言語分析未来予測

上石高生
言葉の分析からの予測です。分析の正しさは未来に答えが出ます。分析予測は検証可能でなければなりません。

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2007年11月28日 09時46分28秒 | 批評
Unknown (呆れるね)2007-11-28 08:16:51
国益に害ある行動を取る民主党よりも花岡の方がマシ。 こんな政権担当能力のない党が政権取った時の混乱をアンタは真剣に想像できてるの?

 産経の記事の批判を書いたときのコメントです。
政治家の質の問題ですよ
 おっしゃることはごもっともです。
 私は民主支持ではありませんし、あの金権政治の権化とも言うべき小沢氏にも批判的でありますから、国会運営にしても、今後にしてもとても心配です。

 だからと言ってですね、民主の問責決議には自公与党は衆院で首相信任決議を採択、で対抗するとかは、程度が低いではありませんか。現実には、証人喚問には証拠を示さない議員を逆証人喚問、で対決などという泥仕合的発想です。参院こそ政党間の意見の調整や政策協議の場であってほしかったのですが、政治家としての冷静さも理性もないようであります。まさに政治家の質が問題なのです。

 しかし、年金問題にしても、防衛問題にしても、政権交代する理由としては十分な内容で、もはやこの流れは止めようがありません。
 ということで民主には今後、責任政党としての試練を感じてもらう他はない、ということとなります。つまり、ますます批判が高まる、ということでしょう。
 ですが、その批判は、もう少し程度の高いものを望みたいというのが、私の意見です。

民主党の態度は憲法侵害?(産経新聞) - goo ニュース

「怒りオヤジ3」7/26~5/3の攻略

2007年11月23日 06時22分00秒 | Weblog
まとめ
 「怒りオヤジ3」の対局での勝敗の基準とは“叱られた人が負け”である。
 挑戦者を一般公募している条件が「叱られたい人」でありながら、逆に名人が叱られてしまう、ではそれは名人の負けを意味するものである。しかし挑戦者がただ叱られているだけでは名人の勝利である。
 挑戦者が勝利を目指すのなら、自分の解決つかない悩みを主張したり、何の解決もできない名人の批判を続けてたり、で最後には名人を強く叱ることである。この場合、名人の「自分で解決しろ」という言葉は無意味な批判である。なぜなら、自分で解決できないから悩みになるのであって、この番組はそんな人達を募集したのであるからだ。
 ポジティブな場合は、自分の活動を主張しつつも、名人にふさわしい議論や言葉を要求する。それで名人にふさわしくない場合は、そのことを強く叱って挑戦者としての勝利を目指そう。

 叱られる挑戦者、成功している名人、という構造を崩すことで挑戦者の勝利となる。
 過去の体験、現在の地位などは、今の対局には無関係のことである。将棋の対局に、過去の勝敗が関わらないように、「怒りオヤジ3」の対局でもこれは同じであり、今の議論での争いが重視されるはずだ。

怒りオヤジ3:テレビ東京
07/7/26
「俺達、つくばのホストなんですけど何か?」
 ポジティブな挑戦者。
 戦略としては「喜んできてくれる女性のお客さんばかりだ」と押すべきである。
 現実には中盤で「病んでる女性がお客で来たらどうする?」という名人のこの言葉が議論の転換となる。
 これはホストクラブにしては突飛な言葉などで「そんな人は来ない」と言えばいい。手を出してくるようなら、「これが対局か。名人失格だ」と叱り挑戦者の勝利。将棋の対戦で相手の髪の毛を引っ張るなんて聞いたこともない。暴行で刑事事件にしてもいいだろう。芸能界追放となるかもしれない。

07/7/5
「私達、巨乳風俗嬢なんですけど何か?」
 太っていること、職業について、男性関係について、ネガティブである。
 しかし名人は挑戦者の身体についての興味しかない。
 また「デブ」という言葉がいかにも子供っぽく、「名人としての資格無し」と叱って挑戦者の勝利。

