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ぴあのぴあ~の うたのある生活

音楽、グリーグ、芸術、イタリア、北欧、旅…大好きなことを、ゆったり、気ままに書いています。

ドガ展

2010年11月07日 22時56分17秒 | ■美術館めぐり
一日気ままに過ごしたいと、横浜みなとみらいへぶらりと行きました。

APEC開催直前とあって、厳重な警備や、APEC関係のバスが沢山止まっていました。


そこを抜けると、横浜美術館です。


今日はドガの絵を堪能したくて、はるばるここまで来てしまいました。

今都心の大きな展覧会は一段落してしまっているので
芸術の秋を楽しみに結構混雑しているのではと心配でしたが
意外とゆったり入れました。

ドガといえば、踊り子の絵。1つの展覧会に大抵1、2点しかお目にかけず
彼の作品に触れる機会は殆どなかったように記憶しています。
それもそのはず、日本国内では、21年ぶりの大回顧展。

ドガの画家としての生業を余すところなく体感できる
そんな展覧会でした。

最初、ドミニク・アングルの弟子を師として、アングルにあこがれて古典主義の研鑽をされます。
「バビロンを建設するセラスミス」のための習作を見ると、彼が人のどんな姿勢や動きに惹かれるのかがよく分かります。
この絵をしっかり見ておくことで、彼の生涯貫いた美的感覚を読み解くカギを得ることが出来ます。

この頃出来たロンシャンの競馬場を舞台に、競馬の情景、特に馬と騎手の動きについてスポットライトをあて
結構な量の絵を描いています。

肖像画も、モデルの雰囲気や場の状況を的確に表現していて、興味深い作品が多かったです。
特に、その作品から、マネやモリゾ一族などと交流があったこと、ドガの家庭では、祖父母の代からよく音楽家を家に招くほどの
音楽一家であることなど、彼を取り巻く周辺の様子が伺えたことが面白かった。

そして、何室か回った後、いよいよ、かの有名な踊り子の絵たちが出てきます。
彼の踊り子の絵の中でも、最も有名な作品2点
「エトワール」「バレエの授業」を、人も少なく、結構食い入るように見られて幸せでした。
「エトワール」はまるで、絵の後ろ側からスポットライトが当たっているかのように見えます。
背景には舞台裏の様子が描かれています。何にこだわり、何を捨てるかが綿密に計算されている絵だなと思いました。
踊り子の身体のしなやかさと重心について、相当デッサンを重ねたからこそ生み出される、このエトワールの軽やかさと華やぎ。
それは、部屋の入口に置かれている「14歳の小さな踊り子」というブロンズからも見て取れます。
足の角度と重心、デコルテの開きと肩甲骨の寄り、顎のライン…このあたりを相当に研究していたように思います。
「バレエの授業」の中心にいるのは、「ジゼル」の振付師ジュールペローだそうです。つい最近まで放映されていた「スーパーバレエレッスン」でも取り扱われていた「ジゼル」。そのときの講師であり、本企画の広報大使である吉田都さんの踊りがよみがえりました。

風景画なども何点か見終えた後、「浴女」のコーナーがやってきます。
ドガは1880年頃から、「浴女」をテーマにした作品を多く描いています。
この展覧会の出品が偶々そうだったのか、全体としてもそうなのかわかりかねますが、普通の女性が無心に腰をかがめて身体を洗ったり、髪をすいたりしている姿ばかりを描いていました。その姿勢は、古典主義、踊り子の時代から何か一貫としたものを感じました。

ドガは早くから写真にも興味があったと聞きますが、その作品を見るに、焦点を合わせることで、動的な不純物を取り除き、一瞬の輝きを捕らえることにあったのではないかと思いました。

