言語分析未来予測

上石高生
言葉の分析からの予測です。分析の正しさは未来に答えが出ます。分析予測は検証可能でなければなりません。

電子書籍

http://p.booklog.jp/book/47146 あなたの未来 INDEX 

アマチュア・インターネット・ジャーナリズムの台頭

2008年06月30日 09時31分43秒 | 話題
 朝のフジテレビのワイドショーでも取り上げていた、イタリアの大聖堂落書きとは、今年3月頃に観光客が携帯電話などで撮った画像を、その落書きに大学名や個人名があったことから、その大学などにメール送信したのが切っ掛けだったそうだ。

 実際、本人がどのくらいインターネット・ジャーナリズムを意識しているかは分からないが、この落書きの発見から、日本各地の大学にしても、高野連にしても、これほどの影響となったのは驚かされることである。この3ヶ月でのことだ。
伊の大聖堂落書き 高校野球部監督も? 茨城県高野連が調査(産経新聞) - goo ニュース
 コラムニストの勝谷誠彦氏は「立場があるのだから、きちんと謝ればいいこと。辞任だとか、重い処罰を受ける必要はない」と書いており、フジテレビのワイドショーでも「インターネットでの魔女狩りのよう」と懸念していた。

京産大生3人を停学処分 イタリア世界遺産の落書き(共同通信) - goo ニュース
伊大聖堂の落書きハートマークも 日本語は全体の1割(共同通信) - goo ニュース

 横並びで同じようなニュースばかりを追っているニュースメディアにとってはショックだったに違いない。個人に対するインターネットの辛らつな批判を危惧している割には、テレビメディアでも取り上げざるをえないという自社との取材力の差を見せつけられた、といった情況だ。

 企業としてや、社会的責任、記者としての個人的な能力などにおいては既存のニュースメディアが上であろうが、数とその自由な行動における機動力に関しては圧倒的にアマチュアのインターネット・ジャーナリズムが上であるのだ。

 しかし《自由意志による責任》においては、学生であろうと、高校野球部監督であろうと、プロでも、アマでも、みな同じなのである。

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プロ本来のあるべき姿に帰るべきだ

2008年06月30日 07時00分27秒 | 話題
痛いニュース(ノ∀`):【毎日新聞・変態報道】 担当者の処分決定!現社長は役員報酬1ヶ月の10%返上、コラム担当記者は懲戒休職3ヶ月など
 上の元記事、http://mainichi.jp/select/today/news/20080628k0000m040101000c.htmlについては、〔毎日新聞社 | English | まいまいクラブ 本文へ 指定されたページ、またはファイルが見つかりません〕とのことです。
痛いニュース(ノ∀`):毎日新聞、「小額で日本の少女を買春する方法」を紹介。海外大手サイトに掲載
 日本の代表的なニュースメディアが、このような事実の確かめようのない記事を書いていたとは、それこそアマチュアのインターネット・ジャーナリズムの批判の的となっても致し方ないことである。
 また元記事の「【毎日新聞・変態報道】 担当者の処分決定!」なども削除したようで、その動揺もまだ続いているようだ。

 まさに《「どんなメディアでもその内容は常に別のメディアである」のだから内容は第二義的である》としても、プロのニュース記者としては、それに確かな使命を持っていたからこそ、大きな責任を感じているのだ。
 というよりも、この事態とは恥をしのいでいるとしか見えないが……。
 これではプロのニュースメディアと、アマチュアのインターネットメディアの差も区別もなくなってしまうではないか。

 プロのニュースメディアは、今こそ記事のオリジナリティーをアマチュアと争うのではなく、プロとしてのその使命と責任の大きさを実感しながら、その実力をより高めてもらいたいものだ。インターネットメディア化するのではなく、だ。

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自由意志による責任

2008年06月30日 02時51分13秒 | 話題
痛いニュース(ノ∀`):【毎日新聞】 「ネット上で無関係の社員を中傷する書き込みに対し、名誉棄損で法的措置を取る」…変態報道・謝罪記事に追記

 ここでもニュースメディアと、インターネットでの多様性を利用している一般人の争いがある。
 ニュースメディアは、一般的にも責任を自覚させようとしているのだ。
 確かにここでは一般人の意識されたインターネット・ジャーナリズムのコメントが過激に表現されたのだろう。それもアマチュアによくあるやり方である、と今までは許されてきたのだが、今回の毎日新聞はそうはいかないようだ。自分たちも責任を取ったのだから、君たちも社会的責任を自覚せよ、というのだ。

