言語分析未来予測

上石高生
言葉の分析からの予測です。分析の正しさは未来に答えが出ます。分析予測は検証可能でなければなりません。

電子書籍

http://p.booklog.jp/book/47146 あなたの未来 INDEX 

問題は別の所にある

2008年05月31日 07時29分27秒 | 話題
宗教「信じない」7割、「魂は生まれ変わる」3割…読売調査(読売新聞) - goo ニュース

 信教の自由が前提でありながら、宗教心について指摘したことに考えさせられる。
 オーム真理教という教団が、かつて無差別テロ事件を起こし、多くの被害が出たことを抜きにして考えていることで、このテーマがぼけているのだ。

 また日本人の宗教観が変化することよりも、実質、悪影響を受けているのは日本中の宗教者たちであることをまったく見落としていることが、この調査の大きな欠点でもある。
 実際、宗教法人の新規の取得は難しくなったと聞く。

 オーム真理教だけでなく、去年の暮れにしても大きな事件があった。
悪影響は歴然
 特に、警察の現職警視が霊感商法に関与し、その役職を利用していたことが明らかになったことでは、「本物の神だと信じているので、霊感商法でも詐欺でもない」と法律よりも、自分の信じている神を優先してしまって、「正しいこと」であると主張している、ことに至っては空恐ろしさを感じた。権力と武力を認められた人間が法の優越を否定した瞬間であった。

 もっとも『死んだ人の魂については、「生まれ変わる」が30%で最も多い』とは見逃せないことである。
 このブログでは、さんざん批判してきたことである。
根拠が無くでたらめ 反占 言語分析未来予測
 実際、2004年から小中高生の意識調査では、2~3割が「死んでも生き返る」と答えるのである。理由は「何となく」である。

 児童心理学ではこのようなアニミズム的な観念は、発達段階で後退するはずであるのだが、最近、主観的集合知が客観である、などと言って憚らない人間がニュースについて語っている現状を見るに付け、学校教育はすでに敗北していると言わざるをえない。

 生まれ変わるために死にたいと思って自殺する子供たちを食い止める意味でも、このような考えは批判し続けなければならない。特にバラエティーのテレビ番組が悪影響となるなら、なおさらである。
 2006年12月、『中2男子が飛び降り自殺、自室に「生まれ変わる」メモ : 社会 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)』。

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ニュースサイトを面白くするためには?

2008年05月31日 02時44分59秒 | 話題
ユーザー参加型ニュースサイト - newsing(ニューシング)
 ニュースサイトを面白くするためは、多様性なんかに可能性を見出さずに、もっとまともな評論を育てることです。
 ニュースサイトがお金を払ってでも“ニュースとして真に価値のある記事や、評論として価値のある記事”を買うことです。これこそ真の評価でしょう。素人の、お気に入り、なんかよりもよっぽど書く動機となるものです。
 これができればnewsing(ニューシング)が認めたプロの記者や評論家を作り出すことが出来るということになる。ニュース記者や評論家の登竜門になることができるでしょう。今よりも盛上がるでしょうね。
 これをやらなければ、これからも訳の分からないブログがニュースとして掲げられるでしょう。それらの多くは、多様性という歪んだ主張に過ぎません。

 しかしそれで満足なら、それも仕方ないことでしょう。まあ、ニュースとは何か、を考えてみれば分かることです。

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様々な波紋

2008年05月30日 02時13分29秒 | 話題
殺人説も!川田亜子の自殺と○○盗聴ストーカー  azumijunko
MailuX
2008/05/29 【サイバッチ!】川田亜子の「カウンセラー」を操る「鬼畜」1136[05/29//08]
2008/05/29 【サイバッチ!】川田亜子の父親が刑事告発を決意!!1135[05/28//08]
2008/05/28 【サイバッチ!】川田亜子がベンツに残した遺書の中身!!1134[05/28//08]
2008/05/27 【サイバッチ!】川田亜子、自殺ベンツは事務所取締役の車1134[05/27//08]
2008/05/27 【サイバッチ!】川田亜子は免許を持っていなかった1133[05/27//08]
2008/05/27 【サイバッチ!】川田亜子自殺現場は芸能プロ社長の自宅前1132[05/26//08]