07/6/28
「僕達、この夏童貞を捨てたいんですけど何か?」
 童貞としてネガティブ。
 しかし名人は一つ一つ質問に答えている。単なる批判ではない点、挑戦者に不利な状況である。
 一般基準的な思いやりを上回る苦悩を訴えて、食い下がらなければ挑戦者に勝ち目はない。

07/5/10
「私、平成生まれのセクシーアイドルなんですけど何か?」
 クラビアアイドルとしてポジティブ。
 批判が「体型が少女っぽすぎる」では、色欲丸出しである。「いやらしいだけで名人にふさわしい批評が出来ない」と叱って挑戦者の勝ち。
 
07/5/3
「私、あんたよりセクシーなんですけど何か?」
 最高にポジティブだが、見た目に拘りすぎで、議論で争う目的が失われている点は失敗例。
 だが逆に考えると、まるで挑戦者が今までの名人の立場であることが分かる。
 しかし「好き嫌い」を言うだけでは批判にもならない。これでは挑戦者は勝てない。
 「グラビアアイドルの名人として語ってくれ」と言って、さほどのことを言えないようなら、それで「名人失格」と叱って挑戦者の勝利。


 この番組は、見せているものを“対局”としていながら、勝ち負けを曖昧にしています。どちらが勝ったか分かりません。挑戦者が勝てば、その栄誉を称えるはずでしょうが、過去にそんなことは一度もありませんでした。なぜでしょう?
 悩みのある人達がこの番組に出るのに、名人は助言よりも議論による争いを繰り返します。その結果、悩みのある人達に、批判、中傷、罵倒、嘲笑、見下し、軽蔑、などの言葉が投げかけられます。
 それでも、一般の参加者は、誰かの評価を求めているのです。もちろん、悩みのある人達だけではありませんが……。

 私は、対局を尊重して勝ち負けに拘り、挑戦者を応援しました。
 心ある人なら、誠実な助言や、問題解決などを番組に求めるでしょう。しかしそれでは元々のコンセプトが崩れ、この番組そのものが変質するか消滅するでしょう。
 どうしたらいいのでしょうか?

 私は挑戦者が勝って、芸能人を押し退け、彼らがテレビにより出演してもいいのではないかと思っております。
 今の芸能人も、挑戦者も、さほどの差がないのであるなら、この対局で勝利した、悩み多き“怒れる挑戦者”が、より多くテレビに映されるべきではないでしょうか。

 頑張れ“怒れる挑戦者”たちよ。君たちと芸能人にさほどの差はない。

11/8「怒りオヤジ3」の攻略

2007年11月22日 06時00分07秒 | Weblog
「私、こんなはずじゃないんですけど、何か?」。
 序盤は挑戦者のネガティブな告白である。理想と現実が違うことが、周囲の影響でもある、という訴えを名人が「他人のせいにする」と批判。
 中盤は、名人の「他人のせいにして何か変わったか?」という攻撃が挑戦者に迫る。挑戦者は「変わりません」と名人の批判を受け入れてしまう。これでは挑戦者がだいぶ不利である。

 ここで挑戦者は「親に対する憎しみ」を告白した。
 このようなことは自覚しても、なかなか言葉にはしにくいものである。多くの人は指摘されても認めたがらないものである。
 心理学で言うなら、“内心の敵意”の吐露であり、実はこれが挑戦者の過去の仕事にも影響したのではないかと考えられる。
 しかしこのような人は挑戦者だけではない。過去の名人でも一人、見受けられた。
6/22「怒りオヤジ3」-名人:いとうまいこさん
 過去の記事では、いとうまいこさんの高いプライドと内心の敵意(本人は認めないだろうが)、について指摘した。この挑戦者とはだいぶ程度に差があるのだが、たとえば、いとうまいこさんが独身の理由を分析する上でもこの点はひじょうに重要なことであろう。もちろんそんな依頼は来るはずもないから分析はしないのだが……。