 《自由意志による決定での責任が社会性を支えているのだ》――ニュースの内容は、結局は別のメディアでもあるのだ。「どんなメディアでもその内容は常に別のメディアである」のだから内容は第二義的である。
 まったく《ニュースを取り巻く現状は、インターネットメディアの台頭で、ニュースメディア事態も混乱してしまっている、といった情況だ》ということだ。《しかしプロの強い責任感と、アマチュアの無責任な発言を、お互いに自覚したときに、その決着はつくはずだ》。
メディア論12
 《特に社会性を自覚するニュースメディアと、それに対してインターネットメディア内には多様性を主張する一般の利用者がいた》。しかし《知性や能力、以前にも差があることが、プロとアマチュアには歴然としているのである》。

 ニュースメディアにしても、一般人の意識されたインターネット・ジャーナリズムにしても、結局は《自由意志による決定での責任が社会性を支えているのだ》から、これはアマチュアとしても甘えてほしくはない所である。

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いろいろ勉強することがある

2008年06月29日 08時06分59秒 | 批評
地球と一緒に頭も冷やせ! - 池田信夫 blog
 ここでは「地球が温暖化している」のではなく、「2000年ごろをピークにして始まった寒冷化」なのだそうだ。

 いやー、世の中、いろいろ勉強することがあるものだ。
 しかしこれは読めば、「疑問」、「疑わしい」、「わからない」という言葉で締めくくられている。
 そんな内容とは結局「一要因だけでは納得できない、最大の原因が知りたい。細かな数字のデータが分からない」と読めるのである。
 また「同じコストを飢餓や感染症への対策にかければ、数千万人の生命を救うことができる」は、いつも言われていることだ。戦闘機を買う金があれば、の類である。

 そしてこの記事の最後では、「温暖化に疑問」が、「自然科学者と環境ロビーの作り出した幻想にすぎないのだ」とまでに高まってしまうのである。

 現実の海面上昇までも幻想であるなら、どんなに世界が救われるか分からないが、池田氏のこのブログの記事だけで、その責任を自覚させるほどのことでもないだろう。
 閲覧者数を増やすために「現在の温暖化騒動のバカさ加減」とまで過激に表現したとしても、それもブログやアマチュアなインターネットジャーナリズムによくあるやり方であるのだから。
 もっとも誰でも、実は寒冷化であって海面上昇も深刻なものではなく、後、数年で北極の氷も元通りとなる、“と考えたい”という気持ちであることは同じではあるのだが……。

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異常な教育

2008年06月29日 07時27分21秒 | 批評
【衝撃事件の核心】教師がわいせつ犯に墜ちる「そのとき」 指導上の疑似恋愛が妄想に  (1/4ページ) - MSN産経ニュース
 問題なのは、権力のあるものがその威力を依頼者に発揮する、ということである。
 教師は生徒の人生を左右するほどの権力を持っていて、生徒は学習を教師に依頼しているのである。生徒は教師を選べない変わりに、教師はそれなりの厳しい倫理規定がなければならないし、また全ての生徒に平等な教育をほどこさなければならないはずだ。

 教師や教育者としての権威で、生徒に痴漢行為を行うのは、セクシャルハラスメントという犯罪行為である。

 何度も言うが、生徒は、教師や教育者に、学習や学校生活において様々な指導を好むと好まざるとに関わらず依頼しなければならないのであって、そんな依頼心があったとしても、そこにつけ込んで自分の性的欲望を満足させようとするのは、教師や教育者としての権威におけるセクシャルハラスメントという犯罪行為である。「魔が差した」などの言い訳はとても通用しないことである。

 教師と生徒の関係を、擬似恋愛、擬似親子、などと様々に分析はできるだろうが、それが教育の本質ではない。生徒は教師を選べない変わりに、教師はそれらりの厳しい倫理規定がなければならないし、また全ての生徒に平等な教育をほどこさなければならないはずである。結局は、公私のバランスを崩した者が、その矛盾を自らの欺瞞で拭おうとしただけのことである。

 根本的な問題は子供を性愛対象にしている大人が教師になってしまうことだ。これ自体、最初から教育者としての権力を利用して子供を狙っていた、というのであれば悪質としかいいようがない。
 子供を性愛対象にしている大人が教師になってはならない、という倫理規定や条例などを作るべきだ。

秋葉原、無差別殺人
 最近「学校教育の敗北」という言葉をよく使う。

 学校では何を学ぶのか?
 ――客体と客観は否定できない、ということを学ぶのではないか。
 幼稚園では自分とは別の考えを持ったお友達がいて仲良くしなければならない。これが成長過程で他者も尊重しなければならない、という教えになる。これを土台にして、話し合いというものが一つの作法となる。次第に客観的な知識の意味と訳を知り、神も逆らえない普遍な論理がこの宇宙に存在することを学ぶ。

