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読書の森

永遠のモラトリアム

心理学用語としてのモラトリアムは「大人になりきれてない」「社会的アイデンティティが確立していない」若者を指しています。
主に今の中高生が対象です。

モラトリアム本来の意味が「執行猶予」ないし「支払い猶予」なので、実行される(社会人となる)迄の猶予期間をモラトリアムというようです。



しかし、著名な歌人、種村弘さんは週刊誌『家の履歴書』の中で持ち家に住まない理由をいつまでもモラトリアムだからと言ってます。

つまり一所不在、あちこち好きに回りたい、自由人でいたい意味かと思います。^_^いつでもリセットできるからです。
才能に恵まれた彼だからこそ言える言葉で、その日その日の生活にあくせくしてる庶民にとって「モラトリアム」など、贅沢な言葉だと思えそうです。

しかし、、。

この写真の男性、『仁義なき戦い』で有名な深作欣二映画監督です。
充実感に満ちて、アイデンティティが確立してない人から遠いみたいです。

ところが、撮る映画全て大当たりで彼が最も輝いてた時代に、編集者と京都で呑んで時、コースターに書いた言葉が
「完全に自由にならない限り、夜ごと夢を見る」(フランスの作家、ポールニザンの言葉)だったそうです。

「完全な自由」などある訳ないし、ヤクザ映画の世界など一歩間違えば、犯罪者の道へまっしぐらになってしまう。
それでも見たい夢があるのは、多分「自由」が飢渇してる時代に彼が生まれたからでしょう。

彼は昭和5年生まれ、学徒勤労動員した兵器工場の上を連日戦闘機が飛び交い、ある日敵弾の一斉射撃を受けて、気がついたら仲間の死体に覆われて彼だけ生きてた。
その死体を一つ一つ拾って火葬場に届けたそうです。15歳の時です。
こんな辛い「生き残り」でも未だ戦いは終わらない。

その時「どうせいつか死ぬなら大好きな映画を思う存分撮りたい」と監督を目指したそうです。
「何者になるかわからない、完成できるかどうかわからない、ただ好きな事をしたいだけ」
これはモラトリアムではないかと勝手に考えてしまいました。



右から高倉健、北大路欣也、三国連太郎、深作。錚々たる面々で北大路欣也以外全て故人であります。1964年(昭和39年)の作品『狼と豚と人間』です。戦時に青春を送ったスラム街で育った兄弟が争いながら破滅に向かうお話。深作さんは、一貫してこの手の話がお好きだったようです。

「死守せよ そして軽やかに捨てよ」この言葉が死後手帳から見つかったとか。
イギリスの劇作家の言葉ですが、「出来上がった」人がお好きではないようです。



穂村弘も深作欣二も青春の殻から抜け出せてないモラトリアム人間だと思えます。
ただし、お二人とも家庭生活は安定してたみたい。
深作さんのお子さんも同業ですが、家では大人しいお父さんだったと語ってます。

モラトリアム人間も様々でございます。どちらかと言うと大人が「モラトリアム」と思われる事を恥じる傾向はあります。

でも決まりきった枠内で動く決まったアイデンティティを目指すより、青春期は大いにモラトリアムであった方が面白いと思います、、(危険?な勧め)。


暑い話でごめんなさい🙏

大学時代の友人と私が共に職を失って(私はアルバイト)モラトリアムの時代、
「今は長〜い夏休みよね」とため息をついた事があります。
その後綺麗な彼女はちゃっかりお嫁に行ってしまいましたが。私は幸い(?)にも正社員になれました。

永遠の夏休みがないように永遠のモラトリアムも許されないようです。
穂村弘や深作監督のような偉大なモラトリアムになれない俗人は、来る秋は大人(立派な老人?)となって、静かに過ごす事にしたいです。

写真は冷や奴をアレンジしたもの。夏は冷や奴が嬉しいですね♪



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