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ぴあのぴあ~の うたのある生活

音楽、グリーグ、芸術、イタリア、北欧、旅…大好きなことを、ゆったり、気ままに書いています。

没後100周年 宮川香山展

2016年04月17日 16時14分21秒 | ■美術館めぐり
久しぶりに美術館に足を運びました。

明治時代の超絶技巧の技師たちの作品は、昨年岐阜の県立現代陶芸美術館で拝見する機会がありましたが、宮川香山の作品を初期の作品から順を追って鑑賞するのは初めてでした。

「眞葛焼」の超絶技巧も圧倒されますが、そこばかりに目を見やると、迷子になってしまいます。彼の世界に浸るには結構時間がかかりました。あまり技術的に凄いことに翻弄されずに、ここにある作品1つのみが自分の前にある、そんな設定で感じたままに引き込まれていくと、彼の世界にきちんと対峙できるようになっていきます。

写真を撮れるコーナーがありましたが、実際目に写ったように撮影することはとても難しいことでした。

釉薬の柔和な色味、画才にもすっかり魅了され、それらが一人の人間の作品であることを忘れるくらいでした。



ウフィッツィ美術館展

2014年11月02日 15時59分27秒 | ■美術館めぐり
久しぶりに美術館へ行きました。上野公園の喧騒をくぐり抜け、東京都美術館へ。

沢山の美術館で展覧会が開催されていますが、出展品の素晴らしさに加え、メディチ家のパトロネーゼが残した功績を背景にボッティチェリやブロンツィーノの偉業に焦点をあて、ウフィツィの特徴をきちんと踏まえた中で、出展品が選ばれているその構成力に魅せられてこちらの展覧会を選びました。

その期待を裏切らない素晴らしい展覧会でした。ウフィツィ美術館には今迄何度か行ったことがあり、ガイドさんにも付いて館内をまわったこともありましたが、ペルジーノやボッティチェリ、ブロンツィーノの魅力について、初めて腑に落ちた感じがしました。

全4章で構成されていますが、私は1章と4章のブロンツィーノが好きでした。

バルトロメオ・ディ・ジョヴァンニの『毒入りのワインの杯を祝福する聖ベネディクトゥス』やフィリッポ・リッピの2つの細長いテンペラ画は好きでしたが、ペルジーノの『哀れみのキリスト』から空気が一変しました。それまでの説明的な画風とは違い、周りの風景やアイテムの装飾は極力廃され、キリストと聖母マリア、マグダラのマリアの3人の構図と柔和な色調、目の表情に全てが託されているのです。

その流れでボッティチェリのいくつかの聖母子の作品を見ると、彼の描き出す自然な空気とマリアの目の表情の非凡さをより一層感じることができます。

さらに凄いのは、そのボッティチェリの作品を通して、彼の後ろ盾や師匠が変わる度に、その時の信念のようなものが現れると同時に、いつまでも変わらない、彼ならではの瑞々しいタッチとが同居して、まさに人間ドラマを辿れる作品が目の前にコンパクトに並んでいることです。

表現において歌にも通じる大事なことや、芸術や文化というのは、一人の職人や天才がやった偉業を指すのではなく、それは単に事の氷山の一角を見ているに過ぎず、沢山の人間や所与の条件が合間って出来上がっていくものであることなど、いろいろと考えさせられる展覧会でした。

ザ・ビューティフル 英国の唯美主義 1860-1900

2014年02月11日 07時53分52秒 | ■美術館めぐり
急にぽっかり空いた休日に、久しぶりに美術館へ足を運んだ。チラシで気を引いたものは正直なかったが、この時代の英国美術は好きだったのでふらりと丸の内へ。

以前は東京ステーションギャラリーが大好きだったが、一度閉鎖されてからは専ら三菱一号館が好きなようだ。周りの食べ物や散歩は予算的にもあまり期待できないが、建物の佇まいと、よく練られた企画力と。少し値段は高いが、裏切られたことがない。

そんな動機であまり期待せずに足を運んだが、今回も裏切ることなく、また素晴らしい内容だった。ビアズリーの「サロメ」の挿絵も相変わらずの逸品だったが、「芸術の殿堂」などロセッティの本の挿絵を見る機会は私にとっては恐らく初めてで、今迄とは違うロセッティの魅力わ堪能できた。