Yahoo!掲示板 - アナウンサー - 川田亜子が自殺したんだって
●川田亜子の父親が刑事告発を決意!! 殺人事件の可能性も


 噂に尾ひれがついて、ネットで泳いでいる感じです。

 まさか警察の初動捜査で、自殺と他殺の判断が間違っていた、ということはないだろう。
 自殺と他殺の判断は、警察の初動では最重要であり、これを間違うとは捜査としては致命的であり、後で批判される元である。完全犯罪を誘発させないためにも、この初動捜査は肝心なものである。

 まず練炭の購入先から、購入者が特定されているはずだ。
 車内からの指紋などで情況が特定できるはずだ。隙間を埋めるガムテープなどの指紋で本人が張ったものか否かが分かる。
 自殺を偽装するには被害者の意識を失わせる睡眠薬か何かが必要になる。薬物によるものなら、何らかの影響が残るはずだ。また抵抗した後が、たとえば被害者の爪などから知ることができる。
 何らかのトラブルがあったとしても、偽装殺人と釣り合うだけのリスクを許容できるとは思えない。偽装殺人では、計画性がある、ということでなお罪が重くなるのである。

 ご両親の心痛はいかばかりか、想像もできない。そんな嘆きに同情をした多くの感情が歪曲し、他殺説を生み出したのではないか。
 万が一、他殺であったとしたら、それは驚天動地の事件となるだろうが、それも、万が一、のことである。

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川田さんの不安とは何か?

2008年05月29日 09時54分11秒 | 分析
川田アナの心の友「悩みは1つではない」(芸能) ― スポニチ Sponichi Annex ニュース
 このニュース記事は、川田さんが「ソウルメート(心の友)」と呼んでいた友人からの取材である。
 ソウメイトとは、転生輪廻を前提とした概念であり、魂の伴侶、運命の人、ということであるようだ。いわゆる最近流行のスピリチュアルであり、ソウルメイト占星術などもあるようだ。転生輪廻とは、生まれ変わりという意味である。
 このような生まれ変わりという運命を信じている男性と、ミッション系の高校と大学に通っていた女性の取り合わせは意外だ。このようなソウルメイトとは、キリスト教の信仰とは矛盾のないものなのだろうか?

 このソウルメート(心の友)によると、彼女は「もっと忙しくしたい、暇な時間がたくさんあると世の中が暗くなる」と言うほどであったようだ。フリーになって仕事が減り、自由時間が増えたことが“ストレス”と感じているとはどういうことか?

 あまりにも仕事が好きで、休憩や休息がうまくできない、休憩や休息では何をしていいか分からなくなる、ということであるようだ。これは適応障害と言うよりも、仕事依存というものであろう。
 これらのことから過去の記事を考えてみる。
川田さんの言葉
 ブログで、なぜ感情が語られないかは、それも仕事の延長だから、だろう。
 休憩すると宣言するが、また書いてしまう、という“ためらい”の気持ちなども、仕事好きの人間が休憩や休息がうまくできない、ということで説明がつく。
 「ちゃんと自分にあった香水が見つかると嬉しい」という、「ちゃんと」という表現も、仕事を意識している言葉である。「女性にも、男性にも好かれる香り」とは、トークショーのコンセプトなのかもしれない。

 「今まで5年間、アナウンサーをやってきて、この司会業が唯一、私ができることなので……」と、5年の職歴を唯一と固く思っていた。それがフリーとなって一人の時間を持て余すこととなると、休息がうまくできないことで不安になる、ということではないか。

2008年05月22日
仕事の合間
テーマブログ
一番苦痛であります。昔は本を読んだりお茶をしたり、ぼーとしたり、楽しかったのに、今は切ないです。豪華なホテルのロビーで優雅に幸せそうにしている方々を眺めながら、移りゆく景色に胸がきゅーとしめつけられます。

 仕事優先の生活で、自己の感情を抑え込んでいくうちに、プライベートがうまくいかなくなり、公私のバランスが崩れ、仕事依存という生活となってしまった、と考えるべきか。それで仕事が減ると、プライベートの時間が不安へと変貌してしまう。

 同時にこのブログでは空虚感と切なさも見せている。
 読んでいても、孤独感がひしひしと伝わってくることら、これが愛する対象や家族への思いであることが察することができる。