 いとうまいこさんにしても、挑戦者にしても、高い自尊心・プライドを顕示し続けるという強い自意識が動機となった攻撃性が、過去の言動にも大きく影響したと理解できる。
 個人的な分析はこのくらいにする。

 とにかく過去のネガティブな告白は、現在の対局の勝敗を左右しない。このような心理は挑戦者だけのものではないのだ。その告白を批判するのに「人間のクズ(確かこのようなことを言ったと記憶している)」というようなことを言うとは、「これは言い過ぎであり、品格に欠けるものだ。名人失格である」と挑戦者が叱って今までを挽回することができる。
 もし名人が「人間のクズ」とテレビ番組ではっきりと言ったとすれば、公然と侮辱したことになり、侮辱罪が成立し刑事事件ともなる。逮捕・立件されれば芸能活動停止であろう。

 終盤。
 名人の「(人生を)どうやって変えるの?」の質問に、挑戦者は「それが分かれば今日、参加してません」と言っている。
 対局では挑戦者の「悩み」は武器なのである。
 たとえば、挑戦者の名人への批判としては「私が今まで苦しんできたこの悩みをここで告白したのは、名人から何らかの解決方法を聞けると思ったからだ。しかし名人は私に対して批判するばかりで、悩みはいっこうに解決できない。それで名人と言えるのか?」などであろう。
 名人は「また人のせいにするのか?」などと批判するだろう。
 それに対しては「自分で解決できないから悩みになるんだ。悩みを自分で解決しろと言うんだったら、この対局には名人はいらないだろう。あなたは何のためにこの番組に出ているんだ?」と、名人の存在意義を正すことができる。

 一般的には「自分で行動するしかない。小さな仕事でもやるしかない」というのが結論となる。名人にしてもこのようなことを言う可能性は十分にあるだろう。

 しかし挑戦者が「名人の丁稚奉公をしたい」と言ったのでは、名人の勝利となってしまう。名人に屈服した形だ。

 挑戦者の本音としては、もう何をやったとしても上手くいかない気がして仕方ないのではないだろうか。「丁稚奉公をしたい」と言うのも、そんな悲観が言わせたことではないか。
 このような悩みは番組での名人にはとても解決できないものだろう。それを挑戦者が訴え続けたなら、この名人ほどの考えではお手上げである。それで挑戦者の勝利は間違いない。

「怒りオヤジ3」の攻略

2007年11月21日 06時40分34秒 | Weblog
 この番組では、2人の対局者による争い、という見せ方・演出に拘っています。これは将棋のように、議論の攻防を見せるという意図があると理解できる。
 そんな争いに参加してもらう人を一般から募集するのだが、その条件とは「怒られたい人」や「叱られたい人」、「お説教を受けたい方」である。
 「怒られたい人」や「叱られたい人」、「お説教を受けたい方」とは、「批判を恐れない人」ということと理解できる。批判は議論の攻防として名人と挑戦者、双方に認められた攻撃であり、そういうルールなのである。

 対局という議論の攻防は、挑戦者と名人によって二分されている。
 挑戦者とは一般から募集で集まった人達であり、受けて立つ名人とは芸能人となっている。

 番組のホームページでは、「ダメ人間」という一般人が、芸能人からお説教を受けるというもので、そのお説教とは私が見る限りでは、常識程度かそれ以下の独善での押し付けでしかない。
 挑戦者が不利なのは、名人から叱られる、という構造を打ち破れないでいるからである。ここを打破してしまえば、簡単に名人を攻略できるはずである。

