言語分析未来予測

上石高生
言葉の分析からの予測です。分析の正しさは未来に答えが出ます。分析予測は検証可能でなければなりません。

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http://p.booklog.jp/book/47146 あなたの未来 INDEX 

イチローの分析10

2008年01月31日 06時38分34秒 | 分析
住吉 今年も、あのー、新しいバッティングで挑むんですか?
イチロー 2007年につかんだもので臨みます。(あっ、じゃ、変えない)ひとまずは。で、それでまた何かを感じれば、変えていく可能性はあります。
住吉 これまでは毎年変えてきたわけですよね。
イチロー 何か変わってますね。
住吉 それを変えないで行く、っていうことですか?
イチロー うん、それくらい今回つかんだものというものは、僕にとって揺るがないものなんではないかと現時点では思ってます。
住吉 2007年の変化は、じゃあ、根本から何かをつかんだ、っていうことなんですね。
イチロー (間)つかみましたね。まっ、16年という年月はあまりにも長かったですけれども、(長い間)より(間)作品という、表現できる、プレーができるんではないかと。結果としてそうなったんではなくて、俺はこれを作った、と表現できるようなスタートでもあったなというふうに感じてます。
茂木 じゃあ、毎年、新しいテーマに挑んできていろいろ試してきたのは、まさに実験で、これだ、って何か感覚がつかめたら、もう、それが不動の姿勢になる可能性もあるってことですね。
イチロー 可能性あるかもしれないですよ。ただ(また新しく)出てきて欲しいとも思っています。
茂木 ひょっとしたら、それをつかみかけてるかもしれない、と?
イチロー と思ってます。


イチローの分析3 - 言語分析未来予測
 以前の分析では、「技能の発展性が、仕事での成果に比例している点は、芸術家と同様である。まるでピアニストなどの芸術家と同じようなレベルに到達しているようだ」と書いたが、まさにその通りなのである。今回の放送では、「より(間)作品という、表現できる、プレーができるんではないかと。結果としてそうなったんではなくて、俺はこれを作った、と表現できるようなスタートでもあったなというふうに感じてます」というように、その芸術家のような鋭敏さは、イチロー自身にも自覚的であったのだ。

イチローの分析4 - 言語分析未来予測
 イチローが「2007年につかんだもの」とは何か?
 選球眼とストライクゾーンに拘るということだろう。しかしそれでは、審判のジャッジと対立することにもなる。バットを止めたとしても、塁審からハーフスイングでのストライクをとられてしまうこともある。


ナレーション 9月19日。
実況 イチローの打率は3割5分2厘トップのオルドニエスは3割5分4厘。
ナレーション (センター前ヒット)3打数2安打。イチローはつい手に1厘差で打率首位に立った。残り試合は11。最後の遠征地、アナハイムに入った。いつもは流れるように進む練習。なぜかじっと考え込んでいた。ヒットが出ないまま迎えた第4打席。マウンドにはイチローが苦手とする数少ないピッチャー、シールズがいた。(ロサンジェルス・エンゼルス スコット・シールズ投手)空振りを誘う内閣のボール球。バットを止めた。しかし審判はパットは回ったと判定した。イチローはこれまでにない猛抗議を行なった。大事な何かがそこにあった。この日、オルドニエスに首位打者を明け渡した。


 悪玉を打ってもヒットに出来る技術という、感覚的(主体的)なものを優先させると、審判の介入する余地がなくなる。だが、より客観的なストライクとボールの見極めなどを優先させようとすると、審判がより介入してしまうということになりかねないだろう。

 「毎年、新しいテーマに挑んできていろいろ試してきたのは、まさに実験で、これだ、って何か感覚がつかめたら、もう、それが不動の姿勢になる可能性もある」ということが、イチローには「可能性あるかもしれないですよ。ただ(また新しく)出てきて欲しいとも思っています」とも思っている。結局、イチローは、2007年のやり方を続けるのである。

 しかし本当に新しいものが出てこないのだろうか?
 選球眼とストライクゾーンに拘る2007年は結果的には満足のいくものだったのだろう。しかしイチローには見落としているものがある。