 また特徴的なのは、満月なのに、「今宵はかけていく満月を堪能しますか」と書いていることだ。満月を見ている感想がないのはなぜか。一夜で満月が欠けるはずはない。これは蜜月が欠けていくことを暗に示唆しているのではないかとも読める。親密な交際が続かなかった思い出を語っているようである。

 よりプライベートで不安が増することで、信仰心による自責も大きくなったようだ。
自己を追い込む原因とは何か?
 「母の日に私は悪魔になってしまいました。産んでくれた母に、生きている意味を聞いてしまいました。母の涙が、私の涙がとまりません」
 この意味とは、ヨブ記によるものではないか。
 悪魔の災いに陥れられたヨブは第10章ではこう神に訴える。

 なぜ私は生まれなければならなかったのですか。
 私が死んでいたら、誰も知りませんでした。
 死産で生まれてきた方が、
 どれほどよかったか分かりません。

 しかし最後では、ヨブが自分の罪を知り悔い改めると、主はヨブを慰めいたわり、さらに祝福された。


 仕事依存による弊害が、プライベートで悪影響となったことで、空虚感や孤独感が不安にまで高まり、それが元々の信仰心と複雑に絡み合って解決つかなくなってしまったのではないか。
 しかし彼女にしても、ヨブのように最後は神様に慰められ、さらに祝福されることを望んでいたに違いない。

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川田さんの言葉

2008年05月28日 08時46分47秒 | 分析
YouTube - 川田亜子さん 最後のテレビ生出演

「川田亜子さん 最後のテレビ生出演」から
元はフジテレビ午後5時57分のニュースのよう

去年(2007年)4月に大手プロダクションに移籍。
報道の取材陣に対して
「ほんとうに寒い中、お集まりいただきましてありがとうございます。今まで5年間、アナウンサーをやってきて、この司会業が唯一、私ができることなので……」


 フリーになる野心が感じられない。丁重なあいさつ。「この司会業が唯一、私ができることなので」は固さか。


川田さんのブログでの手記(現在は削除されている)
「フリーアナウンサーとして歩き始めましたが、時々、ふわふわした感覚にとらわれて、どちらに歩きはじめればいいのか分からなくなるときがあるのです」


 現実感が希薄。


一部週刊誌に取り上げられたブログ手記
「仕事の合間、一番苦痛であります。豪華なホテルのロビーで、優雅に幸せそうにしている方を眺めながら、移りゆく景色に、胸がきゅーっと締め付けられます」


 空虚感。


2008年05月14日
すみません
テーマブログ
みなさんからたくさんたくさん元気をいただいていたのにもかかわらず、
あまりにも沢山の方に心配をかけるということで、
元気になるまで、皆さんとこうしてお話をするのを休憩させていただきます。

本望ではないのが、ざんねんです。。。でも私は本当に皆さんに助けていただいています。
どうか信じて下さい。

みなさんの幸せをいつも願っています。

川田亜子


2008年05月14日
やっぱり
テーマブログ
自分の気持ちが伝えられないのは寂しいですね

こっそり書いてしまいました。頑張って仕事行ってきます。


 休憩すると宣言するが、また書いてしまう。ためらいの気持ち。決心が付かない。
 「みなさんから……元気をいただいていた」が、「沢山の方に心配をかける」。うまく伝わらない。
 「本望」が表現されてない。感情が表せていない。
 「自分の気持ちが伝えられないのは寂しい」
 誰に「こっそり」なのか。


2008年05月21日
言葉が

テーマブログ
でてこないので、今日は書くのをやめようと思います。

夜風に吹かれながら、たそがれ、ほんの少しの幸せを感じ

みなさんにとっても素敵な夜になりますように


 書くのを止めようと思うが、書いてしまう。“ためらい”。


2008年05月21日
眠れぬ夜に
テーマブログ
今宵の満月が見えていますか?

