ツレヅレグサ

雑記と愚痴と、時々小説

集団心理による犯罪の正当化

2007-04-12 16:38:20 | 批評
 最初に言っておくが、犯罪という表現は過激かもしれない。だが、集団心理による行動は、時として犯罪さえも許してしまう危険性がある。その為、このような表現を用いた次第だ。

 まず、何故人が集団を作り、その中で生活していく事を必要としているかについてだが、それは言うまでもなく、個人の能力だけで全ての危機を切り抜けられなかったからだ。それは他の動物を狩り自らの食料とするにしても、獰猛な肉食獣から逃れるにしても同じ事で、それらをたった一人でこなすには限界があったからだ。もし少数の集団ならば、獲物を包囲しつつ攻撃を仕掛ける事が出来るし、誰かが囮になり、敵の注意を向けさせている間に敵を殺す事も可能になる。生命の進化の中で、生物は危機の経験から集団化するようになっていった。狩られる側は大きな群れとなって移動するようになり、狩る側は効率よく獲物を仕留める為群れを組むようになった。もちろん、生物の中には一匹で生活するものもいるが、それはごく少数であり、ここでは考慮しない事にする。
 さて、集団となったのはいいが、最初の内はただ集団になっているだけだったと思われる。つまり、誰も指揮を執らないので連携した行動が出来なかった。この問題を解決する為に生まれたのが、誰かが集団のトップとなり指揮権を独占する事だった。そして、命令を聞かない者は排除するという掟も、集団化するにつれ自然と発生した。これによって、集団としての進化が発揮出来るようになったと言えるだろう。また、集団の中に上下関係というものが生まれたのもこの頃だったと思われる。ただし、この頃の上下関係はただ単に個体の強さであり、一度でも敗北を喫すれば上下関係が入れ替わった。
 集団化が進むにつれ、縄張り意識というものも大きくなっていった。元々、個体毎に縄張りを意識していたとは思うが、集団となった事でそれが強調され、集団の外の存在に恐怖感を募らせ始めた。それがやがて、集団間の争いへと発展していった。敗北した集団は勝利者の集団に吸収され、その権力化に置かれる。それが続くうち、ある一定の地域を統一するような集団へと成長していく集団が発生するようになった。上下関係に個体の身体能力以外が関係するようになったのもこの頃からだろう。まず最初に『神』という存在、あるいはそれとの意思疎通が図れるとされる者が集団の頂点に君臨するようになった。そして、次第に地位の固定化と世襲が行われるようになっていった。そして、指揮官の言葉は『神』の言葉であり、従わない者には天罰が下る、という考え方も加わった。
 そのうち、集団の頂点に立つ者の必須条件が次々と追加されていき、神格性や私有財産、そして先祖の地位までもが必要となっっていった。それによって、頂点に立つ者は決して崩れることのない基盤を手に入れた。だが、それも維持できなければ意味がない。やがてその体制が崩れると、頂点に立っていた者達は投獄され、処刑された。そして、武力と民衆の支持を持った者が頂点に立つ時代が来た。彼らは、縄張りを外敵から守る事よりも近隣を征服する事を求め、やがて世界全体で戦争を、しかも二度にわたって引き起こした。そして、新たな条件も生まれていた。それが、情報を操作して民衆を操れる能力だった。

 情報操作といえば、某情報番組で捏造・情報操作が行われていたという話題で盛り上がったり、あらゆる業界での偽装・隠蔽事件が取り上げられているが、これもまた集団を操る方法だ。集団に属する人間が全て最高水準の知識・知能を持っていれば騙されはしないだろうが、現実にはそういう事はありえない。それらしく言うだけで、簡単に騙せるというのがほとんどだ。しかも、情報操作する側・あるいは操作対象に権威があれば、民衆は更に騙され易くなる。東大が偉いという認識、あるいはこれこれこういう章を取った学者が言ってるんだから間違いない、という考え方。これも騙されていると言えよう。この程度のレベルなら、(問題になるにしても)大した騒ぎにはならない。だがそれが悪用される事もある。
 たとえば、第二次世界大戦のナチスドイツ(第三帝国)では、ヒトラーによるユダヤ人迫害が正当なものだと信じられていた。すなわち、民衆はユダヤ人こそが悪の根源であり、優れた民族である自分達が退治しなければならないのだ、という思想に疑いを持たなかったのだ。今だからこそ異常だと言えるのであって、その当時はそれが正しいと情報操作されていたので、誰も悪いと思っていなかっただろう。
 日本でも情報操作は行われていた。真珠湾奇襲で戦争を開始した日本は、1942年のミッドウェイ海戦以降旗色が非常に悪かったのだが、国民に対しては『連日連勝!帝国の兵士は奮戦している!』という嘘の情報を流していた。これもまた、今の世だからこそおかしいと言えるのであって、当時それを指摘したらその時点で牢獄行き・拷問責めだった。もし、政府が本当の事を報道していたら、日本は民衆の暴動によって即刻降伏していた事だろう。あるいは、現代の戦争のように国内外から激しく非難を受けただろう。
 こうして考えてみると、集団心理が犯罪さえも正当化してしまう事に同意すると思う。あの人は・・・だから殺してもいいだろ、と言って殺人を起こしても咎められない世界、その可能性はゼロではないのだ。そして、集団の中では絶対に従うべき掟が『・・・という条件に当てはまる人間を皆殺しにする』などであれば、ナチスのユダヤ人迫害同様に迫害・暴行・虐殺が平気で行われる可能性もある。そして、それが咎められる事がない事こそ、まさに恐怖なのだ。

 今後も、集団の中で生きる事が必要な社会は続くだろう。それは仕方のない事だ。問題は、一人一人の行動が集団内の心理に依存し続ける事だ。この集団にいる限りは、皆と同じようにこれをやらなければならない、という考えに囚われ続ければ、歴史上の悲劇は必ず繰り返される。いや、今後もっと酷い事が起こりうるかもしれない。というのも、今の世界は全てが繋がっているのだ。珪素を主成分とする半導体素子の集合体を通じ、世界各国で情報のやり取りをする現代において、情報の操作がどれほど深刻な結果を生むかは大体想像がつくだろう。しかも、この繋がった空間上では、匿名の状態で、どんな人間であっても情報が操作できる。それを悪用すれば、気に入らない人間を指定して適当に罪を擦り付け、こいつを殺せと世界各国に送るだけで幾らかの人間が食いついてくる。世界の何処にいても、見ず知らずの人間に狙われる可能性があるのだ。そんな馬鹿なと思うだろうが、人気があり信用のおけるサイトにそういった記事があれば、それを見た人間のうち何人かは信じるのだ。そう考えると、これは単なる冗談では決して済まされないとわかるだろう。

 最後に、集団心理をそのまま飲み込んだ瞬間終わりだと言っておこう。これはどんな環境下においても同じ事だ。全てを純粋に信じ、忠実に遂行した瞬間殺戮が始まる。今は単に、昼のある情報番組の後で、スーパーマーケットの商品が陳列棚から消えるだけだが。

↓↓↓CM↓↓↓
コノリンクオシテクダサイヨォ~(ペリー提督の懇願
(このブログは日記@BlogRankingに登録しています。いいなと思ったらクリックを!)
ここをクリック


FC2ランキングにも登録しています。こちらもよろしく!
FC2 Blog Ranking




最新の画像もっと見る