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読書の森

惻隠の情

昨今、「惻隠の情」と言う言葉を殆ど使わなくなりました。
一口で説明すると、思いやりです。
相手の身に寄り添い深く心を痛める、この気持ちは誰の心にも潜んでるのではないか?と思います。
が、昨今の経済的肉体的に厳しい時代、「人に情けをかけるどころじゃない、共倒れになっちゃうよ」
と言う人多いですね。

それどころか、この住みにくい時代に大勢の人が一番スウッと心が晴れるのは、ひょっとして「イジメ」じゃないかと思われもします。
目障り耳障りな対象を、ネットである事ない事噂を振り撒いてイジメを始めるちょっとえげつない状況です。


現代では「惻隠の情なんて皆無じゃない?」とか思うのですが、いえいえバッチリ残ってます。
大災害に遭った人、理不尽な被害を受けズタボロに傷ついた人に対して、多くの人は同情を惜しみません。
この場合マスコミ及びネットの報道の仕方次第で多くの人の心が解けて優しい気持ちになるのは、まさにマジックみたいです。

古今東西、弱者に惻隠の情を惜しまない風潮ですが、その弱者が立ち直り改善を図る状況になると人の心は変わってしまう。
自殺した人は常に可哀想で悲劇のヒロインとなるけど、自殺意図するほど苦しんでも頑張って立ち直った人が金持ちになった場合、讃える人間はあまりいない。
これってなんでしょうね。

本来「惻隠の情」と孟子が唱えて、親が子を思う情から来ている言葉だと言います。
確かに仲良し家族の相手の心や身が傷つくと、自分の身が傷つくような痛みを感じる事がありますね。

これが無いのはロボットであります。

漱石さんが『草枕』で
「智に働けば角が立つ、情に棹させば流される、意地を通せば窮屈だ」と名言を残してますが、この感覚はロボットには持てません。
故に私は惻隠の情を適度に持つ人が人間だと思います。

まあ、私みたいな感情の起伏があり過ぎる人間は、適度にロボットのように寡黙でいなければならぬと思いますが。




涼しくなって食中毒の心配が少ないので、最近又カレーを作ってます。りんごのすりおろしやバナナの潰したのを(別々に使います)入れると味が良くなるみたいです❣️

これは当然惻隠の情の現れでなく、自分の好みでやってます。

読んでいただき心から感謝します。 宜しければポツンと押して下さいませ❣️

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