徒然草に、
『花は盛りに、つきはくまなきのみ見るものかはとかいへるは、いかにぞや。』
兼好法師が徒然草で、「花は盛りの時のみ、月は曇りなく輝ている時のみを見るものであろうか。そうではない。」と。。。今宵はかけていく満月を堪能しますか。。。


2008年05月22日
仕事の合間
テーマブログ
一番苦痛であります。昔は本を読んだりお茶をしたり、ぼーとしたり、楽しかったのに、今は切ないです。豪華なホテルのロビーで優雅に幸せそうにしている方々を眺めながら、移りゆく景色に胸がきゅーとしめつけられます。


 かけていく満月とは何か。満月を見ている感想がないのはなぜか。
 空虚感と切なさ。切ない→やりきれない=最後まで続けることが出来ない。


今日
テーマブログ
◆5月22日(土)
◆14:50~15:40
六本木・泉ガーデン セミナー会場Dにて
◆香水スペシャリストの山田麻穂さんとのトークショーを行います。
……
香水ってどの香りも素敵でついつい買ってしまいますが、
ちゃんと自分にあった香水が見つかると嬉しいですよね。

やはり女性ですから、女性にも、男性にも好かれる香りに出会えれば嬉しいです。

ぜひお立ち寄りください。


ニュース報道では『「疲れた。」との内容の家族宛の遺書』とある。


 「ちゃんと自分にあった香水が見つかると嬉しい」
 「ちゃんと」とは何か。
 不特定多数の「女性にも、男性にも好かれ」たい、と思っているのか。「女性にも、男性にも好かれ」なければならない、と思っているのか。

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自己を追い込む原因とは何か?

2008年05月27日 17時02分32秒 | 分析
ブログでも異変「母の日に悪魔になった」(スポーツニッポン) - goo ニュース
 ニュース記事はブログの内容だけである。
 これだけで本人の精神的な情況は把握できない。しかし他に情報がないので「精神的に追いつめられていたことが読み取れる」と書いたのだろう。

 「先週から口がうまく回らなく、どうしたものかと悩んでおりました。(中略)不安が押し寄せてきます」
 「いつもの私がまだ見つけられません」
 「やっと1日が終わりました」
 スタッフら周囲の人間に相談したようで「なぜそんなにも優しくしてくださるのでしょうか?」
 「母の日に私は悪魔になってしまいました。産んでくれた母に、生きている意味を聞いてしまいました。母の涙が、私の涙がとまりません」

 これは公式ブログでの抜粋だ。

 前の記事での過去の分析に当てはまるのは、《考えと現実にあるいつも大きな差に神経質になりながら、次第に感情が素直に表現されなくなる。その結果、社会に失望しまう。失望の末に「何のために生きているのか。また生きている実感がない」という空虚感を訴える》というものだ。

 それにしても「母の日に私は悪魔になってしまいました」とは、キリスト教の影響であろう。
 彼女の最終学歴である白百合女子大学は、ミッション系大学。設立母体は17世紀末のフランスを発祥とするシャルトル聖パウロ修道女会。高校も、盛岡白百合学園高等学校卒業、となっている。

 聖書では創世記から女性にとっては原罪意識を強く印象づけられる。
 また十戒の第五戒は「汝の父母を敬え」である。

 罪における不健康や、償いなどを深く考えすぎると、精神的にも辛い情況ともなりかねないだろう。
川田アナの死に鳥越俊太郎氏「悔しい」(日刊スポーツ) - goo ニュース

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練炭自殺

2008年05月27日 07時24分15秒 | 分析
アナウンサーの川田亜子さん自殺 都内の路上、車内から練炭(共同通信) - goo ニュース
asahi.com:フリーアナウンサー川田亜子さんが自殺 - 社会
元TBSアナ川田さん自殺(産経新聞) - goo ニュース
 立派な仕事もある。容姿も申し分ない。知性も才能も備わっている。なのにどうして人生を悲観しなければならないのか。
 こういうことをすると、家族も、友人も、関係者も無力感に苛まれるのであるが、そんなことは考えられないという情況だったのか。それとも、それも分かっての行動なのか。
 報道を志したのであれば、練炭での集団自殺報道などは、よく知っていたはずだ。そこから批判でもなく、社会問題でもなく、別のものを読み取っていたとは、どういうことか。

 練炭を使った一酸化炭素中毒死は過去にも多い。
 2004年の分析。
 移り気なほど様々に楽しんでも、満たされない想いにいつも落着かない気持ちでいる。満たされない想いを埋めようと、さらに欲してしまうという、その繰り返しが過剰な受容となり、その矛盾も無体さにも気づかないでいる。

