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世田谷区七澤

2024年02月03日 | 地図と地名

世田谷区「ミニコミ紙 ちとせ」40周年記念座談会に参加した

講演者の野島浩一氏が「世田谷区七澤」と発言されました。

「沢」は低地だった由来があると思っていますが、住んでいる千歳台(廻澤)は低地ではありません。

世田谷区図書館で「地名の由来」を調べましたが「駒沢」「深沢」以外の「奥沢」「北沢」「松沢」「廻澤」「野沢」について、「世田谷区の地名事典」には掲載されていませんでした。

世田谷区七沢
駒沢」 明治22年、町村制施行時に、上馬引沢村、下馬引沢村、野沢村、弦巻村、世田ヶ谷新町村、深沢村が合併し、駒沢村が成立した。馬引沢の馬を駒とし、それに野沢と深沢の沢をつけて駒沢という地名ができた。大正14年10月、駒沢村が町制を施行し、駒沢町となった。昭和7年世田谷区成立時に駒沢という町名はいったん消え、旧村名が新区の町名となった。昭和42年、住居表示の実施に伴う町区域の変更を行い、旧新町1丁目の北部を駒沢3丁目、同南部を駒沢4丁目とした。
深沢」 明治22年、町村制施行時に、上馬引沢村、下馬引沢村、野沢村、弦巻村、世田ヶ谷新町村、深沢村が合併し、駒沢村が成立し、深沢村は駒沢村大字深沢となった。大正14年10月、駒沢村が町制を施行し、駒沢町となった。昭和7年世田谷区成立時に、玉川村大字下野毛飛地字深沢原および大字等々力飛地字高原が加えられ、一部を新町1丁目にうつして、深沢1~4丁目に区分された。昭和42年、住居表示の実施に伴う町区域の変更で、周辺の町との間で境界の整理や一部の編入を行い、深沢1~8丁目に区分した。

 
廻澤稲荷神社

(了)

 

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