 多くの挑戦者たちは潜在的にも視聴者たちの評価を望んでいる。しかしこの番組では挑戦者の目的や議論の方向性が曖昧にされたままなのである。
 たとえば、叱られたい人を番組が集めた理由とは何か?
 番組の概要では、愛のお説教、現代の闇と真っ向から戦う、本気で叱り解説者であるMCが笑いに変える、浮気性女に本当の愛を涙で語った、無職ニートに大声で喝を入れた、中絶してもヤリまくるバンバ女を母の心で包んだ、素人相手にタレントが本気で叱る、などと言葉はあるが、どれも「助言」や「問題解決」とは書かれていない。世の若者達は今悩んでいる、現代の闇、悩めるダメ人間、を募集したとしても名人である芸能人は誰一人として「助言」や「問題解決」をするなどとは考えてないのである。番組のコンセプトとしても、である。
 つまりこの番組とは、悩める人達を助けるものではなく、悩める人達と、芸能人たちの、議論での争いを見せる番組なのである。
 芸能人は、ただただ一般からやってきた挑戦者との格の違いを見せつける“名人”として存在させたいというのがこの番組の意思なのである。だからこそ大いにスキがあるのだ。

 この対局の明確な勝敗の基準とは何か? どうなったら勝ちとなるのか?
 答えは単純明快である。
 ――叱られた人、が負けである。

 叱られる人を募集して対局をしたにもかかわらず、名人である芸能人が逆に叱られる、この状況こそ名人が詰んだ瞬間であり、挑戦者の勝利である。このことはひじょうに重要なことである。
 もちろん挑戦者がただ叱られていたのでは勝ち目はない。この番組は人生相談ではなく、議論での争いなのである。

序盤
 議論は挑戦者の告白から始まる。「ダメ人間」を募集しているので、ほとんどが名人の批判を受けるようなことを言わされてしまうのは致し方ないことだ。しかしこれは不利なことではない。勝ち負けに拘るなら、自分を謙遜する意味でも低く印象づけておくことが肝心である。それで名人が勝機を見て説教してくるようなら、他人を侮る思い上がりがあるということで、挑戦者が有利となろう。

 挑戦者が現実に成功してない、という批判は勝負には関係ないことであるのを覚えておかなくてはならない。
 勝負は平場の対局であり、対戦であるのだ。将棋の対局に過去の勝敗は関係ないのである。今、打つ一手が重要なのであることを忘れてはならない。

 序盤で注意しなくてはならないことは、叱られる挑戦者、という番組のコンセプトを崩すことである。
 「過去の失敗や過ちは、この対局での勝敗には左右されない」のである。このことを指摘され批判されても、「他人の、それも告白した欠点を批判するのは単に卑劣なだけだ」と、その悪手を印象づけることだ。
 挑戦者のネガティブな告白は、名人を打倒するための罠でもあると考えを変えよう。

中盤
 名人の攻撃が本格化する。それが単に挑戦者の批判に終始するなら、「子供のケンカ」として笑えばいい。何の参考にもならないことである。「名人に君臨するなら、もっと実のある助言をすべきだ。何の参考にもならない」などと、いくらでも批判には批判で返せるはずだ。

 中盤は特に重要だ。
 ここで勝敗に関わる重要なことを決定付けなければならない。
 「なぜ名人はこの番組に出られるのか?」ということである。
 ここでこの番組にある、名人から叱られる挑戦者、という元々のコンセプトを崩すのである。
 名人が、お笑い芸人であったとしても、政治家であったとしても、「怒りオヤジ3」で対局する限りにおいては、その経歴や才能はまったく関係ないことである。過去の勝敗は現在の対局には関わりないことなのである。対局中は、常に今の議論の争いこそが重要であるのだ。
 「名人と認められるほどの考えが無ければ納得ができない」と、これがこの勝負の本質である。名人が単に挑戦者の欠点を批判するだけなら、「何の建設的なことも言えない」ということで、「名人という資格に問題がある」ことを指摘できる。
 相手の名人という立場を引き下げることに成功できるなら、「この番組に出るべき人間は挑戦者でも良い」ということになる。
 つまり前の、「なぜ名人はこの番組に出られるのか?」の理由まで、これで崩れることになるのだ。