 野球というのは不思議なスポーツである。
 元々そのルールはバッターに不利なものだ。
 その理由は、3ストライクでバッターはアウトなのに、4ボールで一塁へ行くことにある。
 バッターとピッチャーに平等であれば、3ストライク、アウトで、3ボール、での一塁への進塁であるべきだろう。
 だから初球を1ストライク取られてしまえば、圧倒的にバッターが不利になるのだ。この時点でピッチャーは倍の攻撃の選択肢がある。
 シーズン3割5分も打つイチローにとって、このような初球のボールの見極めは特に大事になってくる。だからこそ、選球眼とストライクゾーンに拘るのであろう。それはよく分かる。だが実はこれだけではないのだ。

 イチローは鋭い感覚が武器であり、今まではそのとびきりの才能を活かしてきた。しかしそれをもっとより確かにするために、さらに変化させようと選球眼とストライクゾーンに拘る。
 しかし大事なものを見落としている。

 それは「駆け引き」だ。

 たとえば、敵のピッチャーやキャッチャーはどうだろう?
 1シーズンに200本以上の安打、3割5分以上も打つ天才バッターに対してどんな闘いをしてきたか?
 みすみす打たれないように彼らも苦労して来たのだ。
 速球の速さと、変化球を駆使して、配球を考え、さらにバッターとの駆け引きを、ピッチャーだけではなく、キャッチャーと協力までしてその場で考えているのである。
 バッターは、ピッチャーとキャッチャーが協力した配球による攻撃を受けているのだから、そのような同じ土俵での駆け引きによる競い合いは不利だという考えもあるが、実はそうではないのだ。特に3割5分以上も打つ天才バッターであるからこそ、駆け引きを多少利用するだけでも大きな価値となるはずである。

 問題なのは常に初球のボールの見極めである。それさえ可能であれば、イチローにとってそうとう有利に持ち込めるのだ。
 しかしイチローは天性の鋭敏さで、ボールにも反応してしまい、手が出てしまう。

 そこで、初球をバントの構えで待つことを提案したいのだ。
 これなら、ボールに手が出るということはないはずだ。ストライクへ入ってくるなら、バントすればいい。
 これがなぜ駆け引きになるのかといえば、ピッチャーとキャッチャーの利き腕にある。
 キャッチャーが右利きである場合には、三塁寄りにバントとすれば、取ってからスローイングするときに身体の向きを変えなければならない。ピッチャーが左利きである場合にも、三塁寄りにバントすることで、同じく取ってからスローイングするときに身体の向きを変えなければならない。このことで1つか、2つ余計な動きが必要であるから、スローイングが遅れることになる。
 イチローの足がメジャーリーグでも最速であるから、なおバントへの対応は完璧により速い動作で行わなければならないとプレッシャーを相手のバッテリーに与えることができる。
 右利きのキャッチャーや、左利きのピッチャーであれば、このような理由から、バントの構えを見れば、ストライクを外すような心理となる、という予測である。

 初球のボールを今までの半分でも見極められたら、後はバッターにとって50%の確率でストライクが来るので、通常の構えで待ってればいいことになる。

バッターにとっての初球の見極めの重要性
 ピッチャーの選択的投球は、ボール4回、ストライク3回(ファールは考慮しない)。
 バッターはストライクを打ちたい。ストライクが来る確率は7分の3である。43%。もともとバッターに不利な状況。
 初球、ストライクを取られてしまえば、次にストライクが来る確率は、6分の2。33%。とても不利な状況。
 初球、ボールを見極めて、次にストライクが来る確率は、6分の3である。50%。これで互角の状況。

 初球は7分の3、つまり43%の確率でしかないので、バッターにとってはもともと不利なゲームがこの野球だ。それが50%の確率でストライクが来るというこの+7%は、3割5分以上も打つ天才バッターにとってはとても有利に思えることだろう。

 しかしながらこの程度のことは、イチローにとっては釈迦に説法だ。それは私にもよく分かっている。
 だが、選球眼とストライクゾーンに拘るのであれば、どうしても相手のバッテリーとの駆け引きに勝たなければならないことは事実である。その戦略さえ正しく立てられるのであれば、もはや審判の判定に苛立つことも、より少なくなるのではないかと思われる。



イチローの分析8

2008年01月29日 10時46分46秒 | 分析
 自分のことなのに言葉ではうまく説明できないことがある。
 自分自身というものが、あまりにも身近であるため、まるで目の前のまつげのように見えてない。そのためなんと説明していいか分からないのである。
 心理学での深層心理なども自分自身では説明付かないが、しかしこれらの学説以外の取るに足らないことは、さらに分からないこととなる。

