開闢 <1>
琉球の歴史書中山世鑑(1650年)と球陽(1743~1876年)
遺老瀬節伝(1743~1745年)などに編纂された国創り、人類創世説話
昔・大昔、最高神天帝が、アマミク(阿摩美久)を呼んで
この地上に神が鎮座すべき、霊処がある
しかし未だに島に成っていない
下界に降りて島を創でと命じた
アマミクは降りてみると霊地はあるが
東から西え、西から東えと、海の波が超えていくような状態であった
霊地は島に成っていなかった
そこでアマミクは、天に上がり
天帝に土・石・草木を下さるならば島を創りましょうと申し上げた
天帝は土・石・草木を与えた
アマミクは持ち下り、沖縄の島々を創造した
そうして神々を拝する霊地(御嶽)を造った
始めに国頭の辺戸に、アスムィ(安須森)御嶽
次に今帰仁今泊まりに、クバ御嶽
セーファ(斎場)御嶽を南城市知念
ヤブサツ(藪薩)御嶽は南城市玉城
アマツジ テンツギ(雨つづ天つづ)御嶽は南城市玉城、玉城グスく内
クボー御嶽を南城市知念久高島
シュイマダムイ(首里真玉森)御嶽を首里城内に
九つの御嶽を造ったとされているが
現在、この七つが、琉球開闢七御嶽として
沖縄の神聖な拝所として
沖縄の信仰を集めている
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