人生黄昏時

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沖縄の仏教 【2】

2017年07月25日 00時02分10秒 | 日記

 第二尚氏王統三代目尚真王(1477~1527年)のとき

地方領主である按司を首都首里に集居させ武器を取り上げ

中央集権体制政策を行った

 

各地域の聖域、御願所を御嶽と言う呼び名に変え

神事、祭祀を整理し統制化した

 

また、ノロ(神女)の組織を整備し階層化した

集落のノロが各集落の御嶽を管理させ

 

全体のノロの上大阿母(おおあも)

その上に三人の大阿母良礼が首里の三間切りを掌管する

その上に阿応理屋恵佐司笠

 

その上に聞得大君を置いた

それらの高級神女を総じて三十三君と呼んでいた

 

聞得大君は

琉球全土のノロの頂点に立つ存在である

聞得大君は琉球国を守護する国王の「おなり神」である

 

王妃よりも上位に置かれていた

最初の聞得大君は尚真王の妹(音智殿茂金)である

 

祭祀制度を制定し階層化して

琉球を中央集権化と祭祀との祭祀一致の政策を行い

王権を不動のものにした

 

この第二尚氏王統は

19代(1469~1879年)410年(明治12年)続いた

(第一王統は1406~1469年、7代続いて63年)

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1 コメント

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Unknown (良実)
2017-07-26 13:38:18
庶民の信仰がどこにあったのか?興味があります。ノロとか仏教はは士族とか支配階級のものというイメージがあり。沖縄(琉球)では庶民文化があまりでてこないですね。そのあたりは本土(江戸)とかとは違う感じがします
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