 こんなときには言語分析が最適なのである。ある程度の情報があれば、それを元に分析できるのだ。


ナレーション 昨シーズン、イチローは激しい首位打者争いを演じた末に敗れ去った。敗北が決定的となった試合。イチローは人知れず目に涙を浮かべた。そのとき胸にあった思いは何か? 茂木が尋ねた。

茂木 あのー、(言いにくそうに)涙なんですけど……。ただ悔しい、っていうだけじゃない、なんか、いろんなものを感じたんですけども、あのときはどういう気持ちだったんですか?
イチロー (静かに)分かんないですね。未だに分かんないですね。
茂木 思わず、なんか涙がにじんじゃったんですか?
イチロー まっ、そうらしいですね。どうやら……。
茂木 自分でも、何か、よく分かんない、気持ちになった、っていうか?
イチロー まったく分かんないです。ただ、(間)分かんない方がいいよね、って感じも(笑い)、ありますけどね。
住吉 覚えてないわけじゃなく?
イチロー 覚えてはいます。
茂木 でも、あの、3打席目でダメだったら、今年の挑戦は終わったというのは自分の中で意識していたわけですか?
イチロー もちろんです。
茂木 首位打者とかはね、自分がどれだけベスト尽しても、競争相手がどういうパフォーマンスをするかによって、左右されちゃうじゃないですか。そういうことについてはどう考えているんですか?
イチロー まっ、以前の僕であれば、自分との闘いに挑んだと思うんですよね。それが人と闘えるレベルまで僕は来たと思ってます。だから勝ちたかったんですよ。自分と闘っているだけでいいなら、(間)まっ、楽でいいですね。でも僕はそこを越えてきたと2007年感じたので、相手も倒したかった。
茂木 すごいこと言われてますよね。だって、ここまで来て、やっと人と戦える準備ができたって、それ、どういう意味ですか?
イチロー まあ、思い返せば、まずプロ野球に入って思ったことは、まず人に勝つことだったんですよ。自分を高めることではなかった。(強く)まず人に勝つこと。でないと試合には出られないので。まっ、その目標を基に何年間かやったわけですね。で、それが、まあ、レギュラーとして一軍で出だして、まあ、何年かしたときに、まあ、敵は自分の中にいると、いうようなことはよく言われることでもあるんですけど、まさにそうだなと、いうように感じて、まっ、これまでやってきたんですけども。それがまた、敵を意識できるようになった。これは、また、というよりも、両方を加味していることですね。自分とも闘う。敵とも戦う。これが今の僕だと、思ってます。
茂木 それが、残念ながら負けちゃったわけですけど、やっぱり悔しかったんですか? それについては。
イチロー 悔しさが占めてますけども、でもそれだけではなかったですね、おそらく。
茂木 そこはまだ自分でも整理のついてないところなんですか?
イチロー 分かんないでしょうね。一生、分からないですよ。何で泣いたのかなんて……。


 首位打者争いに敗れたイチローはどうして試合中に涙を浮かべたのか?

 それは、緊張感が途切れたときの反動であろう。
 これはひじょうに不可解なものである。
 長い間、首位打者争いの中で闘ってきて、それが絶望となった。首位打者を取りたいという強い願望のため、今まで神経をすり減らすほどの苦労をしてきたというその抑圧が、張りつめた糸がぷっつんとキレた、そのとき、自分に、今までよくやった、と言い聞かすのだが、今まで抑圧的にあった精神状態が、それとはまったく反対の現象となって表われるのだ。

 もちろんイチローも「悔しさが占めてますけども」と言っているので、不安定であったことは間違いないが、「でもそれだけではなかったですね、おそらく」と察しているように、その不自然な抵抗感を思い出しているようだ。


テロップ イチローが目指すもの

茂木 何か、オスカー・ワイルドっていう作家がね、我々はみんなゴミための中にいるんだけど、何人かは星を見上げてるんだ、っていう言葉を残していて、僕、すごい好きな言葉なんですけど。やっぱりイチローさんはずうっと星を見ている人なのかなーって、お話を聞いていると何か思えるんですけどね。
イチロー 見たいですよ。
茂木 どんなときも?
イチロー 見たいですけど、見えてないですよ。そのときは。
茂木 でも、そのー、イチローさんが、星、見えないというのは、自分でも何か分からないものを追い求めているからなんですかね?
イチロー 分からないですね。うん。ただ満足をしてはいけないっていうことではないんですよ。満足は僕は重ねるべきだと思ってるんですよ。じゃないと人間のやる気なんて起きないですよ。何かを達成したときに、いや、まだまだ自分はこんなもんじゃないと、まだまだ上に行きたいんだと、戒めることって、まっ、よくありますよね。でも、それはねえ、自分を苦しめるだけだと思うんですよね。何かをしたら、まっ、大きな満足をしたらいいと思うんですよ。でもその後で、また何か出てくるんですよ。満足した後って、必ず出てくる。僕、それでいいと思うんですよ。僕、すごい、満足人間っていうか、めちゃくちゃ満足するんですよ。満足しないなんてことは、もう考えられないですよ。