 しかし最近の学校では、感性だけを尊重し、衝動をも認めてしまうようで、まるで主体だけしか存在しないような教育なのではないのか。
 道徳教育が何の効果もないのか、そもそも存在しないのか、それとも道徳自体をあざ笑うことでより悪質を育てているのか。
 その結果、感性に突き動かされた衝動だけで行動してしまい、教師は生徒と恋愛したがるのである。

 狂っているとしか言いようがない。

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報道の欠点

2008年06月28日 09時13分16秒 | 話題
 ニュースメディアは、公の事実を確かめ、さらにその周辺からの取材で様々な因果性を肉付けしていく。これは警察発表の正しさを確かめたり、捜査の手がかりや、裁判での新証拠や新証言などを提供したりもする。そのように行政や政治の監視役とも言われている。つまり、ニュースメディアは、社会的正義に貢献することができる機関である、と言えるのだ。そのプロ集団として記者が存在しているのだ。
 しかしニュースメディアが独自の取材から因果性を強調し過ぎたとき、そこにはまた「自由意志」と対立してしまう羽目になることも忘れてはならない。たとえば、ある事件が環境によって引き起こされたという因果律を強調すればするほど、個人の責任はより薄れ、実行犯の反省からの矯正はより悲観的となってしまうだろう。これが「決定論」対「自由意志」の議論である。われわれは環境や関係に操られているのではなく、あったとしてもそんな因果律は自由意志を越えるものではない。結局は自由意志による決定での責任が社会性を支えているのだ。
 これはメディア論12の冒頭である。

【Re:社会部】「遠くの事件」に違和感(産経新聞) - goo ニュース
 産経新聞、社会部の記者が、関東自動車工業に対して感じた違和感とは、環境・職場でのトラブルという原因が、7人殺害という犯罪を引き起こしたという因果性を認めているからに他ならない。だからこそこの企業に、事件の当事者意識を認識させたいのだろう。記事では「同社が事件や被害者から意識が遠いように感じた」と書いている。

 ニュースメディアが独自の取材から因果性を強調し過ぎたとき、実行犯の自由意志による決定は見逃され、決定論としての必然性のみが拡大されてしまうのである。

 犯罪者が非社会人だ、ということはない。たとえ無職であっても、地域や社会などの環境から無縁でいられるはずはないのである。
 そのとき、そんな原因と条件こそが必然であり、それこそが実際の犯罪の実行を確実にさせた・不可避であった、と硬直すればするほど、実行犯の自由意志は見忘れられ、その反省は代理的にも関東自動車工業に向けられることとなってしまう。
 しかしこれはまるで、親が悪い、会社が悪い、社会が悪い、としながらも全く関係のない秋葉原で楽しんでいた人たちに向けられた攻撃と同じではないか。憎しみが直接的に向かわず、その代理としての生け贄を求めた犯人と同じなのである。関東自動車工業が事件の反省を暗に求められているのも、犯人に成り代わった社会的な代理としてのことなのである。
 それとも加害者のリストラの不安や憎悪などの思いを、産経新聞、社会部の記者が、このニュース記事で代弁した、ということなのか。

 このように報道すら、衝撃的な犯罪に圧倒されてしまって、事の本質や冷静さまでも失っているようだ。

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メディア論12

2008年06月28日 07時52分17秒 | 哲学
 ニュースメディアは、公の事実を確かめ、さらにその周辺からの取材で様々な因果性を肉付けしていく。これは警察発表の正しさを確かめたり、捜査の手がかりや、裁判での新証拠や新証言などを提供したりもする。そのように行政や政治の監視役とも言われている。つまり、ニュースメディアは、社会的正義に貢献することができる機関である、と言えるのだ。そのプロ集団として記者が存在しているのだ。
 しかしニュースメディアが独自の取材から因果性を強調し過ぎたとき、そこにはまた「自由意志」と対立してしまう羽目になることも忘れてはならない。たとえば、ある事件が環境によって引き起こされたという因果律を強調すればするほど、個人の責任はより薄れ、実行犯の反省からの矯正はより悲観的となってしまうだろう。これが「決定論」対「自由意志」の議論である。われわれは環境や関係に操られているのではなく、あったとしてもそんな因果律は自由意志を越えるものではない。結局は自由意志による決定での責任が社会性を支えているのだ。