最後にこれまで彼が作ったブロンズ群が鑑賞できます。晩年視力が弱くなり、絵画の活動はなくなり、そのかわりに、彫刻作品を多くアトリエに残したとされます。晩年20年より前の作品は、踊り子の決定的瞬間を型取り、スタイルも細身のものが多いのですが、最後の15年ほどに作られた3点は、ボテボテだし、小さなだまのような塊があちこちについていて、一見「何だこれは?」と思うようなのですが、目が見えなくなっても、最後の最後まで「右手で右足を掴む踊り子」や「靴下をはく踊り子」「両手を背に、右足を前に出して休む踊り子」の姿を愛おしい姿として刻んでおきたいという思いがほとばしり、全く無心の境地を表出された魂に出会ったような気がして、思わず涙がこみあげてきました。

同じ表現者として、こんなにも純粋な気持ちで、最後枯葉果てることができるだろうかと。

この回顧展の余韻を醸成してくれるかのように、横浜美術館のコレクション展に流れることができたのも良かったです。
私の大好きなダリの絵に4点もめぐり合えました!


鑑賞後、チケットを持ってKIHACHIイタリアンの特別ランチも頂きました。

前菜


パスタ


窓からの眺め


最後に紅葉もちらり。





いつのまにか、すっかり秋です。

ウフィッツィ美術館自画像コレクション

2010年10月02日 23時15分28秒 | ■美術館めぐり
ここのところ美術館づいていますが、秋ですので。
そしてストレスが溜まるとその頻度も高まるということでバランスを取るのです。

最近は、人の混雑がないにも関わらず、良質で、しかも1時間見ておけば十分堪能できる
展覧会が多くなって嬉しい限りです。

今日の展覧会も、想像以上に素晴らしかったです。

1664年以降、現在に至るまで、ウフィツィ美術館が1700点にも及ぶ有名画家の自画像をコレクションしており、それが一般公開されていなかったということを初めて知りました。
「自画像が芸術のスタイル・芸術館・世界観・自意識などのすべてを内包している」と考えた当コレクション創始者レオポルド・デ・メディチの先見性は凄いです。しかもそれが、今日まで脈々と受け継がれてきているのですから。

一つ一つの自画像の前で、しばらく佇み、対話を交わすこともできるし、雑踏の中のように通り過ぎることもできる。不思議なことに、巨匠の自画像は何かパワーを感じます。キャンバスは自分の演出の場、アピールの場でもあると同時に、全てを見透かされてしまう客観的な鏡のようでもある。その葛藤の中で、どう落ち着いていくのか。芸大の卒業制作にもなるほど、実に難しいテーマだと思います。

描き方も様々です。顔だけを書く人、自分を取り巻く周りやアイテム、服にもこだわる人、思い切り抽象化、デザイン化して、人の形すら残っていない人…。

どの絵も、おいそれと後に出来ないほど、パワーがあったのですが、一番印象的だったのは、ベルニーニの自画像でした。シンプルなのですが、佇まいがとっても魅力的。

アントワープ王立美術館コレクション展

2010年09月26日 14時48分39秒 | ■美術館めぐり
今日も冷えた心身を温めるべく、美術館に行ってまいりました。
東京オペラシティアートギャラリーには初めて足を運びました。
天井が高くて、面積もあまり大きすぎず、階段の上り下りもなく、良いところですが
若干椅子が少ないようにも思えました。

”アンソールからマグリットへ ベルギー近代美術の殿堂”
とあるので、アンソールやマグリットなど有名どころのベルギー画家数名の展覧会かと思っていましたが
19世紀末から20世紀中ごろまでのベルギー出身の画家39作家の70作品の展示でした。

ブースの中では、第1章「アカデミスム、外光主義、印象主義」が好きで3巡くらいしてゆっくり鑑賞しました。
特にジャン・バティスト・デ・グレーフ「公園にいるストローブ嬢」リズミカル且つ洗練された色彩がすごく気に入り
見とれていました。
その他、ルイ・アルダン「海景」、フランツ・クルテンス「陽光の降り注ぐ小道」、アンリ・エヴェヌール「ボックス席」
シャルル・メルテンス「カルヴァリーの庭」、グスターヴ・デ・スメット「雲」、ヤン・ストパーツ「バラのシャワー」
など、画風に個性をかけた画家の感性をじっくり堪能しました。

