日々想ヒ事生活

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神舞2012

2012-09-13 04:21:02 | 日記
8月16日
朝一番の室津発の船で、祝島に向かう

神舞(かんまい)
四年に一度のお祭り

今年は、山口県の上関町の最南端、瀬戸内の入口に浮かぶ祝島にて行われる神舞の年
そう、上関原発計画への反対を30年間貫いてるとして、全国的に名が知れた あの、祝島だ

2012年は何かが変わると、何年か前からワクワクしていた年
知事選挙があり、神舞があり…

とても楽しみにしていた
とはいえ、島民総出でつくるお祭りなので、宿泊は親族・友人・知人宅を頼るしかない

半ば諦めていたが、お手伝いが出来ればと、友人が転がり込ませてくれた!

もちろん、はなも一緒に!

神舞の歴史は古い
『伝承によると今から千百十余年の昔、仁和二年八月、豊後伊美郷の人々が山城国石清水八幡宮より分霊を奉持して海路下向中、嵐に会い祝島三浦湾に漂着した。当時この地には三軒の民家があったが、生まれる子供は体が弱く生活は苦しかったが、彼らは一行を心からもてなした。その時に教わった荒神を祭り、農耕(麦作)を始めたことにより、以後島民の生活は大きく向上。それからそのお礼にと、島民は毎年八月に伊美別宮社に「種戻し」に欠かさず参拝をした。そして4年毎に伊美別宮社から二十余名の神職、里楽師を迎え、本島を斎場として神恩感謝の合同祭事を行うようになった。これが神舞神事の起源である。』

『神舞では三隻の神船を中心に櫂伝馬船等、百余隻に及ぶ大漁旗で飾った奉迎船が織りなす、勇壮な入船・出船の海上神事が行われ、古式豊かに三十三種類の神楽舞が新調の苫で小屋掛けされた仮神殿で奉納される。』

とあるが、その入船神事が8月16日に行われる

不安だった天気も誰のお陰か、夏日和!

昔、まだ島の人口が多かった頃は、櫂伝馬を漕ぐのは島の男たちであったが、過疎の進む祝島
島民、島出身者に加え、祝島の事が好きな人(この括りで間違いではないと思う)の助っ人が大半を占めていた

櫂伝馬と一緒に、飾り立てられた漁船が次々と港を出て行く

皆、漁師なのだ
海こそ命なのだ

そう思うと、名前のない感情が目頭を熱くした

美しい


三浦側へ、一行が大分からの神船を迎えにいってしまうと
港には出迎えに、太鼓と三味線のシャギリ隊や巫女の列が行進して来る


神船を連れた、奉迎船と櫂伝馬の船の列が、港の外で大きく3周


櫂伝馬とと漁船が港へ入り、船を降りてから仮神殿へと連なって行く

帰省客、観光客がぞろぞろ

無事、奉納が済むと餅撒きが!

子どもも大人も上しか見てない(笑)


儀式に盆踊り
宴は暗くなっても続く

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