 ニュースを取り巻く現状は、インターネットメディアの台頭で、ニュースメディア事態も混乱してしまっている、といった情況だ。
 しかしプロの強い責任感と、アマチュアの無責任な発言を、お互いに自覚したときに、その決着はつくはずだ。
 インターネット内のコメントは、まだまだ匿名で書いている人たちは多いし、私としてもまだ顔を公にさらしてはいない。知性や能力、以前にも差があることが、プロとアマチュアには歴然としているのである。

 ここでは確かに利用される利用する技術がわれわれ自身を拡張したというメディアについて語ってきた。特に社会性を自覚するニュースメディアと、それに対してインターネットメディア内には多様性を主張する一般の利用者がいた。
 しかしわれわれは最少の単位であるメディアをまだ見落としているのである。

 最少の単位であるメディアとは何か?

 ニュースメディアが価値と認めているのは客観的な事実である。それゆえに「どんなメディアでもその内容は常に別のメディアである」という相互性が成り立つ。それはインターネットメディア内の多様性を主張する一般の利用者も使用する。特に公の事実には著作権がない。

 個人がメディアになるとしたら、その価値とは“オリジナル”であることがはっきとする。ここで著作権が明確になってくるのだ。
 つまり、プロとアマの争いとは、無責任による批判もさることながら、プロフェッショナルとしてのオリジナリティーを主張している、ということなのである。

 私は以前から、個人がメディアとなる条件を考えてきた。
 個人が完全なオリジナルで、しかも自費で制作したものを販売し成功できるなら、それが個人のメディア化と言えるものである。もちろん販売しなくても、利用するだけでもメディアとなる。
 実際、ラジオやテレビは、個人がメディア化したものの価値を高く評価して利用してきたのだ。歌手、俳優、脚本家、作家の中からは、自力や自主制作から人気を獲得した人は少なくない。最近では、占い師や霊能力者などが見られる。

 ブロガーにしても、そこからタレントや作家になった人もいる。インターネットから個人メディアを目指す人は、これからますます増えるのである。

 「どんなメディアでもその内容は常に別のメディアである」であれば、完全なオリジナルを制作、利用、または販売する個人メディアこそ、真の価値、と呼べるものではないか。これこそ著作権法で守られる、確かな価値であるのだ。

 完全オリジナル、こそ全メディアにとって普遍的価値なのである。

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あの団塊の世代の説教とは

2008年06月27日 10時01分12秒 | 話題
J-CASTニュース : 『美味しんぼ』雁屋哲 「茶髪、金髪何とかなりませんか」

 モラトリアム人間、甘えの世代、と精神科医から指摘されてきた団塊の世代が、最近になって若者世代を憂えているという。
 山手線はボロボロにし、旅館には放火し全焼させる。最後は全共闘での革命を訴えた赤軍派が、浅間山荘で従業員を人質にして、機動隊に銃撃して殺害し、さらに仲間も殺害していたという恐るべき世代であった。

 それでも最近になって、「日本の今の若者は団塊の世代の残した遺産を食いつぶしているだけだ」と耳を疑いたくなるような言いようだ。

 後4年で年金受給者となる団塊の世代こそ、国家予算を食いつぶし、さらに借金を増やすという、日本の危機ではないだろうか。
 「団塊の世代の残した遺産」があるなら、膨大な借金をそのままにしないで、後の世代のために849兆円の解消をお願いしたいものですね。

 年金や社会保険などの財源不足でも、現在は増税などする余裕もないという情況だ。
消費税率:首相発言が迷走 与党に募るいらだち - 毎日jp(毎日新聞)
小沢氏、消費税率問題で「首相は右往左往」 - MSN産経ニュース
山崎養世の「東奔西走」 ブラックホールに飲み込まれる消費税 増税しても破綻への道を行く日本の年金運用(日経ビジネスオンライン) - goo ニュース

 特に少子高齢化に伴う年金の破綻という不安を一番切実に感じているのが団塊の世代なのでしょう。その苛立ちのために、何世代も年下に不満をぶつけるしかすることがないとは、この世代の政治的意識や意欲の低下すら感じてしまいます。