 このようにイチローは「僕、すごい、満足人間っていうか、めちゃくちゃ満足するんですよ」と言っている。
 首位打者争いに敗れたことが決定的になったときも、イチローはきっと、「よくやった。すばらしいチャレンジだった」と、自分自身に言い聞かせたに違いない。しかしその争いがあまりにも過酷であったため、そのストレスや抑圧が、自分の満足しようという意識とは逆の反動となって表われた。それが涙だったのである。

 しかしそれは名刀についたほんのわずかな曇り程度のことでしかない。また新しいシーズンへ磨きをかければ、よりいっそうの輝きを取り戻すはずだ。



擬似科学

2008年01月28日 17時44分56秒 | 反占
痛いニュース(ノ∀`):「マイナスイオンは身体に良い」「クラスターが小さい水はおいしい」…疑似科学にだまされやすい日本人
 訴え続けてきたことが、このような理解となって本当に嬉しいことである。
 このブログが理解されたのではないにしてもだ。

 ユングの「シンクロニシティ」(日本語では共時性)も擬似科学などと批判されているものである。
SP夢のシルシ、里田まいさんの分析 - 言語分析未来予測
 このことについては、過去に上の記事で取り上げた。
 これは心理カウンセラーと称する萌夏里沙(もえなりさ)氏が里田まいさんの夢の分析に利用していたものである。彼女はこれを「夢の同調性」と説明していた。
 彼女は、ユングもフロイトも占いも一緒くたにした、独自の分析を駆使してテレビ番組で多くのタレントの深層心理を分析したのであるが、これが科学も、擬似科学も、占いも、一緒くたにしたものであったということは、2008年の現在では、異論のないことであろう。

【竹内薫の科学・時事放談】疑似科学 (1/3ページ) - MSN産経ニュース

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イチローの分析7

2008年01月28日 10時09分41秒 | 分析
イチロー・トークスペシャル(2008年1月22日放送) | NHK プロフェッショナル 仕事の流儀

住吉 自分の楽しみのための、いわゆる蛇足なもの、っていうのは入れないんですか?
イチロー あー、DVDはもちろん持っていくんですけど、まっ、それぐらいですね。
住吉 それは、たとえばどのDVDを、この遠征先には、っていう、やっぱり拘りっていうか?
イチロー 弓子と2人でいるので、弓子が面白いと、で、僕にもたぶん面白いと感じるだろうというもの(強く)しか持っていかないです。狡いタイプ。だから、あのー、ドラマとか、ありますよね、もう再放送しか見ないですよ。見ないですよ。先は分からないし、まっ、一週間、待てないし、面白くない可能性があるんで……。(じゃ、面白いと分かったものだけ見るっていう)最悪なんですよ、僕。だから、女の子に好き、って(間。2人の顔を見て)表わしてもらえないと、俺も好きだって言えない、みたいな感じ。(えーっ)分かります? 自分から勇気を持って言えない狡い人間なんですよ。(保証が欲しい? みたいな)(照れて)ちょっとね、(強く)そこに関しては。
住吉 でもイチローさんだったら、別に誰、言っても(先に告白しても)ちゃんと返してくれるでしょう?
イチロー いやいや、そんなことはない。狙ったものは僕は離さないですけど、それはね、保証はないですよ。うん。