このブースに展示されていた画家の中で、何人か北欧へ渡った画家の名前もありました。
アフルレッド・ウィリアム・フィンチは、陶芸工房を主宰するため、ブリュッセルからフィンランドのヘルシンキへ移住し
その後もそこで余生を過ごしました。ウィリアム・アンリ・シンガーは、アメリカのピッツバーグ出身で鉄鋼王と呼ばれた父の相続を受け、あまりビジネスに興味がなく、渡欧したらしいのですが、最終的にはノルウェーのオルデンで余生を過ごしていたようです。ベルギーも北欧との交流が結構あるのだなと思いました。

第2章「象徴主義とプリミティヴィズム」、第3章「ポスト・キュビスム:フランドル表現主義と抽象芸術」は
その流れはわかりましたが、立ち止まって親しみや感動を覚えるものはありませんでした。

第4章「シュルレアリスム」のマグリットの絵は、やはり良かったです。「9月16日」静謐な月夜の風景かと思いきや、月の背景にあるのは、夜空ではなく、何と「木」なのです。何食わぬ顔で、見ているほうが、むむむっと思うような騙しを犯すのです。しかもさわやかに。見終わった後の葛藤が、言語化されないまま私達の脳裏を奪ってしまいます。茶目っ気たっぷりに。私達もそれを分かっていながら、その罠にまたはまりに行く。「リベンジ」もそう。

ふと豊かな気持ちになる午後のアートタイムでした。

シャガール ロシア・アヴァンギャルドとの出会い

2010年09月24日 22時54分37秒 | ■美術館めぐり
今晩は会社を抜け出して、東京藝術大学大学美術館まで行ってきました。
急に涼しい風が吹く中、閉館間際に駆けつけました。

シャガールをテーマにした展覧会は、今までも日本で何度か開催されているように思いますが
どういうわけか一度も足を運んでなかったような気がします。

今日は無性にシャガールを見たくなっていました。

美術館に到着するまでは、テーマもチェックしていかなかったのですが
ロシアの同時代の芸術家の作品と一緒に代表作が見られるという
これまた私好みの展覧会でした。

最初のほうに展示されていた「死者」という絵が
最も感動しました。
すごくプリミティブなモチーフが描かれていて
彼の芸術の源泉にめぐり合えた気がしました。

次に好きだったのが、モーツアルト「魔笛」の舞台美術シリーズ。
この部屋だけ黄色い壁に展示されていたのがとても効果的でした。
私はポンピドーセンターには行ったことがありませんし
彼がどんな芸術活動に絡んでいたのか具体的にはあまり良く知りませんでしたが
「魔笛」とシャガールは、ドンピシャな相性だなと思いました。
舞台衣装のスケッチも、鮮やかな色彩に、さらにそのイメージとなる布地が
貼ってあり、そのはじけるばかりの自由な躍動感は爽快でした。

シャガールの絵に時折出てくるロシア正教会のモナスタリ(大聖堂)を見つめていると
彼の祖国への思いがひしひしと伝わってきます。
そして、ラフマニノフの「ヴォカリーズ」のメロディーが頭をよぎります。

カポディモンテ美術館展

2010年08月01日 14時28分49秒 | ■美術館めぐり
実は大物展覧会が暑い中続々と開催されているのですが
悩んだ挙句、今日は上野 国立西洋美術館に行きました。

この炎天下、並んでいたら嫌だなあと思いましたが
まだ、開催期間半ばくらいなのもあり、比較的スムーズに入れました。

作品数もそれほど多くなく、ゆっくり見ることが出来ました。

パルミジャニーノ「貴婦人の肖像(アンテア)」も素敵でしたが、絵の中ではフランチェスコ・アルバーニ「栄光の聖エリザベッタ」が良かった。右下の火の中に放り込まれる男に釘付けでした。周りの絵が割りと劇的且つ大きい絵が多かったので、この細かい芸が妙にツボでした。

