桐生一高野球部員、女子高生への強制わいせつ容疑で逮捕(読売新聞) - goo ニュース
強制わいせつで逮捕された生徒は、野球部員だったから、夏の全国高校野球大会に出場を予定している、ぐらいのことは知っていたはずである。
なのに、レギュラーの仲間に何らかの迷惑がかかる、などの認識が全くないのだ。
部員である自分が、どうしても応援に行かなくてはならない、などの思いもない。
チームも、応援団の一員であることも、まったく欠片もない。主体的な欲望と性衝動しかないのである。
主体人間とは、客体・客観や、主観すら欠けているか、欠落している人間である。
彼らは、自分以外の存在を無視し、他者と共有の常識などを持ち合わせないばかりか、ものの認識が間違っていたり、規範そのものが抜け落ちいてたりする。
彼らにあるのは主体的な個性や性質でしかなく、特に感情的な言動でしかない。
<事件>炊飯器持参で、他人の家へ 電気止められた男を逮捕 「腹減ったからやった」と供述(毎日新聞) - Yahoo!ニュース
電気が止められたから、自分の炊飯器を持ち込んで他人の家の電気で勝手に米を炊こうとしていた、というのだ。
盗もうとしたのが現金ではなく、電気、という点で、住居侵入などの罪の意識も薄れてしまうのだろうか。
これも他人の家であり、それも有料の電気であるという常識すらないことだ。「腹が減っていたので」やむをえない、という考えであるなら、そんな理解や認識が間違っているのだ。
<堀川町原爆慰霊碑>壊される…58年建立 広島(毎日新聞) - Yahoo!ニュース
原爆で亡くなられた多くの死も、慰霊という思いも、核兵器根絶や反戦という平和運動などの常識の欠片もない。それを踏みにじって傷付ける、という悪感情での破壊行為でしかないのだ。
不倫疑惑の渡辺アナ謝罪も「やめろ」(スポーツニッポン) - goo ニュース
新婚である妻の存在や、ニュースを伝える職業にしての品行や常識などについての認識がなく、性的な不倫関係を求めるという欲望だけの行動である。不倫相手にされた女性への思いやりもなく、ただただ自分の保身だけで取材会見を終えてしまった。
「痴漢でっちあげ」女に懲役4年求刑 大阪地検(朝日新聞) - goo ニュース
法学部の学生でありながら、その知識を悪用し、自ら冤罪を作り出す。
何の落ち度のない人を、犯罪者とでっち上げるなど、相手への思いやりも、人権も無視し、自己の人間性もない。
結果的に自首したとは言え、付き合っていた女性をも巻き込んでしまい、共犯という罪を背負わせてしまう。
まったく自己の認識や理解の間違いに気付かず、主観的な規範そのものが抜け落ちいている。
このブログでも無差別殺害事件の後、「主体性だけがぶつかり合い、暴れ回っている」などと書いてきた。
小田和正との比較
比較しているのは森山直太朗の「生きてることが辛いなら」である。
これは無差別殺人事件などの犯人に対する『復讐』のような歌である。
「生きてることが辛いなら いっそ小さく死ねばいい」という歌い出しだ。まるで、その他人が感じている生きていることの辛さについて、何も理解する気がないかのようではないか。その後の 「泣けばいい」も、「見るがいい」も、「生きるがいい」も、まったく何の理解もしない、というほどの認識の無さである。
さらに森山直太朗は、「巡る命」と、生まれ変わりを信じているようで、それが占いや霊能力の影響であろうが、何の根拠も証明もできない、誤りであり、嘘、であることの理解もないのだ。
歌は「くたばる喜びとっておけ」と終わるのであるが、これこそ主体的な個性や性質が書かせたものであり、特に感情的な言葉である。
このように数多く『主体人間』は存在する。
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強制わいせつで逮捕された生徒は、野球部員だったから、夏の全国高校野球大会に出場を予定している、ぐらいのことは知っていたはずである。
なのに、レギュラーの仲間に何らかの迷惑がかかる、などの認識が全くないのだ。
部員である自分が、どうしても応援に行かなくてはならない、などの思いもない。
チームも、応援団の一員であることも、まったく欠片もない。主体的な欲望と性衝動しかないのである。
主体人間とは、客体・客観や、主観すら欠けているか、欠落している人間である。
彼らは、自分以外の存在を無視し、他者と共有の常識などを持ち合わせないばかりか、ものの認識が間違っていたり、規範そのものが抜け落ちいてたりする。
彼らにあるのは主体的な個性や性質でしかなく、特に感情的な言動でしかない。
<事件>炊飯器持参で、他人の家へ 電気止められた男を逮捕 「腹減ったからやった」と供述(毎日新聞) - Yahoo!ニュース
電気が止められたから、自分の炊飯器を持ち込んで他人の家の電気で勝手に米を炊こうとしていた、というのだ。
盗もうとしたのが現金ではなく、電気、という点で、住居侵入などの罪の意識も薄れてしまうのだろうか。
これも他人の家であり、それも有料の電気であるという常識すらないことだ。「腹が減っていたので」やむをえない、という考えであるなら、そんな理解や認識が間違っているのだ。
<堀川町原爆慰霊碑>壊される…58年建立 広島(毎日新聞) - Yahoo!ニュース
原爆で亡くなられた多くの死も、慰霊という思いも、核兵器根絶や反戦という平和運動などの常識の欠片もない。それを踏みにじって傷付ける、という悪感情での破壊行為でしかないのだ。
不倫疑惑の渡辺アナ謝罪も「やめろ」(スポーツニッポン) - goo ニュース
新婚である妻の存在や、ニュースを伝える職業にしての品行や常識などについての認識がなく、性的な不倫関係を求めるという欲望だけの行動である。不倫相手にされた女性への思いやりもなく、ただただ自分の保身だけで取材会見を終えてしまった。
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法学部の学生でありながら、その知識を悪用し、自ら冤罪を作り出す。
何の落ち度のない人を、犯罪者とでっち上げるなど、相手への思いやりも、人権も無視し、自己の人間性もない。
結果的に自首したとは言え、付き合っていた女性をも巻き込んでしまい、共犯という罪を背負わせてしまう。
まったく自己の認識や理解の間違いに気付かず、主観的な規範そのものが抜け落ちいている。
このブログでも無差別殺害事件の後、「主体性だけがぶつかり合い、暴れ回っている」などと書いてきた。
小田和正との比較
比較しているのは森山直太朗の「生きてることが辛いなら」である。
これは無差別殺人事件などの犯人に対する『復讐』のような歌である。
「生きてることが辛いなら いっそ小さく死ねばいい」という歌い出しだ。まるで、その他人が感じている生きていることの辛さについて、何も理解する気がないかのようではないか。その後の 「泣けばいい」も、「見るがいい」も、「生きるがいい」も、まったく何の理解もしない、というほどの認識の無さである。
さらに森山直太朗は、「巡る命」と、生まれ変わりを信じているようで、それが占いや霊能力の影響であろうが、何の根拠も証明もできない、誤りであり、嘘、であることの理解もないのだ。
歌は「くたばる喜びとっておけ」と終わるのであるが、これこそ主体的な個性や性質が書かせたものであり、特に感情的な言葉である。
このように数多く『主体人間』は存在する。
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