子どものころ 田舎やから薬売りは来とった。風呂敷に箱を包んで
背中に担いで来てた。紙風船が懐かしい
全国の家庭を尋ね、使った分だけ代金をもらう。これが富山の薬売りのスタイル
アキはよく「ケロリン」と「赤玉」飲んでいました。「正露丸」は・・・
なぜ富山に薬を? 殿様 前田正甫は古銭集めとくすり集めが趣味だったとか。
特にお気に入りは「反魂丹」万病のおくすりだったとか。25種類使用
庶民には滅多に手に入らない代物 庶民に生産を奨励した。
立山連峰からの水は豊富 富山城界隈から火事が起きても川を挟んだ清水地区に
くすり工房を造る 火災の影響なかった。漢方薬の知識も高かった。
中国との交流もあった。富山のくすり作り拡大していった。殿様はこの薬を根本とし
財政に向ける。江戸城事件 ある殿が腹痛で苦しんでいることろ 正甫が反魂丹を飲ませたら
翌日、腹痛も治りまわりの奉行も薬を譲って欲しいと・・・
サービスとまごころのくすり売り 藩を上げてのくすり作り くすり専門の役所
藩公認の薬を仲間組みをつくって、値段・情報を共有した。売れなかった理由
値段が高かった。庶民には買えなかった。立山信仰のお札・護符
買って貰うため、先にお札を上げ火の用心とかお札の実感を味わって貰ったら
次のとき 御利益のお金を貰っていた。これを自分たちの商売に応用する。
まずお客様の家に薬を置いて行き、使った分だけ代金を貰う。後払い制度です。
「先用後利」と云う言葉で表現
売薬版画 種籾 懸場帳・個人ベース作成し全国を飛び回る富山のくすりやさん
いまでは、ドラッグストアから購入 あっ懐かしいね。
朝ご飯
昼 冷しうどん&お稲荷さん
カキ氷にパインとバナナ味で食べる
夜 鰺刺定食
ケロリンや、赤玉の❓、クマの絵の❓
あれらは漢方薬だったのでしょうか?
薬やさん私らが引っ越したことをどうして知ったのか
いつもバイクで配達していました
「赤玉」「正露丸」などは携帯用に持っていました。
ケロリンや赤玉は速攻でした。
会社からの沖薬も、いつのまにか・・・
いまは、病院の処方箋飲んでいます
富山は薬草の宝庫ですから、漢方だと思いますb。
常備薬に欲しいですが・・・
正露丸は、匂いだけでもう無理です。
塗り薬や風引きの薬などは常備しています。