 特に、「運命や宿命」や、「死後の世界や生まれ変わり」などの迷信、などの影響を分析している。
 死への恐怖というものではなく、まるで自分の生涯を自ら終わらせようという意識である。
 「運命や宿命」や、「死後の世界や生まれ変わり」などの迷信、などの影響があったとするなら、超越的な受容者と言える。
 メディアから流される情報に敏感であり、インターネットでは自殺サイトに強く惹かれてしまう。この点では、過去の「練炭を使った一酸化炭素中毒死」というニュースを自分で利用すべき情報としたのであろう。
 孤独感の解消。
 自殺を貫徹させようとする倒錯に陥っている。
 価値観の倒錯が不条理な現象(自殺)を肯定してる。
 問題の解決の困難や、さらに間違った理解などを生んでいる。自殺での問題解決も間違った理解である。
 周囲に寛大さを求めるという甘え。死後、だれかに発見されることを認識している。遺書を用意するのもそのため。

 2005年の分析。
 遺書における自殺の美化。
 自分たちの遺体が誰かに発見されるであろうことは予期しているようで、その場で朽ちて、まったくの無名仏になることは望んでいないことが伺える。
 自殺が過ちや罪ではなく、主体的な行為として自由であるかのような考え。そして自分という最終的な遺体という存在を、非現実的なファンタジーにゆだねている。「運命や宿命」や、「死後の世界や生まれ変わり」などの迷信、などの影響もその一つ。
 メディアを意識していて迎合的であり、また連鎖的に行われている点でも、ニュースなどを意識していて、そこから何らかの刺激を感じているのではないかと思われる。硫化水素自殺の連続した報道が引き金の可能性もある。

 他人を頼る甘え。世間からも自殺を大目に見てもらえるだろうとの考えがある。遺書などの言葉にその特長がある。
 不安定で激しい衝動や願望がありながら、その表現が妨害されているという問題。これは、若い人特有の、と思っていたが、そうでもなさそうである。社会人でも同じではないかと思われる。
 考えと現実にあるいつも大きな差に神経質になりながら、次第に感情が素直に表現されなくなる。その結果、社会に失望しまう。
 失望の末に「何のために生きているのか。また生きている実感がない」という空虚感を訴える。

 この分析は、重要な点を抜粋したものだ。分かりしやすくするため少し書き加えた。
 過去のニュースでは、遺書の一部などが報道されたために、ここまでの分析ができた。
 しかし今回の川田さんの自殺では遺書は公開されないだろうし、関係者や報道も、その理由を明らかにしよう、という言動が全くないことから、直接的な分析は不可能である。過去の分析と何らかの共通点があるかもしれないが、それがどの程度かは分からない。

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メディア論3

2008年05月26日 18時10分32秒 | 話題
オフラインnewsing Vol.2後録 多様性でいこう | 近江商人JINBLOG - newsing(ニューシング)
 前の記事の続き。
 コメントの一覧が見られる。
 marnierさんのコメントでは、公の事実というニュース報道と、「公正な報道」は混同され、またhuehara88さんのコメントでは、「報道に主観はある」、「偏向報道あるべし」と混同されている。
 公の事実というニュース報道は客観的なものだ。でないと、公の事実、でも著作権が認められてしまうではないか。公の事実に著作権が認められてないのは周知の事実だ。

 混同されているのは、公の事実と、報道姿勢、である。
 朝日新聞は、新聞にも思想がある、とかの広告を過去に出していたように記憶している。それそのものは各新聞社の姿勢に過ぎない。
 また、公の事実とは別に、ニュース記事全体には著作権があると考えられている。情報収集にはコストもかかっており、記事の全体では新聞社の報道姿勢が支配的であるからだ。

 もっと分かりやすく説明する。
 裁判は、公判で事実の認定などを争うことと、裁判官の判定での判決とに分けることができる。
 公判で事実の認定などを争うことは、より客観的なことを重視しているものであり、裁判官の判定での判決とは、より判断を重視しているものである。
 報道は政治より客観的なことを重視しなければならない。政治はより判断が重要になってくる。従って多数決が正しいとは限らない。

 「絶対的客観などないと考えています」と言うhuehara88さんの考えは大間違い。
 数学は宇宙にも普遍的な客観である。
 全能者も論理には逆らえない、が哲学である。

