つまり子供が産めない為に、貰い子でなく、人工的手段によって全く他人の子を我が子として育てるケースです。
AIDなどでは優秀な遺伝子を貰うケースです。この小説では養父は子供を全く我が子のように愛していて、子供は自分は実子と信じて愛されてると信じられるのでしょう。
血を分けた我が子に色んな事情から酷い扱いをする親がいる一方、父性や母性に溢れた子のない大人がいる事は確かだと思います。
血が繋がっているかいないか、のが家族の中でそれほど重要な事なのでしょうか?
子育てに向いてる人が、虐待などに苦しむ子供を育てる形の方が子供にとってプラスではないか?と思うのです。
今の時代では子育て自体に非常にお金がかかりますし、母親役の女性の職場の問題を考えると、子育て休暇の期間は短いし、子供世代の人口減少を食い止める政策は非常にむずかしいものがありますね。
さりとて「自分の子が一番」と我が子だけに目を向けて狭い世界で暮らすよのも、ちょっと問題かと思います。
さて、ぐっと時代が遡って昭和中期、1966年に自分達のサークルで「家族の人間関係」をテーマに実態調査を兼ねた夏合宿をした事があります。上はその時の写真です。
勝手ながら、これからは書評と離れる話でございます。
1966年当時は多子の時代です。お年寄りより若者が圧倒的な数でしかも元気でした。
そして日本は非常に外向きだった時代です。
が当時のサークルは人間の心理に興味ある面々が集まってた。
家族間の問題に悩んでいた人も多かったです。
長閑な海辺の田舎町で、自分達の作成したアンケートの調査と結果の研究討議のお勉強をし、大半の時間帯は海水浴で遊んでたのでありました♪
現地では、「親子関係」、「兄弟関係」、「夫婦関係」、「嫁姑の関係」各グループに分かれてお勉強してました。
一人っ子の心理を知りたいと先輩に勧められて兄弟関係グループに属してた私は、親子関係が一番関心あるテーマでした。
その親子関係グループ内の先輩に惹かれていた。
ところが。兄弟関係グループの先輩が「何故、自分が好きじゃないのか?!」と迫ってらした(19歳の私にですよ)。
西郷輝彦似のとっても素敵な彼を無視したのが逆に関心を呼んだのでしょうか。
このモテ男ををサークル内の女性二人が実は大好きだった。
つまり、三角四角(?)関係で、私混乱しちゃった。
色々あって非常にナーバスになって精神科医に診ていただきます。鎮静剤を出されてボーとなった私にその優しいお医者様は
「ところであなたは恋愛感情で悩んでたんですね?」
悩みはそれだけじゃないけど、薬の効果がありすぎボーとしてた私は素直に頷く。
「それでその相手とどう言うお付き合いをしたのですか?」
「あの彼とは兄弟関係、もう一人の人は親子関係で」
私は又ボーとした顔で答えちゃった。
その時先生は頭を抱えて
「もう宜しいです」と辛そうにおっしゃる。
つまりあらかじめ説明無しで聞くと、非常に変な妄想っぽい話に聞こえますね。あたかも好きな人と血縁関係だと信じてるみたいです。
「私達は心理学のサークル仲間でその年は家族間の心理を研究をしてました」と言う前置きがきちんとあれば了解いただけたのでしょうか。
医師はそこで関係妄想と診断されたと思ってます。
薬の効きすぎで眠くて仕方ない私は面談終わって直ぐにぐーぐー眠ってしまった。
母は「生真面目で男の子と付き合うなんて事ない(母の願望)」とか言うし、素直ないい子が突然親下宿住まいを強行したのも、その手の病気にある衝動的行動と医師が判断された。実際には一緒に呑んだりデート紛いはしたんです。呑んだ時の会話は殆どが文学関係の話でしたけど。
何だか変な話になりましたが、過保護も虐待も子供をスポイルしがちです。気をつけてね!
注:遠い遠い昔話です。
私にとって重大なのは、「お医者さんのちょっとした勘違い?」が当の患者にとって重大な結果をもたらす場合があると言うことです。
一人っ子が少ない時代だったから誤解を受ける部分があったでしょうね。
親子神話を失いかけた現代では多分こんなケースは少ないかと思います。
今でもかっての仲間は大好きな懐かしい人達です。
もはや時効と思ってお話します。
みんな爺婆になった今、健康第一でございます♪