 イチローはひじょうに知的で理性的である。「自分から勇気を持って言えない狡い人間」とは、自分が責任の持てない野球以外での偶像を牽制しての謙遜であろう。スターの恋愛観という興味本位を、その本質から粉々にしてしまうような言葉だ。
 しかしながらこれらの言葉は嘘ではない。
 イチローはインタビューに誠実に対応している。
 今までのこちらの分析でも理解できることである。
 「女の子に好き、って(間。2人の顔を見て)表わしてもらえないと、俺も好きだって言えない、みたいな感じ。(えーっ)分かります? 自分から勇気を持って言えない狡い人間なんですよ。(保証が欲しい? みたいな)(照れて)ちょっとね、(強く)そこに関しては」
 これは、自分と他者との差や溝を強く意識してしまうためである。確実性を得るための葛藤が強いのだ。それがイチローなのだろう。それで「(強く)そこに関しては」と、はっきり言ってしまうのだ。
 特に異性とは、普通の人間でも、その性における差は大きく感じるだろう。それ以上にイチローは他者との差や溝を強く意識してしまうのだ。それが特に女性なら、ますますその差は広がるであろう。
 しかし確実性を認識できるのであれば、そしてその価値をも評価できるのであれば、以前のDVD、白い巨塔を30回以上も鑑賞するようなエピソードと同様に拘り続けるのである。それが「狙ったものは僕は離さないですけど」と言わせるのだろう。


茂木 このセーフコフィールドに来てね、その、コリドを歩いていると、もうイチローさんの新聞の切り抜きとか、そういうのばっかりですよ。だから、いかにね、あのー、改めてね、シアトルの人が、イチローさんを愛しているのか、っていうのが本当に分かったんですよ。これは、もう、大変なことだなー、と思って。で、何か、愛されれば愛されるほど何か期待に応えなければならないっていう、そういう重圧は、やっぱり強いんじゃないですか?
イチロー もちろんです。もう、一番強いと思いますよ、今。でも、それを受け入れる自分がいるし、おそらく彼らを満足させられるという自信もあるんですよね。
茂木 イチローさんがね、子供のときに、プロ野球選手っていうのは、みんなできるんだって思っていたのと同じように、おそらくシアトルの今、少年たちは、イチローは、もうオールマイティーで、とにかくどんなときでも打ってくれるんだって思っていると思うんですよね。
イチロー 思っていてくれていいと思いますね。っていうか、むしろそれに期待します。


 ここでは1つの球団がある地元の都市で、確かに大勢のファンに愛されているという実感を全身で感じていることであることであり、それは単なる恋愛観とは違うことである。だがこれはチームの一員としてのプロフェッショナルとしての自覚の問題である。学生時代での寮生活から、ドラフトを経て培ったきたものだ。応援してくれる人達に感謝し、チームとして団結するという、チームワークとスポーツマンシップは、イチローの個性以外のものであるから、分析には及ばないだろう。むしろそういうプロの自信意外に、メジャーリーグでの首位打者と、目指すものが大きいからこそ、避けられない重圧に葛藤しなければならないのだ。

 しかしそれにしても、自分の個人のバッティングの結果としての首位打者というタイトル争いには、精神をすり減らすほどの苦悩がありながらも、1つの球団がある地元の都市で、大勢のファンに期待されているという重圧に対しては、シアトルマリナーズのチームの一員として、その愛や期待を喜んでいるとしたら、それはとても健全なことではないか。個人の技術の研鑽と、チームの一員としての責任を別に考えることで、精神のバランスをとりながら、さらにトッププレーヤーを目指すことができるのだ。
 それこそイチローの、あの恩師の教えであろう。


イチロー 仰木監督との出会いですよね。もう、これが、まっ、プロに入ってからで言えば、最も大きなポイントとだったでしょうね。
茂木 仰木監督は、イチローさんの、そのスタイルは分かってくれたわけですか?
イチロー 分かってたと信じてますけどね。もう、そのまま、もう、ほっといたらやるわ、みたいな感じでしたからね。しかも、仰木監督がすごいなと思ったのは……。それはよくある話しじゃないですか、個性をそのまま伸ばしたいために、放っておくというのは、よくあることではあるんですけど。ある試合で負けたんですね。うちが負けて、僕は4打数1安打、2塁打1本。もう、負けたんで、バスの中も暗いしね、もう、雰囲気、最悪なんですよ。で、僕も同じように、へこんでたんですよね。負けちゃったー、って。そしたら監督が、何だお前は、って、2塁打1本、打って喜べよ。チームのことなんて俺がやるんだから、お前は自分のことだけきっちりやれよ、と。今日は2塁打1本、いいじゃないか。って言ったんですよね。すげー、このおっさん、と思って。そっからね、大きなリスペクトが始まりましたね。この人違うわー、って。だから、もちろん感覚を信じてやったんですけど、そうやって学んでものもあったんですよ。