 我々は学校で何を学んだか?
 客体と客観は否定できない、ということを学んだはずだ。そんなものは学んでない、と言うなら、それはまさに学校教育の敗北である。

 marnierさんが幻想だと言う、「公正な報道」こそ、実践理性を発揮させてほしい新聞社の姿勢である。

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メディア論2

2008年05月26日 01時48分24秒 | 話題
オフラインnewsing Vol.2後録 多様性でいこう | 近江商人JINBLOG
 テーマは「日本のニュースサイトはなぜつまらないのか」。
 結論としては、「日本のニュースサイト」には多様性が欠けている。偏りのない言論・報道は白痴化の基。中道が糾弾、揶揄して叩き潰すような状況、と書かれている。
 報道と言論を混同している。
 公の事実というニュース報道が主体的な価値観を持つと思い込んでいるが、それは間違いである。
 また報道が、全体の思考の進化を義務づけられていることはない。

 決定的な間違いは、客観と判断を混同してしまっていることで、思考そのものがごちゃごちゃになって整理できていない。それが「同じ価値基準を持つ集まり」がコミュニティーの中で可能であるかのような考えとなっている。そもそもそこを疑わなければならない。

 まあ、言わんとしているところは、より怜悧な判断における実践とは何ぞや、ということではないか。
 哲学的に言うならば、日本人の価値基準がありそれを向上させよう、ということではなく、実践理性の完成こそ叡知者としてのあり方である、ということであろう。カントだが。

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眠たいなら、寝ましょう

2008年05月25日 13時53分33秒 | Weblog
眠気覚ましの方法を教えてください(5月23日) - トラックバック練習板
 「寝てはいけない時に限って眠くなる」

 最重要な事態であれば、眠くなるわけがない。
 眠くなった時点で、その事態の重要度はより低くなっているだけだ。
 眠たいなら自宅へ帰って寝た方がいい。
 「5分でいいから寝たい」――そんな甘えは、周囲に迷惑だ。
 周りの人たちへ迷惑をかけないためにも、また事故にも遭わないためにも、学校や会社を辞めてでも、ゆっくり寝るべきだ。

 眠くなるような勉強や仕事は、あなたの人生にさほど大したことではない。

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イチローの分析、検証

2008年05月25日 08時37分43秒 | 分析
イチローの分析10
 これは今年の1月31日に書いたイチローの分析である。
 「より客観的なストライクとボールの見極めなどを優先させようとすると、審判がより介入してしまうということになりかねないだろう」と書いた。
 このようなことは、去年の9月19日にもあった。
 イチローの打率は3割5分2厘トップのオルドニエスは3割5分4厘。
 3打数2安打。イチローはついに1厘差で打率首位に立った。残り試合は11。最後の遠征地、アナハイムに入った。いつもは流れるように進む練習。なぜかじっと考え込んでいた。ヒットが出ないまま迎えた第4打席。マウンドにはイチローが苦手とする数少ないピッチャー、シールズがいた。(ロサンジェルス・エンゼルス スコット・シールズ投手)空振りを誘う内角のボール球。バットを止めた。しかし審判はパットは回ったと判定した。イチローはこれまでにない猛抗議を行なった。
 この分析の結論とは以下の通りだ。
 「選球眼とストライクゾーンに拘るのであれば、どうしても相手のバッテリーとの駆け引きに勝たなければならないことは事実である。その戦略さえ正しく立てられるのであれば、もはや審判の判定に苛立つことも、より少なくなるのではないかと思われる」
 つまり、審判の判定に苛立つのは、相手のバッテリーとの駆け引きに失敗しているから、とも言い換えることができる。
イチローイライラ爆発…内角判定、あの主審に猛抗議(夕刊フジ) - goo ニュース
 1回先頭の第1打席は内角低めのスライダーに見逃し三振。
 2回に1点を先制し、なおも2死一、二塁で迎えたイチローの第2打席。先発左腕ペティットがフルカウントから投じた高めのスライダーを、イチローは自信を持って見逃した。だが、判定はストライク。
 記事ではイチローが追い込まれてのバッターアウトと書かれてある。

 明らかに選球眼に拘ってはいるが、相手のバッテリーとの駆け引きに失敗しているのである。それで結果的に追い込まれてしまって、最悪的な情況として審判の判定に苛立つこととなってしまうのだ。

