アイヌ民族関連報道クリップ

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F1ドライバー 小林可夢偉(こばやし・かむい)さん 「日本人唯一」の意地で戦う(朝日新聞)

2011-06-21 00:00:00 | その他のニュース


2010年10月30日付紙面から

F1日本グランプリの練習走行中。マシンを降り、自分の走りを振り返る=三重県の鈴鹿サーキット

2010年10月10日、秋晴れの鈴鹿サーキット(三重県)。自動車レースの最高峰、フォーミュラ・ワン(F1)世界選手権シリーズの第16戦=日本グランプリ(GP)=が催されていた。
前日の予選が大雨で順延され、予選と決勝が同日開催に。この異例の事態は、ドライバーに通常以上の集中力を要求し、緊張感をもたらす。だが――。
「雨の中、待っていてくれたファンに申し訳ない」
予選順延の発表を聞いたカムイの口からは、観客を思いやる言葉ばかりが続いた。
現在、F1の正ドライバーは世界に24人。このうち日本人は2人いるが、フル参戦している日本人は彼だけだ。
ホンダ、トヨタと、日本の自動車メーカーは相次いでF1から撤退。ブリヂストンも今季限りでタイヤ供給を終える。国内の有力スポンサーがない状況で、日本人が正ドライバーの座に就くのは極めて難しい。
「僕が成績を残すことでモータースポーツを盛り上げ、F1を目指す日本の子どもたちの将来につなげないと」
8月には国土交通省や観光庁を訪ね、大臣らと会談した。日本GPへ招待し、「サッカーのように、F1も世界のスポーツと認知してもらえれば。自分にできることがあれば協力したい」などと訴えた。観光庁の要請に応え、「スポーツ観光マイスター」にも就いている。
兵庫県尼崎市ですし店を営む夫婦の次男として誕生。「可夢偉」は本名だ。父が、アイヌ語で「神」を意味する「カムイ」という言葉に漢字を当てた。
9歳で競技用ゴーカートに乗り始めて以来、レーサーの道をひた走ってきた。F1での実戦デビューは、トヨタF1チームの控えドライバーとなった昨秋だ。代役出場ながら2戦を好走。トヨタ撤退後、ザウバーから正ドライバーに抜擢(ばってき)された。
フェラーリやレッドブルといったトップチームと比べ、中規模チームのザウバーは資金が少なく、マシンも非力だ。それでも、日本GPまでに5回入賞。メディアの注目、ファンの期待は高まってきていた。
「期待は感じている。それが結果につながるかは僕次第」
日本GPの決勝。
1周5.8キロの鈴鹿は、相手を抜きにくい世界屈指の難コースと言われる。時には時速300キロ超、心拍数180になりながら約1時間半、ミスなく計53周走りきらねばならない。
13周目。「僕らのマシンは直線が速くない。リスクを負ってでも抜くならあそこだ」。180度近いヘアピンカーブで仕掛けた。前方のドライバーの内側に鋭く入り、追い抜く。相手がベテランでも同僚でも、マシンが接触しようと動じない。同じ場所で計5回抜き、7位でゴールした。攻めに攻めた熱い走りに観客9万6千人が酔った。
「これで来年、またファンが見に来てくれる。そういう気持ちで走っていた。結果が実って、ほっとした」
小学校の卒業文集で、すでにこう宣言している。「ぼくの夢は、F1レーサーでチャンピオンをとることです」「この夢をかなえるために努力を続けようと思います」
日本人のF1王者――それは夢のまた夢だった。でも今の彼は、その名の通り、夢を現実にする可能性を秘めている。


1986年、兵庫県生まれ。「3歳から、うちや近所の店内でも三輪車を乗り回し、後輪を片輪浮かせて走ったり、30センチの段差を飛び降りたりしていた」(父・浩人さん)。9歳で競技用ゴーカートのレースでデビューし、数々の大会、シリーズで優勝。2001年、トヨタのレーシングスクールの奨学生に。04年、渡欧。F3ユーロシリーズなどを経て、08年にF1ドライバーの卵たちが競うGP2参戦。同時にトヨタF1チームの控えドライバーに。今季からスイスのチーム「ザウバー」の正ドライバーに抜擢(ばってき)され、第17戦終了時点で新人の中では最高の総合12位。

結果が大事。「結果病」にかかっているみたい

――自動車やレースに興味を持ったきっかけは?
家の前が国道2号。3~4歳の頃から、毎日のように道端に座り、通り過ぎる車を何時間も眺めているうちに興味を持ちました。9歳の時、テレビ番組で「小学4年生でも競技用のレーシング・ゴーカートをレンタルすれば乗れる」というのを見て、父に「乗りたい、乗りたい」とねだり、連れていってもらいました。父は自動車やレースにまったく興味がありませんでした。でも僕が幼い頃は自家用車を運転してレース会場へ連れて行ってくれたり、独学の末にメカニックとしてマシンを調整してくれたりしました。

