人生黄昏時

 老いを心身ともに感じ

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勝連城 【3】

2019年11月10日 00時00分22秒 | 日記

  勝連城十代目の城主になった阿麻和利は

伝承によると現在の嘉手納町屋良で生を受け

 

童名(幼児)は、カナ(加那)と呼ばれ

身体が弱く十歳まで歩くことができなかった

 

家の恥と思い父親に捨てられ

母親がガマ(洞窟)で育てたと言われている

 

成人になった阿麻和利は、勝連城茂知附按司に仕え

阿麻和利は知恵に優れ人望もありカリスマ性もあった

 

茂知附按司は色欲と酒に溺れ、悪政を行っていた

苦しむ民を思いクーデターを起こし

阿麻和利は十代目勝連按司と成ったと伝えられている

 

阿麻和利はその行動力によって頭角を現し

按司(領主)として、王府を脅かすほど力を持った

 

時の国王尚泰久は娘を百十踏揚(ももとふみあがり)を

阿麻和利の妻とした、これは政略結婚である

 

阿麻和利は策を謀り

中城城を攻め城主護佐丸を自害に負い込む

 

伝承によると阿麻和利は琉球国の統一を企てていた

ところが妻の百十踏揚の裏切りによって

 

王府に知られ、1458年王府軍との戦いに敗れ戦死

勝連城は廃城となる

 

廃城となった城内には、数多くの御嶽、御願所が存在し

現在も信仰を集めている

 

タマノウヂ御嶽、モートゥガー、マチダ・ナケージガー、

カンジャカー、などがある

カーとか、ガーは井戸、泉など意味し現在では拝所となっている

 

年中行事、祭司である旧暦元旦の初拝、ウマチー

豊年祭、麦の初穂、豊作などを

 

祭司職であるノロ(神女)が中心になって執り行われる

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