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米倉涼子という女性

2008年06月27日 07時44分47秒 | 分析
グータン・ヌーボー
米倉涼子32歳

米倉 何で結婚したいんですか?(小さい声で)そこが分かんない。(この人はねえ、割とね、正反対だよね、恋愛に関しては)結婚したいですよ、でも。(あれ、あれ、そんなの私初めて聞いたんですけど)でも、その意味があんまり分かんない。結婚というのは、一度はせっかく生まれてきたんだから、してみたいけど、まっ、子供生んでとか、お母さんとしてとか、(小さい声で)あんまり思わない。分からんないんだよね。(もう一回言ってくれる)また言うの? もう、やだ。もう、いいですよ。でも結婚する、で、もうちょっとやることが増えるでしょう、子供も、というと、もっとやることが増えるとしか想像ができない。だから、楽しいだろうなとかっていう想像が浮かばないんですよ、ぜんぜん。(子供、いつかは?)あんまり思わない。(いや、意外とね、意外とね)なによ。(自分のペースは崩さないですよ、涼子ちゃんは。すっごい好きでも自分のペースは崩さないね)そうかなー。なるべく頑張るけど、イラッとしちゃうんだもん。(私とか別れた人とは絶対、連絡とらないのね。何で? って言うのよ。意味分かんない、って言うのよ)だって……、おかしいでしょう?(どっち派? どっち派?)(私はとれる)ねぇーっ、せっかく会えた人なんだから。(だってどういうことを話すの? だって久しぶりに)元気? って、頑張ってねー、って。へぇー、良かった良かったー、みたいな。(そういう感じでは、できるよね?)はい、ぜんぜん。(でもそうすると別れるときは悲しくなくないですか?)悲しいよ。悲しいねー。(でもだってすぐ電話するんでしょう?)それは、すぐはしないですよ。(どのくらいでするの?)その人によりますよ。でも少なからず応援はしたいと思いますよね?(もちろん心の中ではありますよ。たまに電話するお二方以上にあるかもしれない)でも伝わらないじゃないですか。(別れるときは二度と連絡しないような雰囲気にいったんはなるわけ?)二度と連絡しないでとか話ししますか?(そんな話しはしないけど……)(舞台を見に来て、何かお前も頑張ってるね、って言ったようなとき、またね、って)(それはできないな。会えない)何で?(今が大事だから。今の人が大切だし。今が大事だから)なんか……。(今が大事じゃないみたいになる?)違うよ。いいじゃん電話かけたって。元気そうだから頑張って、って言うのに、これ、時間使っているっていう時間じゃないじゃん。(そうなんだけれど、こういう感じでね、まったく相容れないものがあるんですよ)すごい楽しい。
 恋愛より仕事が好きですか?(好きだよ)恋愛より?(うん。あっ、でも米倉君は違うみたいですよ)(彼女は仕事ですよ)僕は恋愛だけを取れって言われたら、やっぱし無理と思うかもしれない。(すっごい好きな人がいて、すっごい好きよ、結婚しようと言われたらどうする?)(考えながら)結婚してもいいけど、でもその結婚した上でのメリットを教えて下さい。ダメだよね。(そんな人いないよ。たぶん、一般的に)だってたとえば今お付き合いをしています、それですごい幸せなんだけど、結婚をするということは、じゃ、なにかが変わるということなのかもしれないわけじゃない。(まずは一緒に住んで……普通の女の人はまずそこは普通、嬉しいはずよ)頼れるしね。(頼れるし、ずっと一緒にいられるし)(強く)分かんないじゃん。結婚したところでずっと一緒にいられるか分かんないでしょう。特に今。(何で?)みんな離婚しているもん、だって。(ずっと一緒にいようと思って結婚するわけじゃないですか)結婚しなくてもずっと一緒にいられるかもしれないじゃないですか。そんなことないのか。私、同棲はないんですよ。同棲したことありますか?(あるよ。10年も付き合ったんだよ。仕事はがんばんなくちゃいけないなと思ったから、まあ、結婚とか子供とか考えなかった)お互いお仕事をしていたんですよね、もちろん。でも何で仕事をしなくちゃ、と思ったの?(好きだったから。仕事が一番)私ね、ぴりぴりしてた20代の方が。(みんなだよね。やっぱり分からないから虚勢張るっていうかさあ……)ムキになってた。すごい年上の先輩に言われてたのが、何で睨み利かせてたの? って言われたんですよ。でもぜんぜんそんなつもりなかったんですけど、ああ、自分が原因だったのかな、と振り返ると多々あるのかなー、と思うようになった。そのときは向こうがああだったから、って思ってたりしたことも、もしかしたら自分が、そういうオーラというか何かを出していたから、うまくいかなかったこともあるのかなー?(でもね、30代でしょう。私も自分が40代になるなんて思ってないわけよ)また30代も40代も変わりそう?(すごく視野が広がった)また広がるの?(……私は今は子供を通じた付き合いとか……だから仕事だけで来なくて良かったなと思う)
 (そうそれを感じるの最近。だから結婚してみたいと思ったりするの。次の違うまた世界が、江住さんが言うとおり広がるんじゃないかと思って……。それは何か自分が女優としても何か必要なキーワードみたいになっているみたいで……)なんかお芝居とかも変わっちゃったりするんですかね?
 (涼子ちゃんってどんな人と結婚するんだろう?)分かんない。ぜんぜん分かんない。


