もしこんな時期に、思わぬ場所で大金(現金の束)を見つけたら、人はどうするでしょうね。
確率として極めて低い事です。
一昔前は竹藪を掘り起こしたら、大量の小判が埋められていたとか、ゴミ集積場で相当な金額の札束が見つかったとか、ニュースに出たものですが。
クレジットカードが主流となりつつある現在ではあまり聞かない話です。
それでも、昔の埋蔵金の話など、興味はありますね。
大沢在昌の『大金』は、あるミステリー作家が旅先のバーで聞いた話という想定になってます。
一攫千金などというワクワクする事ではない、犯罪が絡んでる話です。
亡くなった身寄りのない年寄りの古家を解体工事中に見つかった大金。
作家は出どころは何処か、と推理します。
その結果、解体工事が予定より早かった為に金は見つかったのですが、非合法な取引をするのに人気の無い古家は格好な場所だった、からと分かります。
この筋書きを読んで、「昔見つかった大金も持ち主が見つからないままだった」と改めて思いました。
非合法なお金、例えば横領金など隠し場に困った犯人が、窮余の一策として人知れぬ山中に現金を埋める、なんてありそうな事です。
ただし、これは古き時代だから出来る犯罪です。
至る所に隠しカメラが設置され、コピュータで元気管理されてる現在は、昔のような埋蔵金の話は御伽話なのでしょうね。
さて、団塊世代の大沢先生は、昨今の文士の懐事情について嘆いてらっしゃいます。
一番の原因は図書館の普及なんですって。
今、図書館を利用する人は貧乏人とは限りません。
そして大沢先生の著書は図書館でかなり人気があるそうです。
という事は新刊をお金を払って買う人が非常に少ないので、収入原が印税の作家は大変困っている訳です。
作家から、こう率直に昨今の収入減の打ち明け話をされて、私は同情の念がムクムク湧いてきたのです。
それが理由かどうか、通販で書籍を購入。
その時は古本を購入したつもりでしたが、お値段を確認して、正価であったのに気づきました。
大沢先生に同情する前に自分のお財布の中身を同情すべきでありました。