察度とは琉球の正史である中山世鑑や中山世譜
球陽などに記されている察度王統の初代王
察度は1321年、浦添間切謝名村の奥間親方と天女との
間に誕生したとされている、神号大真物(うふももの)
察度は英祖王統五代西威王の死去に伴い
それまで世子制で王位を継承されて来たが
その頃、国は乱れ疲弊したしていたため
国の安寧を得んと臣下、諸侯らの推挙により
知徳に優れた察度が中山王に即位した
察度三十歳のときであった
1372年、明王朝大祖洪武帝の使者楊載が来琉して
明国に入貢するよう察度に迫った
察度はそれに応じて異母兄弟の泰期を遣わし
明王朝との朝貢体制関係に入った
その八年後南山王も1380年、北山王も1383年に朝貢した
察度は日本や高麗、東南アジアの国々と貿易を行い
琉球に経済的基礎と文化の発展に大きな功績を残した
察度王統との世子である武寧が後に二代目を継承する
この武寧が琉球国で始めて明王朝の冊封を受け
君臣関係体制になった
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます