今日は東京でソメイヨシノの開花宣言が出ました。例年になく早い開花ですね。まだ3月中ばです。
東京では、ソメイヨシノが満開になるのは大体入学式の頃で、子供が小学校、中学校、高校と入学式に出るたびに満開の桜に祝ってもらった思いがしています。息子の大学入学の時、もう10数年前になりますが、その時も綺麗に桜が咲いていて、これが最後の入学式かと満開の桜に感激したのを覚えています。
我が家のある東京都下では都内とは気温が違い、桜の開花はまだでしょうが、今は街のあちこちに木蓮とコブシがきれいに咲いています。白木蓮はコブシと見分けがつきにくく、毎年この木はコブシだったっけ、白木蓮だったけ、と迷ってしまいます。コブシのほうが少し咲くのが遅いようです。
ハクモクレンとコブシの見分け方は、花弁の枚数を数えるといいみたいです。コブシの花弁は6枚で、ハクモクレンはもっと枚数が多く見えるそうです。花の大きさも一回り大きいようです。
これはコブシの花だと思います。
この木はどちらかしら? 近寄れなかったのですが、ハクモクレンのように思えます。
コブシは花の咲く方向が横向きだったり上向きだったりしていますが、ハクモクレンはお行儀がよく上向きに咲いています。そして花が咲くときには葉は出ていないようです。
ソメイヨシノが咲く前の時期に、街々を華やかにしてくれる大ぶりな花で、樹高も高いのでとても目立ちますね。
ハクモクレンでネット検索をかけていて初めて知ったことがありました。木蓮というのは正しくは紫木蓮の事で、ハクモクレンは木蓮とは別種になるそうです。私は、木蓮の中に色のついた紫木蓮と白い白木蓮があるのだと思っていました。
紫木蓮といえば、俳人の鈴木真砂女の句に歌われています。
「戒名は 真砂女でよろし 紫木蓮」
真砂女は俳人として有名ですが、銀座の並木通りの裏に小さな料理屋「卯波」というお店をやっていました。
昔、私が銀座で働いていた頃に会社の上司に連れられて、一度飲みに行ったことがあります。真砂女が女主人だと知り、私が行きたいとでも言ったのでしょうか。並木座というやはり小さな映画館が近くにあり、美味しいうなぎ屋さんや三州屋というランチのブリの照り焼き定食が美味しい店もありました。銀座の並木通りといってもおしゃれなところではなく路地裏界隈という雰囲気で、お稲荷さんもあったような一角でした。
カウンターと小上がりがある小さな店でしたが、真砂女はいつもお店に出ていたそうです。「卯波」という変わった店名は、自身の俳句からとったようです。
「あるときは 船より高き 卯波かな」
千葉県鴨川市の老舗旅館「吉田屋」(現・鴨川グランドホテル)の三女として生まれ、一度結婚して実家を出たが、離婚して戻ってきて姉の急死により義兄と結婚して旅館を営んでいたそうです。30歳の時にその旅館にたまたま泊まった7歳年下の海軍士官と恋に落ち、妻子あるその軍人が出征するというので、夫も子供も実家の旅館も捨て九州まで追いかけていったというエピソードが残っています。
「羅(うすもの)や 人悲します 恋をして」
50歳になってから、小料理屋「卯波」を開き、毎日店に出て、帰宅すると足袋まで洗濯をしてアイロンをかけて綺麗にしていたとか。明治の女ですね。そして96歳で亡くなるまでたくさんの俳句をのこし、食道楽で着道楽、老いて「いよよ華やぐ」人生だったそうです。瀬戸内寂聴が真砂女をモデルにした「いよよ華やぐ」という小説を書いています。
「今生の いまが倖せ 衣被(きぬかつぎ)」
どの句も、庶民的でストンと胸に落ちる句ばかりで、改めて句集を読み直したくなってきました。そういえば、衣被はここ数年食べていないなぁ、季節が来たら久しぶりに食べてみようかと思っています。
「路地住みの 終生木枯 きくもよし」
あの並木通りの路地裏に生きた真砂女という女性の人生をたどってみたくなりました。
「死なうかと 囁かれしは 蛍の夜」
今日、3月14日は真砂女の命日だそうです。なにか彼女の魂に導かれて、紫木蓮が私に呼びかけてこの文を書かせてくれたのでしょうか。
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