イチローの分析6

2008年01月27日 09時39分31秒 | 分析
イチロー・トークスペシャル(2008年1月22日放送) | NHK プロフェッショナル 仕事の流儀

茂木 あの、イチローさんみたいなね、スターになったら、もう本当に自分の好きなようにやっても周りはなにも言わないと思うんですけど。いまの、たとえばね、若い人とかが、自分が、こういうふうにやりたいんだと思っても、なかなか、ほら、それにできない世の中があるじゃないですか。どうしたら自分のやり方を曲げないで、こうやって成長していけるんですかね?
イチロー 僕はまず、(考え直して)いや僕がそれをできいるとは思わないですけど。それをやるんであれば、自己評価が一番、厳しいものでないといけないでしょうね。誰の評価よりも、自分の評価、自分に対する客観的な評価が一番、厳しいものでないといけない。これは、もう絶対外せない。
茂木 自分のやり方貫くんだったら、その結果として自分が何しているかというものも厳しく見ろ、と。
イチロー そういうことです。で、結果を、もちろん示さなければいけないし。自分がこうである、というものを示せるのは(強く)結果ですから、結局は。それを示した上で、しっかりと言葉でも説明できること、それを。ということだと思いますね。
茂木 ということは、自分のやり方、貫くってのは、厳しい道じゃないですか。ねえ。
イチロー 一番、厳しいですよ。


イチローの分析1 - 言語分析未来予測
 前の分析では、私が以前から注目していた、インタビューに対するイチローの“硬さ”ということについて書いた。「深く考えられた言葉でありながら、それは話し言葉とは違う、まるで書き言葉のような文語調とでもいえるほどのその“硬さ”に違和感を感じ」ていたのである。
 今回のインタビューでは、「それ(自己評価への厳しさ)を示した上で、しっかりと言葉でも説明できること、それを。ということだと思いますね」ということが聞けた。
 私は以前から、イチローの話し言葉を、まるで書き言葉のような文語調ではないかと思っていたのだ。

 テレビを見ててもよく分かるのだが、小説家はよく喋る。また話しが上手だ。古くは野坂昭如氏、また有名なところでは村上龍氏、最近では室井佑月氏など。
 多く書いている人がしゃべりがうまいのは、書くように話せるからである。書くことで思考を整理することができ、そのために話すときに困らないのである。書くことで前もって論理的に考えているということだ。
 ひょっとしてイチローも、毎日、野球についてのこととかを文章にしているのではないだろうか?
 もちろんイチローは神経質傾向が強いので話し言葉が硬くなりがちな程度のことかもしれないだろうが、それにしても彼の言葉は、文章として推敲されているようではないか。それを以下の文章にも強く感じてしまう。


イチロー 自分の可能性を広げるには、自分で自分を教育していくしかない、と僕は思っているんですよ。そこは、(絞り出すように)目指しているところです。現段階の僕が、できたこともあるし、まったくできないこともあるし、その繰り返しなんですよね。


 私のような年齢になっても、よく学校教育を思い出す。先生は、勉強というものは自習が基本である、ということをよく言っていた。予習にしても復習にしても自分自身でやらなければならないものだからだ。
 それから言っても、この「自分の可能性を広げるには、自分で自分を教育していくしかない」というイチローの持論とは、ひじょうに高度なことであろう。これは予習でも復習でも、対策でも戦略でも、言えることであるのだが、それ以上に未来的な可能性を教育で追求することについてなのである。ここにイチローの天才性があるのかもしれない。

 また別に、言葉の面白さが語られている箇所がある。


住吉 ご自分は重圧に強い人間ですか?
イチロー 弱いですね。重圧には弱いと思いますよ。
住吉 重圧が、まっ、でも、否応なしにかかってるんですよね。その本当にかかってしまったときっていうのはどうなるんですか、イチローさんは?
イチロー おそらく2006年までであれば、脈が変わるし、気持ち悪くなるし、家に持ち帰るし、もう、ろくなことなかったですよね、そういう瞬間って。だから本当は逃げたい。でも、今年は俺は、まあ、いけるぞ、と。で、その感覚というのは、(間)もう、唱えるんですよ。170、次、1、2、って。もう、強く、もう、数字を思い描くんです。打席でも。次は何本。もう、勝手に自分でプレッシャーをかけているようなもんですから。そうやって(自分を)洗脳していったわけですね。
茂木 あれですかね、だから、形の見えない重圧ってのを、敢えて形にしているってことですかね?
イチロー そっちに近いですかね。それで意識を植え付ける、っていうことですね。


