閉ざされたドアの向こうに

オリンピックの思い出


「お題」なるものに挑戦してみる。

実は今まで自分が関わってきた水泳、サッカー、ボクシングではなく、レスリングに注目している。

先日、『炎の体育会TV』でオードリーの春日のレスリング挑戦を見て、自分自身も思うところがあった。オリンピックを目指すわけではないが。
その際、簡単なルール説明があり、ボクシングやテコンドーのポイントより分かりやすい気がした。なので、じっくり見たい。でも放送時間が合わないな・・・

 さて、オリンピックは4年に一回なので、前回大会は当たり前だが4年前である。その間に自分の生活や変化があった。少しだけ振り返ろうと思う。

1992年バルセロナ

物心ついて初めてのオリンピック。当時、叔父が技術者として現地にいたようで変な動物のマスコットのTシャツをもらった記憶がある。

1996アトランタ

確か中学の林間学校の宿で、サッカー日本代表の「マイアミの奇跡」の報を聞いて、

同級生と大はしゃぎしたのを覚えている。何せ当時は「ドーハの悲劇」の後でW杯にすら出場していない。そんな国がサッカー王国のブラジルに勝った。

ブラジルには、ロウナウドとロベルト・カルロスもいたのに・・・

城、前園、川口・・・など当時のメンバーって技術は劣っていたとしても今の代表より勝利への執念は勝っていたと思う。

2000年シドニー

19の『水・陸・空 無限大』が好きだった。

北島康介が全盛期を迎える前だった。

サッカーは、中村俊輔や中田英寿がいてこの頃は一番ワクワクした。

2004年アテネ

当時大学生だった。中野に住んでた。

高校の同級生と飲んで、二日酔いで開会式を見た。

北島康介のあの名言が出たときだけど競技はあんまし覚えてない。

2008年北京

就職した年。

フェンシングの太田雄貴の銀メダルが記憶に残っているけど、その後日本でフェンシングブームが起きたりはしなかった。いつかやってみたいけど、やれる場所がなかなかない。
日本ではまだまだマイナーだな。

2012年ロンドン

山梨にいた時だ。
ボクシングの村田諒太の金メダルが、記憶に残っている。
この後、自分がボクシングを始めるとは思わなかった。
確か、レスリングの金メダリストの選手を見かけた。自衛隊の米満達弘。軽量級で、上背は一緒にいた自衛官の方があったが、とても強そうだった。


あれから4年、部署は2回、住むところは1回変わった。

早いなぁ。

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