人生黄昏時

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アカマタ・クロマタ【2】

2018年10月05日 00時00分52秒 | 日記

  石垣島宮良(みやら)ムラの

アカマタ(男神)・クロマタ(女神)は、小浜島から伝わった

 

1771年4月24日(明和8年3月10日)の地震による津波

明和大津波によって八重山では、9400人余りの死者

 

14のムラが全て流され、住民の3分の1が死亡した

宮良ムラでは、津波が85mに達した記録がある

 

最も被害が大きかった、宮良ムラに

琉球王府は他の島から入植させる政策を取った

 

小浜島から320人の島民を移住させた

宮良ムラは、現在でも他のムラとは違う方言、風習になっている

 

また自分たちの御願所を新たに設け

ムラ内には複数のオン(御嶽)存在する

 

小浜島から伝わった、アカマタ・クロマタ祭祀の時は

ナビンドゥ(洞穴)根の国から現れる

 

宮良ではニーロー神とも呼ぶ、ニーローとは

底が分らないほど深い穴の意味で

地の底にあると信じられる、ニライカナイの事を指すとされる

 

プーリィ(豊年祭)のトゥピイ(2日)に、トゥニムトゥ(本家)に現れ

さらに決められた家々を訪問し神詞を、豊作と繁栄を授ける

 

その後アカマタとシンカ(仲間―集団)とクロマタのシンカは

それぞれ分かれ、歌い手と共に一晩中、朝までかけて

各家々を巡り祝福を与えていく

 

アカマタ・クロマタはシンカによって

厳重に警護されながら移動するのである

 

畏敬と歓喜の中迎えた、アカマタ神・クロマタ神は夜明け前に

人々は別れを惜しみ、涙を流し、悲しみの声に送られて

ナビンドゥに行き、異界へと去って行く

 

アカマタ・クロマタ祭祀は、一部は公開されているが

写真、ビデオ撮影録音、スマートホンなどあらゆる記録は絶対禁止

 

住民も祭を他言と厳しく禁じ厳格に秘密にしている

そのため秘儀と言われている

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