あと、ランプとか杯とか、彫刻も素晴らしかった。

聖書に基づくテーマが多かったですが、マグダラのマリアの中では、フセペ・デ・リベーラの「悔悛するマグダラノマリア」が一番入って行きやすかったです。聖アガタの話は今日始めて知りましたが、乳房を切られる前(マッシモ・スタンツィオーネ「聖アガタの殉教」)と乳房を切られた後(フランチェスコ・グアリーノ「聖アガタ」)とが同時に見られるのは、すごく劇的。

ルネサンスから始まりますが、出てくるときには、すっかりバロック味に毒されて退場でした。
私は、どっちかっていうと、ルネサンスが好きなのよね…。

北海道 2010年夏 ~道立三岸好太郎美術館~

2010年07月04日 11時10分42秒 | ■美術館めぐり
メインイベントが終わり、ほっと一息。もう少し時間があったので
札幌駅までの途中にある三岸好太郎美術館に足を運びました。

あまり多すぎず、少なすぎず、丁度良く、しかも三岸好太郎の作品を堪能できます。
私が好きだったのは、展示室3の女性の肖像画と、道化シリーズの絵です。

独自のスタイルを確立し、且つ自由でゆるぎないタッチが、北海道の自然を思わせるようでした。

生誕150年記念 アルフォンス・ミュシャ展

2010年06月20日 23時43分49秒 | ■美術館めぐり
最近また美術館づいていますが、今朝、日曜美術館を見ていたら
三鷹でミュシャの展覧会をやっているというのを知り
早速駆けつけました!

三鷹市美術ギャラリーは、初めて足を運びましたが
三鷹駅南口と直結していて、非常にアクセスが良いのにびっくり。

観覧料も800円の割には、オルセーやプラハ国立美術館所蔵のものも含み、時代もほぼ網羅的に配された150点はかなりお得でした。ただ、とても小さいギャラリーなので、人が殺到するとちょっと厳しいかなと思いますが。

もう一つ驚きが、今回の出品の殆どは、日本のコレクションのものであるということ。
現在は、大阪府堺市が所有しているそうですが、元々「カメラのドイ」の創業者である土居君雄さんが生前集めたものだそうです。

実は、数年前に都内でミュシャ展をやった時に見ているので、半分くらいは、一度は見たことのある作品でした。けれども、いつみても、美しい女性達にため息が出てしまいます。どの女性も、品があって。

何か1枚、印象的な作品を挙げるとすれば「桜草」です。

オルセー美術館展2010「ポスト印象派」

2010年06月18日 22時35分14秒 | ■美術館めぐり
父と一緒に美術館に行きました。

今回は、オルセーの傑作115点が一堂に会する空前絶後の展覧会とのこと。混雑が心配でしたが、金曜夜で、且つまだ会期半ばというのもあり、比較的ゆったり見ることが出来ました。

正直あまり期待をしていなかったのですが、半数以上が初来日とあって、とても新鮮な感動を覚えました。
まず最初に、ドガの好きなタイプの踊り子の絵が迎えてくれます。
モネ、セザンヌ、あたりは、中でも選りすぐりの作品で半ば信じられない気持ちで意外とすうっと行ってしまったのですが
スーラーが良かったです。今までも、何度となく彼の作品を見る機会はありましたが、あまりピンと来ませんでした。
けれども、「ポーズする女」シリーズは、とても瑞々しくて、且つドリーミーで、スーラーの美の思いがジーンと伝わってきて、描くって素敵だなあと思いました。

ゴッホ、ゴーギャンも傑作ばかりでした。彼らのは、最初から最後まで通しで見てしまうと「ああ、やっぱり私には着いていけない」感が走るのですが。「星降る夜」「牛のいる海景」は、生は圧巻でした。