終盤
 名人を追い込み詰ませよう。
 ここでは挑戦者が名人を、叱る、のである。
 名人が単に挑戦者の欠点を批判しているだけなら「子供のケンカ」として、「名人にあるまじきこと」と叱ることができる。
 名人が批判できなくなれば、「名人失格」として叱ることができ、「この番組への出演の権利は名人よりも挑戦者にあることを認めよ」と名人に迫ることができる。ここで名人が「認める」とすれば挑戦者の完全勝利である。

 重要点。
 「挑戦者の悩みが解決できない」でも十分挑戦者の勝ちである。
 悩みはいつまでも存在し、どんな名人でも解決できないとは、いつまでもこの番組で論じられるべきテーマであり、挑戦者はいつまでもこの「怒りオヤジ3」に、“怒れる挑戦者”として出演できる権利があるのだ。そして「この番組に出るべき人間は名人ではなく、深い悩みに苦しんでいる、“怒れる挑戦者”である」と宣言して挑戦者の完全勝利となる。
 このような解決できない悩みこそ、この番組の「怒りオヤジ3」の次の名人が対局しなければならないテーマであり、“怒れる挑戦者”の次の対局は――番組も名人も逃げることなく――保証されなければならない。

 さらにわかりやすく書く。
 名人が挑戦者の悩みを解決できないことで、挑戦者は名人を「名人としての栄誉にあるまじきこと」として「叱る」ことができる。叱るはずの名人が、叱られることで、負け、である。
 挑戦者の武器は「悩み」である。もっと単純に説明するなら「名人として偉そうなことを言うならこの悩みを解決してみろ」と追及する、ということだ。いつまでも「納得いかない」と、ごり押しすることもできる。
 もちろん、そんなことをしたらこの番組は混乱してしまうが、それは人の悩みをあざ笑ったり、批判したり、叱ろう、などという制作者の失敗に過ぎない。別に良識のある人達が心配することでもないのだ。

 ポジティブな挑戦者は、自分のやっていることを認めさせることを目的に議論すればいい。
 自分のやっていることが世の中に十分受け入れられていることを説明すればいいのだ。
 なぜそれが受け入れられないか、を名人がうまく説明できなければ、「名人の資格はない」と挑戦者が逆に叱って勝利する。
 また名人が挑戦者を認めれば、これは議論を争う対局なのだから、挑戦者の勝ちとなる。「対局者として、議論を争う相手として、能力が不足している。とても名人とは認められない」と叱って挑戦者の勝利である。

 次の記事には、実際の対局を基にして「怒りオヤジ3」の攻略を解説します。

「怒りオヤジ3」

2007年11月16日 16時25分11秒 | 分析
 挑戦者、結月里奈さん、22歳、レースクイーン。好きな言葉、変態。志望の動機、「私、見られると興奮しちゃうんですけど何か?」。

 いきなり女性が男性に下着の質問をしている。何色ですか? ティーバックははかないのか? はいたらどうか? ブラジャーとかしますか? 目覚めなかっんですか? 
 変態ではないのか、ということを遠回しに聞いているようだ。

 仕事をしているときも露出の多い格好をしているので……。レースクイーンと変態アイドルをしています。

 隠し撮りと盗撮はイコールではない。

 好きなタイプの盗撮者
 1.ほどよい距離感。近すぎるのは感じない。
 2.ローアングル。かすかな、ちらっはいい。
 3.ポリシーを持っている。
 4.ハニカミ。

 目で犯されたい。
 撮影後の興奮が抑えられない。誰も同じような性の意識や体験があるのではないかと思っている。
 縛られるのが好き。逆痴漢。電車を降りると誘われる。
 彼氏はいない。人と付き合わない。女の子の方が好き。付き合うんだったら女の子と付き合いたい。女の子との裸を見るのが好き。(男性とは)見せるのが好き。男性との性行為は好きじゃない。男性経験は無い。男性不信ではない。

