一日気ままに過ごしたいと、横浜みなとみらいへぶらりと行きました。
APEC開催直前とあって、厳重な警備や、APEC関係のバスが沢山止まっていました。

そこを抜けると、横浜美術館です。

今日はドガの絵を堪能したくて、はるばるここまで来てしまいました。
今都心の大きな展覧会は一段落してしまっているので
芸術の秋を楽しみに結構混雑しているのではと心配でしたが
意外とゆったり入れました。
ドガといえば、踊り子の絵。1つの展覧会に大抵1、2点しかお目にかけず
彼の作品に触れる機会は殆どなかったように記憶しています。
それもそのはず、日本国内では、21年ぶりの大回顧展。
ドガの画家としての生業を余すところなく体感できる
そんな展覧会でした。
最初、ドミニク・アングルの弟子を師として、アングルにあこがれて古典主義の研鑽をされます。
「バビロンを建設するセラスミス」のための習作を見ると、彼が人のどんな姿勢や動きに惹かれるのかがよく分かります。
この絵をしっかり見ておくことで、彼の生涯貫いた美的感覚を読み解くカギを得ることが出来ます。
この頃出来たロンシャンの競馬場を舞台に、競馬の情景、特に馬と騎手の動きについてスポットライトをあて
結構な量の絵を描いています。
肖像画も、モデルの雰囲気や場の状況を的確に表現していて、興味深い作品が多かったです。
特に、その作品から、マネやモリゾ一族などと交流があったこと、ドガの家庭では、祖父母の代からよく音楽家を家に招くほどの
音楽一家であることなど、彼を取り巻く周辺の様子が伺えたことが面白かった。
そして、何室か回った後、いよいよ、かの有名な踊り子の絵たちが出てきます。
彼の踊り子の絵の中でも、最も有名な作品2点
「エトワール」「バレエの授業」を、人も少なく、結構食い入るように見られて幸せでした。
「エトワール」はまるで、絵の後ろ側からスポットライトが当たっているかのように見えます。
背景には舞台裏の様子が描かれています。何にこだわり、何を捨てるかが綿密に計算されている絵だなと思いました。
踊り子の身体のしなやかさと重心について、相当デッサンを重ねたからこそ生み出される、このエトワールの軽やかさと華やぎ。
それは、部屋の入口に置かれている「14歳の小さな踊り子」というブロンズからも見て取れます。
足の角度と重心、デコルテの開きと肩甲骨の寄り、顎のライン…このあたりを相当に研究していたように思います。
「バレエの授業」の中心にいるのは、「ジゼル」の振付師ジュールペローだそうです。つい最近まで放映されていた「スーパーバレエレッスン」でも取り扱われていた「ジゼル」。そのときの講師であり、本企画の広報大使である吉田都さんの踊りがよみがえりました。
風景画なども何点か見終えた後、「浴女」のコーナーがやってきます。
ドガは1880年頃から、「浴女」をテーマにした作品を多く描いています。
この展覧会の出品が偶々そうだったのか、全体としてもそうなのかわかりかねますが、普通の女性が無心に腰をかがめて身体を洗ったり、髪をすいたりしている姿ばかりを描いていました。その姿勢は、古典主義、踊り子の時代から何か一貫としたものを感じました。
ドガは早くから写真にも興味があったと聞きますが、その作品を見るに、焦点を合わせることで、動的な不純物を取り除き、一瞬の輝きを捕らえることにあったのではないかと思いました。
最後にこれまで彼が作ったブロンズ群が鑑賞できます。晩年視力が弱くなり、絵画の活動はなくなり、そのかわりに、彫刻作品を多くアトリエに残したとされます。晩年20年より前の作品は、踊り子の決定的瞬間を型取り、スタイルも細身のものが多いのですが、最後の15年ほどに作られた3点は、ボテボテだし、小さなだまのような塊があちこちについていて、一見「何だこれは?」と思うようなのですが、目が見えなくなっても、最後の最後まで「右手で右足を掴む踊り子」や「靴下をはく踊り子」「両手を背に、右足を前に出して休む踊り子」の姿を愛おしい姿として刻んでおきたいという思いがほとばしり、全く無心の境地を表出された魂に出会ったような気がして、思わず涙がこみあげてきました。
同じ表現者として、こんなにも純粋な気持ちで、最後枯葉果てることができるだろうかと。
この回顧展の余韻を醸成してくれるかのように、横浜美術館のコレクション展に流れることができたのも良かったです。
私の大好きなダリの絵に4点もめぐり合えました!
鑑賞後、チケットを持ってKIHACHIイタリアンの特別ランチも頂きました。
前菜

