大きな問題がある。今年のロボコンは制約があってないようなものだったが、まだ健全な技術者精神を持っていた高専はまじめに考え、まじめにロボを作ってきた。一方、勝利する事に全てを賭けているような高専は、ルール違反にならなければ何を使ってもいいと考え、実際にそういうマシンを大会に出している。旗がついていればマシンだと言い張り、回路駆動系ほぼ全てを搭載した「自称アーム」を考え出したり、それに加えてのぼりを旗の前方に置くという卑怯極まりない行動を取ったり。おそらく、今年もNHKはこういったマシンを取り上げ、こう言うはずだ。
「実にすばらしい、画期的なアイデアです」
こんな事で、主催者が務まると思っているのだろうか。私は、そんな言葉で誤魔化し、勝つ為なら倫理に反してもいいという態度がとても気に食わない。本来ならこう言うべきだ。
「こんな行為が許されてはいけない、正々堂々と勝負するべきだ」と。
実のところ、制約がなければどんな技術、どんな戦法も実現可能だ。しかし、それは「やれる事」、つまり可能なだけであって「やってもいい事」ではない。規模は相当違うだろうが、原爆を「作れる」から作った技術者と、ルール違反にならず「作れる」から酷いロボを作った高専生は同じようなものだ。
本来のロボコンは「やってもいい事」という制限の中で、いかに独自のアイデアを詰め込むかを競うものだ。決して「やれる事」を駆使して勝利する事が目的ではない。たとえそういうアイデアで勝ったとしても、その瞬間大切なものが失われているはずだ。技術者としての誇りを捨てるか、ただの優勝トロフィーを捨てるかは今後の参加者次第だと思う。だからこそ、私はこれまでやってきたように誇りを持ってマシンを作りたい。勝つ為のマシンではなく、魅せる為のマシンを目指したい。誰が何と思おうと、それだけは曲げたくないと思う。
ロボコンをただの競技大会としか見ない人間に、ロボコン大賞を取る事などできない。何故なら、そういう人間の作ったマシンはただの道具でしかないからだ。勝利するという事にこだわる位なら、負けても皆に賞賛されるような物を作れ。それでこそ、未来への道が開ける。
この三年間ロボコンを間近で見つめてきて、そう思う事が何度もあった。ルールの網を潜り抜けるようなマシンで勝ち上がろうとするチームを幾つも見てきた。それを見る度に胸を締め付けられる思いがした。どんな手段を使っても勝つ。狙うは優勝のみ。……そんな事のために、彼らは全力で取り組んでいたというのか。ロボコンの趣旨である「知恵と技術の祭典」とは、所詮そんなものなのか、彼らにとっては。
確かにロボコンは競技大会であって、それ故トーナメントが存在する。しかし、元々は順位ではなくアイデアの質と高い技術力を求めていたはずだった。いかなる制約においても、いかなる状況においても対応できる柔軟さ、あるいは観客を魅了するような奇抜なアイデア。
そういうものを求めていたはずなのに、ここ数年高専生が考え出した物は、勝つ為だけの、それしか能がないようなマシンだった。昨年の豊田高専のホバークラフト、あるいは詫間電波高専の超高速マシン。ああいう技術者倫理を無視したものを、堂々と出展できる精神は異常以外の何物でもない。
そして、主催者のNHKもそういう傾向を見て見ぬ振りしている事にも、大きな問題がある。今年のロボコンは制約があってないようなものだったが、まだ健全な技術者精神を持っていた高専はまじめに考え、まじめにロボを作ってきた。一方、勝利する事に全てを賭けているような高専は、ルール違反にならなければ何を使ってもいいと考え、実際にそういうマシンを大会に出している。旗がついていればマシンだと言い張り、回路駆動系ほぼ全てを搭載した「自称アーム」を考え出したり、それに加えてのぼりを旗の前方に置くという卑怯極まりない行動を取ったり。おそらく、今年もNHKはこういったマシンを取り上げ、こう言うはずだ。
「実にすばらしい、画期的なアイデアです」
こんな事で、主催者が務まると思っているのだろうか。私は、そんな言葉で誤魔化し、勝つ為なら倫理に反してもいいという態度がとても気に食わない。本来ならこう言うべきだ。
「こんな行為が許されてはいけない、正々堂々と勝負するべきだ」と。
実のところ、制約がなければどんな技術、どんな戦法も実現可能だ。しかし、それは「やれる事」、つまり可能なだけであって「やってもいい事」ではない。規模は相当違うだろうが、原爆を「作れる」から作った技術者と、ルール違反にならず「作れる」から酷いロボを作った高専生は同じようなものだ。
本来のロボコンは「やってもいい事」という制限の中で、いかに独自のアイデアを詰め込むかを競うものだ。決して「やれる事」を駆使して勝利する事が目的ではない。たとえそういうアイデアで勝ったとしても、その瞬間大切なものが失われているはずだ。技術者としての誇りを捨てるか、ただの優勝トロフィーを捨てるかは今後の参加者次第だと思う。だからこそ、私はこれまでやってきたように誇りを持ってマシンを作りたい。勝つ為のマシンではなく、魅せる為のマシンを目指したい。誰が何と思おうと、それだけは曲げたくないと思う。
ロボコンをただの競技大会としか見ない人間に、ロボコン大賞を取る事などできない。何故なら、そういう人間の作ったマシンはただの道具でしかないからだ。勝利するという事にこだわる位なら、負けても皆に賞賛されるような物を作れ。それでこそ、未来への道が開ける。