シリウスの環

時事問題を弄るblogと化してしまいましたw
初めの主旨から大変革・・・。

戦艦大和の沖縄特攻 (坊ノ岬沖海戦)

2007-02-20 17:30:55 | お勉強会
最近、軍事ネタが続いたのでここでもう一つ。
今回は、戦艦大和です。

戦艦大和の沖縄特攻時、燃料は片道分しか補給されなかったのか?

答えはです。
確かに、当時は燃料である重油が枯渇気味でした。
大和以外の戦艦(長門・榛名・伊勢・日向)は燃料不足のこともあり、浮き砲台として使用されました。
当初、連合艦隊司令部は大和も浮き砲台に・・・と考えていたようですが、大和の所属する第2艦隊からの強い要望もあり戦艦「大和」と軽巡洋艦「矢矧」は係留されませんでした。
とはいえ、重油が不足する状況は変わらないので、艦隊行動はほとんどできません。

そんな中、沖縄への艦隊特攻が計画されます。
米軍が沖縄上陸が始まったため、沖縄の米艦隊に打撃を与えるというものです。
当初は米艦隊を陸上基地の航空隊の攻撃範囲におびき出すとの計画だったのですが、状況の変化に伴い沖縄特攻となっていきました。
この背景には・・・
・航空隊が特攻を行うなか、水上部隊がのほほんとしていていいのか
・多額の税金を投入して建造した大和を温存したままでは国民に顔向けできない
・日本海軍の誇りである大和にふさわしい死に場所を
といった心情が働いたのでしょう。

連合艦隊司令部により沖縄特攻が立案された際、海軍軍令部は承認するとしても「燃料は片道分」しか与えられないとしていたようです。
しかし、実際に連合艦隊司令部から出された指示は、艦隊全体で2,000t以内でした。

内訳は・・・
 戦艦「大和」=1,000t(16ノットで1140海里の航行が可能)
 軽巡洋艦「矢矧」=200t(18ノットで845海里の航行が可能)
 駆逐艦8隻=各100t(陽炎型で試算すると18ノットで800海里の航行が可能)
敵機と遭遇すれば増速と戦闘機動を行うので航行距離が減少しますが・・・。
ちなみに艦隊のいた山口から沖縄までの距離は約500海里です。

以上を見ても片道分しかなかったと言うのは誤りだとわかります。
また、実際の補給業務にあたった機関参謀が「生還の生還の算少なしとは言え、燃料は片道分しか渡さないと言うことは武人の情にあらず」と考え艦隊全体で1万t超の補給が行われました。
燃料満載とまでは行かなくても、満載の7割程度が補給された計算になります。
作戦が決行された4月の海軍重油備蓄量が5万t弱なことを考えると、1/5を拠出するのはどうかと思いますけどね。
心情的には理解できますけど・・・。

4千名以上の死者を出した成果の見込めない作戦・・・
航空支援のないまま行われた作戦・・・
10隻の艦艇が参加し、6隻が沈没した作戦・・・
時代の変化により、戦果を上げることなく沈んでいった彼女たち・・・

坊ノ岬沖海戦だけでなく先の大戦で亡くなった全ての戦没者及び国を護るために沈んでしまった艦艇・航空機に敬意と哀悼の意を表したいと思います・・・。

【坊ノ岬沖海戦参加艦艇】
戦艦:大和
軽巡洋艦:矢矧
駆逐艦:初霜・冬月・涼月・雪風・磯風・霞・浜風・朝霜
 青字:作戦中止により帰還


昨年、大和ミュージアムに行った時に書こうと思って内容です。

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