パスタ

窓からの眺め

最後に紅葉もちらり。


いつのまにか、すっかり秋です。
APEC開催直前とあって、厳重な警備や、APEC関係のバスが沢山止まっていました。

そこを抜けると、横浜美術館です。

今日はドガの絵を堪能したくて、はるばるここまで来てしまいました。
今都心の大きな展覧会は一段落してしまっているので
芸術の秋を楽しみに結構混雑しているのではと心配でしたが
意外とゆったり入れました。
ドガといえば、踊り子の絵。1つの展覧会に大抵1、2点しかお目にかけず
彼の作品に触れる機会は殆どなかったように記憶しています。
それもそのはず、日本国内では、21年ぶりの大回顧展。
ドガの画家としての生業を余すところなく体感できる
そんな展覧会でした。
最初、ドミニク・アングルの弟子を師として、アングルにあこがれて古典主義の研鑽をされます。
「バビロンを建設するセラスミス」のための習作を見ると、彼が人のどんな姿勢や動きに惹かれるのかがよく分かります。
この絵をしっかり見ておくことで、彼の生涯貫いた美的感覚を読み解くカギを得ることが出来ます。
この頃出来たロンシャンの競馬場を舞台に、競馬の情景、特に馬と騎手の動きについてスポットライトをあて
結構な量の絵を描いています。
肖像画も、モデルの雰囲気や場の状況を的確に表現していて、興味深い作品が多かったです。
特に、その作品から、マネやモリゾ一族などと交流があったこと、ドガの家庭では、祖父母の代からよく音楽家を家に招くほどの
音楽一家であることなど、彼を取り巻く周辺の様子が伺えたことが面白かった。
そして、何室か回った後、いよいよ、かの有名な踊り子の絵たちが出てきます。
彼の踊り子の絵の中でも、最も有名な作品2点
「エトワール」「バレエの授業」を、人も少なく、結構食い入るように見られて幸せでした。
「エトワール」はまるで、絵の後ろ側からスポットライトが当たっているかのように見えます。
背景には舞台裏の様子が描かれています。何にこだわり、何を捨てるかが綿密に計算されている絵だなと思いました。
踊り子の身体のしなやかさと重心について、相当デッサンを重ねたからこそ生み出される、このエトワールの軽やかさと華やぎ。
それは、部屋の入口に置かれている「14歳の小さな踊り子」というブロンズからも見て取れます。
足の角度と重心、デコルテの開きと肩甲骨の寄り、顎のライン…このあたりを相当に研究していたように思います。
「バレエの授業」の中心にいるのは、「ジゼル」の振付師ジュールペローだそうです。つい最近まで放映されていた「スーパーバレエレッスン」でも取り扱われていた「ジゼル」。そのときの講師であり、本企画の広報大使である吉田都さんの踊りがよみがえりました。
風景画なども何点か見終えた後、「浴女」のコーナーがやってきます。
ドガは1880年頃から、「浴女」をテーマにした作品を多く描いています。
この展覧会の出品が偶々そうだったのか、全体としてもそうなのかわかりかねますが、普通の女性が無心に腰をかがめて身体を洗ったり、髪をすいたりしている姿ばかりを描いていました。その姿勢は、古典主義、踊り子の時代から何か一貫としたものを感じました。
ドガは早くから写真にも興味があったと聞きますが、その作品を見るに、焦点を合わせることで、動的な不純物を取り除き、一瞬の輝きを捕らえることにあったのではないかと思いました。
最後にこれまで彼が作ったブロンズ群が鑑賞できます。晩年視力が弱くなり、絵画の活動はなくなり、そのかわりに、彫刻作品を多くアトリエに残したとされます。晩年20年より前の作品は、踊り子の決定的瞬間を型取り、スタイルも細身のものが多いのですが、最後の15年ほどに作られた3点は、ボテボテだし、小さなだまのような塊があちこちについていて、一見「何だこれは?」と思うようなのですが、目が見えなくなっても、最後の最後まで「右手で右足を掴む踊り子」や「靴下をはく踊り子」「両手を背に、右足を前に出して休む踊り子」の姿を愛おしい姿として刻んでおきたいという思いがほとばしり、全く無心の境地を表出された魂に出会ったような気がして、思わず涙がこみあげてきました。
同じ表現者として、こんなにも純粋な気持ちで、最後枯葉果てることができるだろうかと。
この回顧展の余韻を醸成してくれるかのように、横浜美術館のコレクション展に流れることができたのも良かったです。
私の大好きなダリの絵に4点もめぐり合えました!
鑑賞後、チケットを持ってKIHACHIイタリアンの特別ランチも頂きました。
前菜

パスタ

窓からの眺め

最後に紅葉もちらり。


いつのまにか、すっかり秋です。