回廊を進み、神々しく輝く作品に釘付けになる。ローレンス・アルマ=タデマ「目に見えている結末」だ。彼の作品を見るのも恐らく初めてで、その先の「『タウンゼンド・ハウス』応接間、1885年9月10日」にもうっとり魅了されてすっかりその名前が刻みつけられた。

エドワード•ウィリアム・ゴドウィン「サイドテーブル」家具でこんなに力がある作品に出合うのは久々で何度も頭を縦に振ってしまった。この静かなシンプルさはグリーグの作品にも通じるものがあるなと。

静かなホイッスラーの絵をここまで高揚した気持ちで眺めることができるのも、この美術館ならではの演出である。

レイトンの作品は以前Bunkamuraでも魅了されたが「母と子(さくらんぼ)」もまた温かくて美しい作品。

バーン・ジョーンズ「室内履きのデザイン」も素通りできずに佇んでしまった。

最後に迎えてくれたのが、アルバート・ムーアの「真夏」。それまでの旅があまりにも素晴らしい展開で、最初の動機をここで蘇らせる。しかも、それもまた、想像を超えて美しい。唯々溜め息の中、この配色イメージのドレスをいつか着たいなとおもう。

やはりたまには美術鑑賞もしてみるものだ。

シャルダン展

2012年11月22日 19時26分51秒 | ■美術館めぐり
朝頭痛の後、蕁麻疹で耐えられなくなった。
已む無く会社を休むことになった。

まだ新しい家に入ってから1年経過していないので
生活するうえでのいろいろなトラブルがありうる。
温度の調節、湿度の調節、明るさの調節、清掃、食物の摂取…
何がどう作用して、どう改善していけばいいのか
常に実験だ。

どんなに良い備品が揃っても、それらが全て私にとって快適な形で
自動的に行ってくれるものはない。
まだまだ自分自身も自分のことを分かっていないから
修行でもある。

昼下がりの午後に漸く身体が落ち着き、日が暮れる前に
ふとある美術展に無性に行きたくなった。

あのイチゴの山の絵が見たいなあと。

いつもなら、スーツ姿で闊歩する丸の内。
暗がりに、まだビジネスマンが帰路に着かぬうちに
そそくさと美術館に入る。

新しくなった東京駅の駅舎を初めて見た。
一時期と較べて大分人ごみも落ち着いたはずだが
平日だというのに、結構な人たちがカメラを天井に向けて記念撮影をしている。

そして外に出れば、摩天楼、とまではいかないけれども
近代的な高層ビルがそびえ立つ。
私は新宿南口の横断歩道から高層ビルを臨むのが大好きだが
それと似たような高揚感を覚える。

シャルダンの絵は恐らく初めて目にする。
最初から最後までとても充実した時間を送ることが出来た。

人が少なかったのもあるけれども、どの絵も素通りできない
けれども、何か衝撃を与えるような強いインパクトを及ぼすでもない
一貫して穏やかで、暖かで、ぶれない視線を感じる。

絵の数に圧倒されることなく、1つ1つをじっくり味わう。
建物の風情、空間の風情、そして、時折現れる中庭のイルミネーションがとても美しい。
ルドンの「大きな花束」と出会えたのも、夢のような体験だった。
その歩いている道程が、絵の奥深さをさらに引き立てる。

どれも甲乙をつけ難いけれども
一番印象的だったのが「羽を持つ少女」だ。
色合いといい、表情といい、何というか、目を瞑った時にもじんわりと耳から聞こえてくる美しいハーモニーのような。
自分がまるで呼吸に集中しているときのようなゆったりとした穏やかな気持ちになれる。

「病後の食事」「セリネット」「良き教育」「二匹の兎」…良いのを挙げたら止まらなくなる。

本質を捉えて描くということが、これほどまでに人に静かな感動を与えるとは!
それは恐らく、歌うときに詩を読み込むのと似ていると思った。

マウリッツハイツ美術館展

2012年08月25日 21時18分49秒 | ■美術館めぐり
フェルメール「真珠の耳飾りの少女」を観にいきました。
意外と待たずに10分ほどで入場できましたが
この絵の前では30分待ちの長蛇の列。