 女の子の方がエッチだ。男性の方が辛い。(全ての男が興奮しているのではないかと思っているのではないか)目で犯されたからやったまで。
 お互いにハニカンだ状態が重要らしい。
 盗撮されたら、意識して、はにかんで「直ぐ逃げるよ」と言っている。

 先の目標は、もっと変態を究めること。普通のエロじゃなくて、もっといやらしく。
 理想は縛られてきれいに見えるのがいい。

 Q:今後、露出はどうするんですか?
 A:ちょっと控えたいと思います。しばらくは。


 名人や司会者たちは「変態」というイメージだけが先行して理解に苦しんでいた。

 簡単に分析する。
 男性への思いが複雑で、コンプレックスとなっている。それで男性をもてあそんでいるように見えるのである。またそのコンプレックスのせいで男性との性的行為を避けているのだ。
 しかも自己愛は空想的であり、それで男性も同じように感じていると思ってしまう。

 詳しくはないが、この程度でも十分であろう。
 しかし分析できたといっても、理解できたわけではない。理解する必要もない。
 また彼女に何の悩みもない今は、さらなる深い分析もいらないだろう。

小沢氏の記者会見

2007年11月07日 17時57分53秒 | 政治
 午後5時過ぎてからの記者会見を見ている。
 ほんとうに小沢さんは話が下手だ。「口べた」なんて通り越している。
 「ぷっつんした」なんて笑ってしまう。
 金があるんなら、スピーチライターでも雇えばいいと思うが、自覚がないんだな。
 しかし辞任会見の時のような険しさはない。くってかかる記者たちを笑顔で受け止めている。

 これを聞く限り、ここのブログでの前の記事と同じような内容である。二大政党としての政策協議を重視したということだろう。連立は元々、さほど拘っていなかったということだ。またこれも予測的に書けた。

小沢代表「口べたな東北かたぎ」と釈明(産経新聞) - Yahoo!ニュース
小沢氏、辞意撤回 「ぜひ、もう一度がんばりたい」(朝日新聞) - goo ニュース

今回の連立騒動

2007年11月07日 15時37分30秒 | 政治
 二大政党と言っても、選挙で勝利し、議席を上回って、政権を奪取し、はれて与党となったとしても、前政権から引き継がなければならないことが当然あるのだ。
 たとえば安保などがそれだ。
 今回、特措法に拘り、それから連立を前提での政策協議に動いた小沢氏であったが、まだ左派が幅を利かしている民主党に持ち帰ったとしても、通るなどとはとてもじゃないが思ってなかっただろう。

 より現実的な責任政党になることとは、より保守化するしかないということである。物を作っての輸出に頼る日本経済において、アメリカとの同盟関係と、国連を基軸とした国際関係は、両輪のように欠くことのできないものである。たとえ政権交代が行われたとしても、安保破棄などの180度の転換は、国連での立場と国際関係を悪くするものであり、それは敏感にも経済への打撃となって表われてくる。

 これらのことからも責任政党であれば、現政権と表であれ裏であれ政策協議を行うのは当然のことなのである。しかしそんなことにも拒否反応を示す左派があっては、民主党の先が思いやられると小沢氏は思ったに違いない。

 今回の代表の辞任劇は、民主党がより保守的になるためのデモンストレーションであったということだ。連立は無理としても引き続き自民党との政策協議を行うことについて、今後ともそれを問題にしない体質改善を、選挙における不安を利用したショック療法として実践したものであろう。

 読売の渡辺氏は日本のために小沢氏を利用し、小沢氏は民主党の保守化のために渡辺氏を利用した。どちらにしても有意義であったに違いない。

小沢氏、辞意撤回 「ぜひ、もう一度がんばりたい」(朝日新聞) - goo ニュース
小沢代表、慰留受け続投 「恥さらすようだが、もう一度」(産経新聞) - goo ニュース
小沢代表、辞意撤回=「恥さらすが、頑張りたい」-続投要請受け・民主 (時事通信) - goo ニュース