 ぴりぴりしてた20代。睨み利かせてた、と思われるほどの力み。仕事における過剰なストレスに適応しようとしていたようだ。
 そして「(強く)分かんないじゃん。結婚したところでずっと一緒にいられるか分かんないでしょう。特に今。(何で?)みんな離婚しているもん、だって」と、男は浮気するとか、みんな離婚するとかのような考えもひじょうに過度に一般化したものである。
 たとえば、結婚した上でのメリットを求めるのは、男の浮気や離婚を補填するための保証を求めているようではないか。
 このような過度で過剰な呪縛から解放されない限り、安穏な家庭を築くことは不可能ではないか。

 多様な生き方がある、というのは70年代から識者が言ってきたことである。確かに、生き方としての多様さは認められてしかるべきだ。しかしだからといってそれに相応する多様な幸せがあるとは思えない。
 幸せは多様へと拡大していく生き方の中にはなく、逆にひじょうに限定的なオーソドックスの中にしかないのではないか。
 だとしたら多様な生き方を選択した者たちには、最終的にひじょうに混迷するという結末が待っているのかもしれない。

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メディア論11

2008年06月27日 07時12分26秒 | 話題
「ネットは能無しを大量生産している」 市民メディア、ブログが台頭するジャーナリズムの行く末は? | 専門家や海外ジャーナリストのブログネットワーク【MediaSabor メディアサボール 】
 上の記事、TECHライターのドヴォラック氏が批判している「インターネットジャーナリズムの普及が推進しているのは多様化なんかじゃない。一般的な常識や社会観点の欠落したアホの量産だ」は、まさに下の記事、市民メディアが認めたインターネットジャーナリズムの多様化と争っていると認められるのである。
新聞屋は、なにがしたいんだろうか。 - Attribute=51
 newsing(ニューシング)への投稿で、「新聞屋は、なにがしたいんだろうか」という記事がインターネットジャーナリズムとして認められた、ということであろう。
新聞屋は、なにがしたいんだろうか。 - Attribute=51 - newsing(ニューシング)
 下の記事は、「情報が選別された時点で恣意的だと言わざるを得なくなります」とニュース記事を書く記者の主観を意識しすぎて、その報道の客観性を疑っている。
 記者が自分の担当である殺人事件などを「他の取材をしたい」と思えば、配置換えか、転職をしなければならず、そんなに簡単にニュースを選別できるとは思えない。
 つまり、記者は客観報道に責任を持っているプロなのである。
 ブログを書いている私などは、重いニュース記事を取り上げるのが苦痛になれば、いつでもそこから逃避し、何の関係のない哲学書などを読んでそこから記事を拾ってきたりすることができる、というアマチュアなのである。

 TECHライター、ドヴォラック氏の多様化したインターネットジャーナリズムへの批判も、知性や能力に関してのものだかこそ、その趣旨が変形してしまっているのであり、要は基準としてのプロとアマチュアの差が歴然とありながらも、正しい議論がなされてない、という情況こそ問題なのである。

 プロの記者はアマチュアの知性や能力を批判し、多様化したインターネットジャーナリズムとしてのアマチュアはプロのニュース記事の客観性を疑う。明らかにこの2つの対立構造は間違っている。

 「インターネットの内容の中には新聞の内容があり、テレビの内容の中にも新聞の内容がある」――だからこそ新聞は両者に信頼されていると言える。それはそうだが、「しかし新聞の内容の中には警察発表の内容がある」のも事実だ。
 「どんなメディアでもその内容は常に別のメディアである」
 この記事を書いている米国在住ジャーナリスト、岩下慶一氏でさえ、インターネットメディアにおいての新しい基準が示せないでいるのだ。

 このような誤解や間違いだらけの対立において、正しい答えは求められそうにない。

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メディア論10

2008年06月26日 12時44分47秒 | 哲学
「ネットは能無しを大量生産している」 市民メディア、ブログが台頭するジャーナリズムの行く末は? | 専門家や海外ジャーナリストのブログネットワーク【MediaSabor メディアサボール 】
 「インターネットジャーナリズムの普及が推進しているのは多様化なんかじゃない。一般的な常識や社会観点の欠落したアホの量産だ」
 TECHライターとして評価の高いドヴォラック氏のコメントである。
 前置きとしては「全てを否定するつもりはないが」である。