…ああ、ここは日本だなあとかなりがっかりして
一番行きたがっていた友人に
この列に並ぶかどうか聞いてみたところ
並ばずに見るのと大した距離の差はない、これで十分だ。
との承諾を得、並ばないエリアのうち最も接近した距離で
この名画とご対面をしました。

距離が遠く、さらにガラス張りだったので
油絵の迫力やリアリティがその分遠のいてしまっていましたが
彼女の目の色が近くで見ると急にリアルに見えてくるのが不思議でした。
想像以上に青いのです。

レンブラント「シメオンの賛歌」、ヤン・ブリューゲルの花、ホーホーの「デルフトの中庭」
ルーベンス「聖母被昇天」など他にも名画が目白押しでした。そしてそれらにも人が群がっていました。

ベルリン国立美術館展

2012年07月11日 15時19分26秒 | ■美術館めぐり
今年もフェルメールが2点も来日するとのことで
混まないうちに早速その1つを見てきました。

フェルメールの絵の周りには、それなりに人だかりがありましたが
さすがに平日午後というだけあって、会場全体は比較的空いており、マイペースで絵を鑑賞することができました。

「真珠の首飾りの少女」

少女のあどけない表情も魅力的ですが
何と言っても一番魅力的なのは、少女と鏡の間に広がる白い壁です。
壁を縁取る硬質感のあるタッチで描かれた窓枠や鏡、精巧な調度品、そして少女
それぞれの関係性が白い壁の上で呼応しあって物語の妄想が書き立てられます。


祭 ~遊楽・祭礼・名所

2012年07月11日 12時41分32秒 | ■美術館めぐり
今日は学芸員さんのレクチャーを聞きながら、絵を鑑賞できる機会がありました。

祭礼図や遊楽図を通して、当時の江戸の文化や庶民の様子を伺い知ることができます。
これらを遊楽・祭礼・名所という3つのテーマに焦点を宛てて、時代を追ってその変遷を絵で確認できました。

祇園祭、三社祭の生い立ちや、絵師がどんな思いでこれを描いたのか?ということについても興味深かったのですが
歌舞伎が現代にも通ずる形式が確立するまでの変遷を絵を追って確認できたり
新興都市江戸がどのように作られていったのか、そして江戸時代にはどこにどんな文化が栄えていたのかを
遊楽図から確認できたのがとても面白かったです。

最後に出光美術館のコレクション沿革についても説明を頂きました。
仙崖という禅僧の何とも言えなく愛らしく、奥深い水墨画や
思わずさすりたくなる唐津茶碗など
癒しの美を追求したコレクションが多いことを知りました。

企画された方、今回展示企画学芸員の丁寧且つ思いの伝わる説明に触れ
約2時間に渡って、久しぶりに密度の濃い、教養深い有難い時間を過ごすことができました。
また機会を見つけて勉強しにいきたいと思っています。

フェルメールからのラブレター展

2012年01月13日 22時39分48秒 | ■美術館めぐり
今年もBunkamuraにフェルメールがやってきました!

昨年は震災直後に「地理学者」を観にいきました。
地理学者の眼差しに、自分の生きる志を重ねたことを思い出します。

今日は3点もの手紙にまつわるフェルメール作品を観られた上
同時代の秀作も、程よい展示数で鑑賞できました。
最近は、展示数が膨大なものより、
少なくても選りすぐりの展示をするケースが増えてきて、
とても有意義な時間を過ごすことができます。

フェルメール3点、どれも素晴らしかったですが
とりわけ「手紙を読む青衣の女」の世界に引き込まれていきました。
今では手書きの手紙を書く機会が少なくなりましたが
手紙のよさを思い起こさせる、素晴らしいモチーフがそこにありました。

手紙は出すまでにいろいろな試行錯誤をします。そして出してから届くまで時間がかかります。
けれども、もらった人には大きな感動があります。
当時は便利さ、効果的な表現手段としても魅力だったのかもしれませんが、
今改めて手紙というツールの表現力に惹かれます。