一番好きだったのは、「ポン=タヴェン派」「ナビ派」「内面への眼差し」のコーナーでした。
ヴュイヤール、ドニの作品は、ベターっとしているけれども、とてもシンプルで「結局こういうことだよね?」ということがダイレクトにきます。そして何よりもおしゃれでカワイく神秘的。キューンと来ちゃいます。どれもすごく気に入りました。

ボナールの作品も沢山来ていました。会社の同僚に、ボナールが好きな人がいるのですが、あまり作品数を見たことがなく、返事に困っていましたが、今日は沢山拝見して、ボナールの魅力を堪能しました。実際の形と比べるといびつですが、でも特徴を捉えていて、表情やしぐさが何とも言えず、ふさふさと触りたくなるような猫ちゃんの絵、官能的な男女の絵、ヨーロッパの街並みを訪れると、思わずこんな風景見たさに高いところに登りたくなるよね、と思うような「ル・カネの見晴らし」などなど。

そして最後に自分のツボ。ルドンとモローの傑作!ルドンの「目を閉じて」:版画の世界から、色彩のある絵を描き始めた転記の作品とのことでしたが、夢の世界に浸るような、幻想的且つリアルな色のパレットが画面に巧妙に置かれています。言葉にならない、目にも見えない、形の前の世界に誘い込まれるような感覚を覚えます。モロー「オルフェウス」:どうしてこんなに素敵な絵が自分の前にあるのだろう。ここから私はお家に帰ることができるんだなとひしひしと幸せを噛み締めました。

ミュージアムショップでは、沢山のグッズが売っていましたが、何と、自分はこんなときにお財布の中身がかなり貧弱でした。
特にクリアファイルは、気に入ったのがあると、結構沢山買ってしまうのですが、今日は泣く泣く置いて帰ります。
その中の選りすぐりの1点として選んだのが、今期来日した115点が全て載っているクリアファイル。これを手に取り、改めて見直してみると、フランスの誇りを感じます。

マネとモダンパリ

2010年06月13日 16時39分29秒 | ■美術館めぐり
三菱一号館美術館へ初めて足を運びました。

まずは、カフェランチを狙いました。まだランチ時間中でしたが、既に完売。
考えてみれば、東京の中心地。いいと分かれば、皆殺到するわけです。
オープンしてから数ヶ月経つので、そろそろ空くかなと待望していたのに、甘かったですね。
土日行かれる方は、開店同時を狙ったほうがよさそう。

私達は地階のレストランの一角でお腹を満たしましたが、それだけでは終わりませんでした。
チケット売り場にも、待ち時間15分程度の列ができます。

ただ、中に入ってしまえば、それほど苦になりませんでした。
割と絵の近くで鑑賞できましたし、絵の前で人が滞留する光景も殆ど目にしなかったような。

建物が素敵でした。部屋と部屋をつなぐ廊下からも、お庭の様子が見えました。

さて、マネの絵ですが
どれも素敵でしたが、特に印象的だったのは「温室のマネ夫人」。この絵を見たときに、何故か釘付けになってしまって。
どうしてそう思ったのかわからないのですが、マネの愛情豊かな眼差しを温度で感じるような絵でした。

マネの絵を見ていると、満月は本当は小指の先よりも小さい大きさなのに、実際とても大きく見えるのと同じ演出を再現しています。花を見るとき、素敵な人に目線が行くとき、私達は知らないうちにそこにフォーカスをあて、あとは、心的に、信じられないくらいソフトフォーカスで情報を捉えています。その捉え方そのものが、自分を揺り動かし、人をも揺り動かすのだということを、マネはよく知っていて、その仕掛けを絵画という装置で創造せんとした人なのだと思いました。

最後のほうにあった、静物画のレモンも好きでした。何でこんなアングルから捉えるんだろうと言わずにはおれないほど
どこかはみ出ていて、中途半端で、曲がっているのです。でも、その切り取り方そのものが、マネの個性として印象に残ります。