 辛辣さや、必要以上の批判、侮辱まがいの表現などは、ランキング上位の特に評論などを書いているブログによく見られる特長である。読み手の感情を煽っているのは、まるで祭られることを願っているかのような手法だ。それで訪問者数が増える。

 テレビの発達でラジオや映画が衰退すれば、教育上悪いテレビ番組などの批判などが高まった。
 ベルトコンベアーなどのオートメーション化で、職場における労働者の統合と行動における形成は新しいパターンとなり変化した。
 チャップリンが「モダン・タイムス」で機械社会を批判したとしても、「肯定的には、オートメーションは人びとのために流動する役割を生み出す」とマクルーハンは言っている。

 「新聞やTVの衰退によって」から続く言葉は、かつてテレビが批判されていた言葉そのままだ。
 機能における優位性だけでメディアの価値が決まるなら、それこそ特権階級の統制という自由主義にしてありえない価値基準を振り回しているに過ぎない。現実的でない考えだ。

 「どんなメディアでもその内容は常に別のメディアであり、電信の内容は印刷された言葉であり、印刷された内容は書き言葉であり、書き言葉の内容は話し言葉である」
 インターネットの内容の中には新聞の内容があり、テレビの内容の中にも新聞の内容がある。しかし新聞の内容の中には警察発表の内容がある。
 所詮、現実のニュースメディアのどれも、純粋なオリジナルを追求しているわけではないのだ。そして、公の事実、には著作権はなく、それは誰でも利用可能なのである。ブロガーでも、だ。

 それでも、新しいメディアにおける、新しい尺度・新しい基準、が語られようとしていることは歓迎すべきことである。

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メディア論9

2008年06月25日 09時02分10秒 | 哲学
【集う】小学館集英社プロダクション発足記者発表会(産経新聞) - goo ニュース
メディア利用実態に関する調査--マスメディアに比べネットメディアの満足度は低い?:リサーチ - CNET Japan

 「メディア論(M.マクルーハン)」では、メディアとは、われわれ自身の拡張したもののこと、と書かれている。
 統制の手段、操作上、および実用上の事実として「メディアはメッセージである」とは、いかなるメディアの場合にも、われわれの世界に導入される新しい尺度に起因する。
 この意味において、人が機械を使って行うことがメッセージである、という意味が考えられている。
 ここで純粋なインフォメーション(情報。知らせ)がメッセージを持たないという指摘がある。
 ここでは確かに“利用される利用する技術”としてのメディアが明確に示されているのだ。
 しかしどんなメディアでもその内容は常に別のメディアであり、電信の内容は印刷された言葉であり、印刷された内容は書き言葉であり、書き言葉の内容は話し言葉である、とは興味深い。

 このような議論は、現代において、「機械論」対「自由意志」という議論に引き継がれている。
 たとえば、神経生理学という機能的説明だけで事足りるというのであれば、われわれの自由意志での決定は脅かされる、というとことになる。

 インターネット上のメディア議論で、よく見かける間違いとは、統制するのがメディアである、という方向性に、「メディアはメッセージである」と、その多様性を強調して反発しているところにある。このように逆の意味で情報を操作することで、それこそが実用上の事実であると強調したいのである。
 このような議論こそ、機能を優先する消去的唯物論に対し、われわれの自由意志での決定は脅かされる、という反動であろう。
 しかし、多様性としての「メディアはメッセージである」という強調は、いつも人間の統合と行動の尺度と形態の形成を見落とし、ただ主観だけを押し付けるのである。

 正しくは「人間の統合と行動の尺度と形態を形成し、統制するのがメディアに他ならない」ということである。そこにこそ、ソーシャル(社会的)とか、コミュニティー(共同社会)などの意味があるのだ。

 つまり、新しいメディアにおける、新しい尺度・新しい基準、こそが語られるべき議論なのである。

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感性からの反応

2008年06月24日 07時59分34秒 | 分析
爆破、殺害予告で毎日検挙者 捕まるのになぜやってしまうのか(J-CASTニュース) - Yahoo!ニュース
不審な女の映像公開 大阪駅通り魔、被害者3人に(産経新聞) - Yahoo!ニュース
「ディズニーランドで客刺す」 書き込みの男を逮捕(産経新聞) - Yahoo!ニュース

 感性からの反応としては実に衝動的である。
 感性はひじょうに受動的であるのだが、強い刺激の耐性が弱いと、暴力性衝動が簡単に反応してしまう。実行するかしないかは別にしても、自律性は限りなく低く、自己抑制がほとんどできてない。そこには主体だけしか存在しないような、ただ純粋な暴力性だけを押し出している。