金曜日の夜、こんなに空いていると思わなかったので
何度も名画の前に佇みました。
とても優雅な一時を満喫しました。

ヴェネツィア展

2011年10月09日 22時27分40秒 | ■美術館めぐり
この題名を聞いて、「でかした!」と何の前情報も入れずに
江戸東京博物館へ出かけました。

きっとあるだろうと思っていた画家の絵が沢山来ていました。

ピエトロ・ロンギ

私の大好きな画家です。
昨年のイタリア旅行で、念願の彼の画集は買うことが出来たものの
10年ぶりのイタリア、10年ぶりのヴェネツィアだったのに
両親を連れ「カ・レッツォーニコ」まで辿りつけなかったのです。
今日震災を経て、日本の地で上野の森美術館の展覧会以来の
これだけ沢山のロンギ作品を見ることができて、夢のようでした。

彼そのものの描いた作品は、数えるだけでしたが
「香水売り」をじっくり観ることが出来てよかったです。

街の模型が作られ、展示されていたのも
江戸東京博物館らしく、いい展示だと思いました。
ヴェネツィアの魅力は細い迷路のような道と大小の運河、高く続く宮殿の壁と広場
水と空それらが織り成す空間芸術だからです。
ここに立ったら、何もかもが美しく見え、誰もが物語の主人公を感じずにはいられません。

ヴェッリーニの作品は、さすがに1点しか来ていませんでしたが
カナレットやティントレットなども来ていました。

最後のほうにあったカルパッチョの「二人の貴婦人」
チラシになるだけあって、謎めいていて美しかったです。

パウル・クレー おわらないアトリエ

2011年07月01日 22時25分47秒 | ■美術館めぐり
会社の帰り、母と落ち合って東京国立近代美術館に行った。

パウル・クレー 彼の作品を主題とした展覧会には、何度も足を運んだことがあるが
今回は作品の質も色彩豊かで見応えがあるものが多く
且つ展示の仕方、主題もとても興味深いものだった。

まず、私の心の琴線に触れたのは「北の森の神」。彼が非売品として手元に残した作品群「特別クラス」の一つだ。
森の静けさ、光を感じるとともに、温度や香りまで伝わってくる。ただ優しいだけでなく、どこか魅惑的な、しかも在る局面においてはとても冷徹で厳しいシニカルな空気。それらが併存している。自分の故郷を思う気持ちの奥に、グリーグ、しかも「山の娘」のブッカトレフが見えたように思った。色と色とのハーモニー。個々の大きさ・色・そして配合。まさに音楽の構成要素と同じだ。ぼんやりとした追憶の中に真実を垣間見るような体験だった。そして未来にはばたく重要なアイディアというのは、こういった過去からの構成要素をきちんと整理し、自由に遊ばせ、運動を作ることによって初めて見えてくる。

次に現れたのが「花ひらいて」。これだけでも、未来志向の色のハーモニーが花を思う優しい気持と呼応して、胸がジーンと熱くなったが、さらに周囲の解説、その10年前に作られ、この絵の原型となったという「花ひらく木」との間に立ち、宇宙的な空間を感じた。

さらに奥に進むと、今回のメイン4つの「技法」プロセスを体験できるコーナーに入る。
「油彩転写」最初の説明を聞いた時、なんでこんな面倒なことをするのか分からなかったけれども、その作品工程を辿って改めてプロセスの大切さを思った。この工程を経ないと、最後の作品はあり得ないのだなと。
「切断」された作品群。分離されて、初めて良さが出てきたもの、混迷を極めたもの、いろいろあったけれども、タイトルの意味がそれらを一緒に観ることでよくわかった。

最後のブースは「特別クラス」の作品たち。私にはどこが特別なのかが分からないものもあった。
そして、思いがけないところで、とても観たい作品と巡り合えた。

「人形劇場」

クレーの展覧会に行くと、未だに三善晃の「クレーの絵本」が頭の中をぐるぐる回る。
谷川俊太郎がクレーの絵にちなんで詠まれた詩に三善が音楽をつけた合唱曲である。
中でも「あやつり人形劇場」の歌が好きだった。
その歌のインスピレーションとなった絵である。
一言で言うと「キュート」である。
こんなに甘酸っぱくて、おしゃまで色っぽくて、つやつやした絵があるだろうか?
母もこの絵にくぎ付けだった。目にハートが出ているような顔をしていた。
女性なら誰しもこの絵を見て、子供のころ、ピンクのものに憧れたころの気持ちに還るだろう。

クレーのアトリエをくぐると出口だった。どこからともなくチェロの音が聞こえるなと思ったが、どうやらこの部屋からだったようだ。