同じ印象を持った人が大勢いたようで、ポストカードは売り切れていました。

歌川国芳展

2010年04月11日 12時18分05秒 | ■美術館めぐり
午前中身軽になったので、美術館へ行きました。
大抵のバスは、美術館の目の前で止まってくれますが、偶々私の時間帯は、そのバスがなく、少し歩く方のバス停から歩くことになりました。

けれども、お陰で、桜吹雪の中を歩くことができました。

歌川国芳といえば、猫の絵。そして「みかけハこハゐがとんだいい人だ」に代表されるような”しゃれ”を利かせた絵が有名ですが、この展覧会は枠に留まらないアーティスト国芳の魅力を前期、後期230点もの作品によって余すことなく堪能できます。

江戸時代の最後期、老中水野忠邦が中心となって進められた「天保の改革」によって、様々な娯楽に弾圧が加えられ、遊女の絵や役者の似顔絵が禁止されたことが背景で、猫の当て字や、落書きタッチの「むだ書き」、魚や鳥、猫を役者や遊女に見立てた絵などが描かれていたことを知り、人間の創造力というのは、苦境あってこそ花開くのだなと改めて思いました。

どの絵も斬新で奇想天外で、ユーモアがあって、お腹が常に笑っている状態で鑑賞しました。いろいろなことが勉強になって、目録にメモを取りながらじっくりと回りました。
選ぶに選びがたいのですが、その中のノートを一部抜粋します。

「鬼-法眼三略巻 中村歌右衛門の鬼- 尾上梅幸の牛若」
漆黒と若草色、緑、ピンクのコントラストが斬新で且つ、とても春らしく思えました。

「当流女諸礼躾方 はおりたたみやう」
着物の柄がいろいろ斬新なものが沢山ありました。この絵はカエルの柄の着物でした。

「魚の心」
魚の絵ですが、当時の人気役者の似顔絵です。

「百種接分菊」
1本の木に異なる100種の菊を継いで花を咲かせるという話が1845年に話題となりました。菊もすごいけど、短冊がすごい、好きです。

「子供遊八行の内 礼」
子供の表情もいいですが、人形の表情もいいです。手の抜き加減が。

「源頼光公館土蜘作妖怪図」
「化物忠臣蔵」
「道外化もの夕涼み」
なんてカワイイ妖怪なんでしょう!

「浅草奥山生人形」
生人形とは、人間をリアルに作った人形で、当時見世物として流行したそうです。
いくつかこの生人形をテーマにした作品がありましたが、この作品は古代中国の足長手長をモチーフにした生人形の絵でした。以前「提物屋」さんで根付を拝見したときに、この足長手長の作品を数多く見ました。この時代に実像として、こういった文化に庶民が触れる機会があったのだなと改めて感銘を受けました。

「誠忠義士伝 富守祐右衛門正固」
真面目さ、実直さをこのような形で表現できるとは。

「静御前図」
版画だけでなく、この作品以外にも肉筆画があったのですが、どれも素敵。特にこの作品の凛とした感じが好きでした。

「橋と富士山の見える風景図」
羽田の風景のようでしたが、社があったり今とは全然違う風景で、びっくりしました。
この時代の版画は、昔の江戸の風景を再確認できるのが魅力です。

「東都橋場之図」
お地蔵さんの顔と人の表情が、とてもほのぼのとしていて好きでした。

「おぼろ月猫の盛」
吉原の絵が禁止されていたので、猫でその様子を表現。猫の文様やポーズが何とも色っぽい。

「色真申歳春の寿き お茶のこけん」
鶴、亀、松ノ木を人に模して描かれています。

「諸鳥やすうりづくし」
鳥が物売りになって描かれています。しかも売っているのは…!

「其のまま地口猫飼好五十三疋」
猫だじゃれの東海道五十三次。このユーモア、猫の表情!ごちそうさまです。