連鎖する犯罪

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連鎖する犯罪

2008年06月24日 03時12分32秒 | 分析
神戸市の38歳女を逮捕 大阪駅の通り魔事件(共同通信) - goo ニュース
大阪駅切りつけ事件、神戸の38歳女を傷害容疑で逮捕(朝日新聞) - goo ニュース
「橋下知事暗殺」ネット書き込み=財政再建策に反感-脅迫容疑で会社員逮捕・大阪(時事通信) - goo ニュース
 どうしても報道に刺激されて行動を起こしてしまう人たちがいる。
 実際にやる、やらないは、ダガーナイフがカッターナイフに変わったというだけの程度問題である。脅迫行為も犯罪であるという認識を飛び越えてしまっているのだ。

 「財政再建策に」などと、また「社会が悪い」という理由だが、これが一般論をさらに希薄にさせているとしても、「暗殺」という言葉を用いることにより、より実践性がある“主体”を強調させているのである。
 つまり犯人たちは、純粋にも主体的なぶつかり合いを求めたのである。
 現実的な情況において、その純粋な主体が“他者を傷付けたい”と行動を起こしたとき、その本質に男女を問わず確かな暴力性がある、ということを否定できない。

 連鎖するのは、暴力性という衝動を刺激されたから、ということであろう。単純にも報道に突き動かされてしまうのだ。

 あまりにも軽い、影響されやすい、純粋な暴力性を持った、主体である。

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世界経済4

2008年06月23日 10時07分23秒 | 分析
米国発、食糧危機の様相 中西部洪水 穀物高騰に拍車(産経新聞) - Yahoo!ニュース
 「世界の食糧供給に深刻な影響で、穀物価格を一段と押し上げ、途上国の食糧事情を深刻化させる恐れ」と記事は書いているが、問題はその後に起こる事態である。
 池田氏のブログでは、「新しいプレイヤーがより競争的な市場に変化させた」と書かれているが、どうしてもそのようには思えないのである。
 むしろ合理的な競争とは言えない行動が、さらに悪い状態となって世界に波及するのではないか。原油価格の高騰と同じようなことが、今度は穀物や作物、食品価格に起こるのではないか。
 平成19年(2007)7~12月の平均価格1バレル=90ドル。現在(6月20日)は、1バレル=131ドル。半年も経たない内に68%の上昇。
 シカゴ商品取引所のトウモロコシ先物価格は今月約30%も上昇。これで半年経ったら世界はいったいどうなるのか? 

「食糧自給率」の向上は食糧危機を悪化させる - 池田信夫 blog
 6月16日の記事である。
 「いま起こっている食糧危機は、穀物価格の上昇である。以前の記事でも書いたように、高騰した小麦の国際価格でさえ、国内価格の約半分。米は1/3だ。自給率を高めるというのは、割高な国内穀物を増産することだから、価格高騰の対策にはならない。むしろ自給率(国内農家)を守るための補助金が、穀物の価格をさらに高くしているのだ」
 「食糧危機に対応するために必要なのは、不可能な「自給自足」をめざすことではなく、食糧価格を安定させるためのリスク分散である。その基本は、供給源を特定の国に依存しないことだ。農産物の輸入を自由化して、なるべく多くの国から食糧を輸入し、一国で輸出制限や値上げが行なわれても他から輸入できるようにする必要がある」

 池田氏はグローバル経済推進派のようだ。
 まるで日本の農家が世界の穀物価格の基準より高すぎることが問題のような書き方だ。

 問題だったのはあまりにも安い農作物の輸入が、国内の作物価格を下落させたため生産調整(作物の廃棄)をしなければならず、それで多くの廃業した農家が出たことではなかったか。
 グローバル化による低価格な輸入品(作物)が物価を下落させデフレ回復を遅らせたことには誰も触れないのはなぜだ? 供給過多によるデフレであったはずだ。

ドキュメント'08 を見て
 食糧自給率39%がカロリーベースであろうが何であろうが、1年で廃棄される食べ物が約2000万トンあることが問題であるとしたら、輸入品に関税をかけても国内の物価を安定させる方が先決ではなかったか。

 池田氏の言うように「国内価格」があったとしても、それも輸入価格に影響されたものではないのか? そうではないとすると、外国の農作物が国内価格を抜いてしまう、などというようなことが起こるのだろうか?
 そんなはずはない。
 外国の農作物が高騰すればするほど、国内価格も投機と同様に値上がっていくはずだ。需要インフレである。
 国内価格を基準に考えても意味がないのだ。

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