作者下村湖人は佐賀の人、教育者として知られている。
この小説を知人に見せたところ、「次郎というのはエキセントリックな人間だね」と言われた。
かなりショックを受けたという。
次郎は下村湖人の分身であったらしい。
彼自身が、自分の中にある強い反抗心や激し過ぎる情熱を持て余した時期があった。
それゆえに、若者に理想を説く事で己の欠点をも克服しようとした。
それは成功し、人格者として尊敬された。
私は後年それに習おうと教育学を学ぶが、見事に脱落した。
さて、『次郎物語』の要旨よりも今の私の思いは次郎が見た昔の田園風景に飛ぶ。
それは自分が昭和20年代、大垣で見た風景と重なる。
春は蓮華畠が香り立つ。
舗装されない道路に馬がぽくぽくと行く。
馬を飼う農家は多かった。
乾いた馬糞が道端に転がっていた。
春の香りが本当にする。
それは菜の花菫タンポポの混じり合った実に懐かしい香りであった。
移転は多かったが、田舎で幼少期を過ごせた事は、もはや忘れられた日本の原風景を記憶に残せた意味がある。
そんな理屈をこねずとも、『次郎物語』の時代の自然も人情も豊かで、それはついこの間迄存在していたのである。
読んでいただき心から感謝します。 宜しければポツンと押して下さいませ❣️
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