 現在のニュースから、このように検証できることから、以前のイチローの分析は正しかったと言える。

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ヨーロッパの本性

2008年05月25日 07時21分11秒 | 話題
J-CASTニュース : 「ナカムラが俺の犬食った」 俊輔に衝撃「人種差別発言」蔓延
 人道的罪には時効がない、にしても自分で自分を罰することはありえない。
 奴隷制度という歴史のある欧米は、自らのこの呪われた歴史から目を背けるため、敗戦国の日本や日本人を批判するしかない。しかし批判することもなくなると、つい本性が現われてしまうのだ。
少しは考えて記事にして下さい
 過去のブログでは日本と欧米の感性の違いにいてで、この問題を少し書いたことがある。
 自分たちの歴史を裁けない欧米は、反省もしないし、いつまでも変わらない。

 奴隷制度という政治的制度が確立し続けたという歴史は欧米だけであろう。しかも産業革命以降の近代においては、社会が賃金労働を進めていた時期にもかかわらず、奴隷貿易はさらに拡大されたのだ。
 欧米で奴隷制度が廃止されたのは1863年頃。15世紀から19世紀の期間と言われ、中世から実に4世紀の長きにわたって存在し続けたのだ。
 明治維新が1868年であるから、奴隷制度は近代史以前のこととも言える。

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ジュセリーノ予言の原型

2008年05月25日 01時21分48秒 | 反占
ジュセリーノ予言
 過去、ここではジュセリーノ氏の著作についてでなく、彼を特集したテレビ番組について問題にした。

 ジュセリーノ氏とは、世界各地で発生する大事故や大災害、大事件を、何年も前に予言している、現代の予言者として紹介された。
 彼自身「私は夜眠ると、夢の中に未来のことが次々と出てくるんです」と言っているのである。
預言8
 これはダニエルの預言に酷似したことだ。
 第1章では、「……ダニエルは、神が幻と夢を通して啓示されたことをすべて解くことができた」と書かれている。第2章では、神の助けを借りて王様の夢を解き明かしている。

 夢での預言というダニエルの預言での、その相手とは「この世で最も強大な皇帝」と書かれており、時の権力者に神から告げられたその夢を明かす、というジュセリーノ氏の活動も、まったく同じである。
 「ワールド・トレード・センターを崩壊させた(2001年)9.11テロ事件をアメリカの大統領宛(1989年のブッシュ父)に予言・警告文を送っていた」ということは、テレビ番組でも紹介されていた。
 このようにジュセリーノ氏の能力と、その予言警告活動とは、紀元前に記されているダニエルの預言を真似たものであるのだ。

 第4章によると、ダニエルは、三代の王様に仕えながら、最後は帝国の分割と王家の終演を告げなければならなかった。そしてそれは成就する。
 第6章では、ライオンの穴の中に投げ込まれるという危機に陥る。もちろん神の祝福を受けているダニエルにはかすり傷もなく助け出され、逆に彼を陥れた者たちが投げ込まれるとライオンから八つ裂きにされてしまった。

 預言者は危険と隣り合わせである。

 実際、紀元前も現代でも、この中東における危機とは、戦争、によるものであり、旧約聖書のダニエルの預言に書かれたテーマも現代にして同様であると言えることだ。しかしそれも第12章で、この預言の書は封印されてしまう。

 このように黙示録であった預言の意味を真に理解した、と現代の予言者は確信しているのだろうが、自分をも救うことができない矛盾にも気付くことができないパラドックスを抱えているのであれば、ダニエルの預言の意味を知ったという理解も、単なる勘違いに過ぎないだろう。

 ジュセリーノ氏が将来、危機に陥ったとき、ライオンの口は閉じているのだろうか、それとも開いているのだろうか? 