決勝で7位入賞後、ザウバーのチームマネジャーと笑顔で握手=三重県の鈴鹿サーキット
――地元の商店街でも、レース感覚を養ったそうですね。
中学時代、友人4、5人と近くの商店街でママチャリで競走していたんです。買い物客の行動や目線を観察しながら、「この人はどっちに行こうとしているのか」「今、何をしたいのか」を事前に察知し、ぶつからないよう進路をとっていた。F1レースのスタート直後に、こうした体験が生きているかもしれません。小さいころに遊びながらでも、運転のスキルを体得するのは大切。コンマ数秒を争うレースでは、自然に体が反応しないと危険ですから。
――昨年の最終戦・アブダビGPで正ドライバーの代役ながら6位に入賞。その直後、トヨタがF1からの撤退を発表しました。
ドイツでのチームミーティングに呼ばれ、正ドライバーへ昇格されるのかと期待して行ったら、撤退を告げられた。あまりにもショックで、全然大丈夫じゃないのに「大丈夫」と言ってしまったくらい。帰りに愛車の中に1時間ほどこもり、「あれ、俺(おれ)、これで無職になったの?」と呆然(ぼうぜん)としていました。チャンスを信じて待っていたら、ザウバーから誘いがあった。僕に期待してスポンサーも集まってくれる。それに応えて次の世代につなげないとね。
――ザウバーは、トヨタと違って、個人経営の中小チームです。
トヨタと比べると、スタッフも予算も少ない。でも前へ進むために、あるものを、どう最大限生かすか、限られた予算をどう使うかにエネルギーを注入すべきだ、と切り替えました。本音は、やっぱり一番強くて速いマシンに乗りたい。いつかそういう日が来ると信じています。
――つらかった時期は。
毎年、成績を残さないといけないから、ずっとつらい。毎年いい条件、いい環境で走れるとは限らないし、たとえ前年王者でも翌年ダメなら、それで終わりです。目標としたゴールに向かって最適、最速のルートを見極め、練習してきたことを的確なタイミングで、百%出し切る。結果を出すのが大事。そうでないと、チームや周囲との信頼関係を失ってしまう。もう「結果病」にかかっているみたい(笑)。
――「勉強はあまり好きでない」と公言していますが、脳トレーニングをしているとか。
この厳しい世界、世の中を生き延びていくために頭を鍛えるのは重要。例えば夜、寝る前に翌日のレースのことでも、女性とのデートのことでも何でもいい。あらゆる状態に瞬時に対応できるよう、本番に向けたイメージトレーニングをする。常に何か考え、脳を速く動かしていると、いい発想が出てきます。

唯一の日本人

――国土交通省や観光庁を訪ね、F1のPRに注力しています。
日本の自動車メーカーが撤退した今、日本人ドライバーが不在となったら、メディアは注目せず、スポンサーもつきにくくなる。F1に対する世界と日本の評価ギャップがさらに大きくなってしまう。フル参戦している唯一の日本人として危機感、責任を感じています。大勢の人の協力、支援があったから、自分がここまで来られた。子どもたちに夢をもってもらえるようなかたちで恩返しができればいいとも思っています。
――F1ドライバーとしての信条は何ですか。
F1ドライバーは精密機械のようなもの。すべての感覚を研ぎ澄まし、風向き、タイヤ、路面、車の状態はどうか、限界がどこか、それぞれと対話しながら、速く正確に走らないといけない。自分は、仕事とプライベートで人間性が正反対だと思っています。プライベートでは遊ぶのが大好き。でも自分はF1で生き残っていきたい。やると決めた以上、犠牲にするものがあっても、仕事をプロらしくやらないと納得できない。それが人生、運命だから。
――最終的な夢は?
F1でまず1勝し、その後に年間王者。いつごろか? それがわかれば苦労しないのですが(笑)。


やんちゃ坊主は前向きだった

「可夢偉は、いろんな意味で破格だった」。トヨタの若手ドライバー育成プログラムの鈴木章代表、関谷正徳スーパーバイザー(SV)はそう口をそろえる。
受講当時は14歳で、最年少だった。ゴーカートに乗り慣れた少年の多くは、初めてフォーミュラカーを運転する際、車のエネルギーを制御できず、恐怖心からアクセルを踏み込めない。だが、本人は物おじすることなく、わずか3日間で順応できた。
運転は荒く、走行ラインも独特だった。「常識外なのにミスせず、異常に速い。衝撃的だった」(鈴木代表)
その一方で、レース報告書の作成をさぼったり、夜更かしをしたりするというやんちゃな側面もあった。渡欧直前の年末、鈴木代表の親が住職を務めていた山寺で修行させたこともあった。関谷SVは「かなり怒った。でもめげないし、腐らない。前向きな姿勢と要領の良さが成長を促した」と振り返る。
幼少時に所属していたクラブ「ジェミニカート」元代表の野田克さんは「あまりに速く、どこでも勝つから、嫌がらせもあった。その分、逆境に強くなったのだと思う」。
(原島由美子)

(更新日:2011年06月21日)

http://doraku.asahi.com/hito/runner2/110621.html


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