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悪魔と偽預言者

2008年05月24日 06時47分04秒 | 反占
 悪魔とは何か?
 創世記では、三位一体の神に似た者として造られた「妻」と名づけられた女をそそのかして、神の禁を犯させた張本人であり、ヨブを陥れ、大祭司ヨシュアを訴えようとした者であり、その最後は神によって永遠の恐るべき苦しみの中に投げ込まれるのである。

 すると蛇に身をやつした悪魔は言った。「死ぬなんてことはありませんよ。それを食べたら、今まで見えなかったものが見えるようになりますし、あなたが神様のようになって、善悪を知ることができるようになることを、神様はご存じなんですよ。」
 この創世記、第3章でも分かるように、悪魔の言っていることは始めから“偽り”なのである。この点では偽預言者も同じであり、最終的には悪魔も偽預言者も、獣と一緒に永遠の恐るべき苦しみの中に投げ込まれるのである。


 偽預言者や占い師たちの決定的な過ちとは、自分の運命や不幸、自分の身に起こる災難などを知ることができるか? という矛盾が常に付きまとうことに気付いてないということなのである。

 イザヤの預言ではこう書かれてある。
 第29章。
 主が、あなたを霊的に盲目にし、
 偽預言者の心の目を閉ざしてしまわれる。

 第47章。
 「……

 だから『私は他の者と違う』などと
 言っている。
 しかし災いがお前に下る。
 それを呪術の力で払いのけることはできない。
 災難が襲っても、避けることはできない。
 突然、破滅がやって来る。

 ……あらゆる呪術でやってみるがよい。
 星占いもいるし、預言者と称する者もいる。
 彼らの力で救えるかどうか、やってみるがよい。
 彼らはわらのように火で焼き滅ぼされ、
 自分すら救うことことのできない者たちだ。
 お前たちを救うどころではない。
 お前たちが頼っている呪術者は、
 皆このような有様で、自分自身迷い出、
 お前を救うことなどできはしない。」

 偽預言者や占い師たちは、自分たちに降りかかる災難から自分自身を救うことができない、のである。
 神から祝福を受けた者は、長寿を全うできる。悪魔に呪われたヨブでもである。
 しかし悪魔と同類にされる偽預言者には、「突然、破滅がやって来る」のである。
 他人の不幸を平気で語る偽預言者や占い師は、自分自身に降りかかってくる突然の不幸から逃れられないことで、その偽りが明らかとなるのだ。

 ゼカリヤの預言では「……偽預言者たちは、自分の語ったことが成就しないので、恥をかく」と書かれている。


 これは預言であろが、予言であろうが同じことなのである。
 「未来が分かる」、「未来に起こることを知っている」と言って、人々の災難を語った時点から、“自分の運命や不幸、自分の身に起こる災難なども知っているはずだ”という必然は預言者・予言者に、それこそ永遠に付きまとうのである。
 宗教的な預言者にしては、神から召命されていることから、祝福を受けて長寿を全うするのである。ヨブのように。
 それで偽預言者とは、自分自身にしても迷い自分をも救うことができない、という存在なのである。
 悪魔も偽預言者も、結局は言っていることは同じであり、私は知っている、と偽るのである。この点に関して、予言者、も同じであり、悪魔に「今まで見えなかったものが見えるようになりますし、あなたが神様のようになって、善悪を知ることができるようになる」と、そそのかされた一人なのである。だからこそ“自分の運命や不幸、自分の身に起こる災難なども知るはずもなく”、結局、自分自身にしても迷い自分をも救うことができない、のである。

 たとえ、どんな有名な予言者であろうと、たとえばそれが、世界的に有名なジュセリーノ氏にしても、世界的に有名だからこそ、偶然の災難や事故に遭うことは許されず、偶然の災害に見舞われることも許されないのである。なぜなら彼らは“自分の運命や不幸、自分の身に起こる災難なども予知できるはずだから“である。
 ジュセリーノ氏にとっては、どんなに偶然に起こった事故も事件も災害も、確かに存在しているというレコード化された情報に過ぎないのだから、だ。自分の身に起こる偶然にしても、自分の人生にしても、それは同じことである。自分自身に降りかかる危険について「分かりませんでした」などとは、預言者であればなおさらだが、予言者としても決して言えないことである。
 これこそ占い師や予言者のパラドックスと言えるものだ。
 だからこそ、思慮深い人たちは、どんなに直感力が優れていても、自分自身を“予言者”などとは言わないのである。
 これらの点で、偽予言者とは、やはり悪魔にそそのかされた人間であり、「今まで見えなかったものが見えるようになりますし、あなたが神様のようになって、善悪を知ることができるようになる」と信じ込まされても、本質的には予言者としての矛盾にも気付くことができないのである。

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