 プレッシャとは精神的な重圧であるのだが、イチローはこれを、単なる合理的な数字に置換えることで、精神的な過重を軽減させようとしている。前の「イチロースペシャル」では、


ナレーション 首位打者争いは、近年まれに見るハイレベルな闘いに突入した。イチローは固め打ちで3割5分をキープ。2001年以降、3割5分台でリーグ首位打者を逃した例はない。しかしオルドニエスはその上を行った。打率を3割5分9厘にまで上げてきた。4試合を残して差は9里。


 というさなか、


イチロー どう考えたって、後4試合でしょう? 4試合でどうでしょう? 2本づつでは間に合わないんで、まっ最低、3、3、2、2、でしょうね。可能性が生まれるとしたら。2、2、2、2では、おそらく無理でしょう。


 と、言っていた。

 シーズンが押し詰まっての首位打者争いで、しかもオルドニエスにリードされているという状況で、残り試合での安打の確率という合理的な数字へ置き換えることで、極度の精神的重圧を軽減させようとしていたことを思い出す。

 彼は学生時代から、食の好き嫌いが激しく寮生活では苦労したという神経質な性質だが、それを言葉によって克服してきた人だと改めて確認した。
 「それ(自己評価への厳しさ)を示した上で、しっかりと言葉でも説明できること、それを。ということだと思いますね」
 そのような努力の結果、彼は自己の精神的なコントロールも、ある程度はおこなえるということなのであろう。



イチローの分析5

2008年01月26日 09時12分20秒 | 分析
イチロー・トークスペシャル(2008年1月22日放送) | NHK プロフェッショナル 仕事の流儀

脳科学者
茂木健一郎

住吉美紀

イチロー よく、まっ、レストランなんか、オフに、ホテル住まいになってしまうので、オフは、当然外食になるんですけど、そのときに、当然、知らない人とも顔を合わすわけですね。僕、行きつけのレストランでは、レジの横のカウンターに座って食べてますから、1人で。一番人と会う場所なんですよ、その店で。そこに僕は座っていつも食べてるんです、ご飯を。必ず、あの、チェックするときに、みんなそこを通るわけですから、ほとんどの人と顔が合うわけですね。そういうときに、まあ、ちょっと会話をしたり、また、友達と来ている会話を聞いてたりという状況があったりするんですけど、もう、10人いたら、11人、もっとクールかと思った、必ず言われるんですよ。で、いやー、人間らしくていいね、って言ってくれる人もいれば、いやー、そんな姿、見たくなかった、って思っている人もいるんですよ、中には。
茂木 勝手にイメージ作っちゃってるんですね。クールっていう……。


イチローの分析1 - 言語分析未来予測
 以前の分析でも、一般的な見方や感じ方と、イチロー自身の考えには、「まったく」と言えるほどの差や溝があり、それがときに強い拘りとして、ときにその話す言葉の硬さとして表われているように思えた。それが今回の「いやー、そんな姿、見たくなかった、って思っている人もいるんですよ、中には」という言葉となっている。しかしそれはイチローが感じているほど違うものではなく――これが彼の思い過ごしにしても――これこそ彼の“硬さ”なのである。


茂木 確かにだから、野球の試合を中継で見ている限りは、すごくクールですよ。
イチロー そういうイメージ、らしいんです。(本人は違うわけですね)でも僕は、ユニホーム着るときは、違う自分に変身できるときだ、と。
茂木 ああ、ああ、ああー、なるほど。
イチロー 唯一、自分がカッコつけられる場所、瞬間、と僕は考えているので、あそこでは違う自分でいたいわけですよね。だから、それ以外は当然、くだけてしまうというか、ああいう、まあ、あれはちょっとおとなしいですけども、そんな感じになっちゃうんですよ。


イチローの分析3 - 言語分析未来予測
 野球以外のオフのときにはくだけてしまう。しかし話を聞いてみると、一般的な見方や感じ方と、イチロー自身の考えには、差や溝がある。それが彼の硬さになって表わされる。その理由は、「ユニホーム着るときは、違う自分に変身できるとき」でありながらも、そのときは精確さを追求したり、確実性を得るまでの葛藤におけるストレスに苛まれているのであろう。しかしそれを「越えたい」と思うからこそ意味や価値、または自分自身だけの正しさや原則などに拘ることでそれが“硬さ”となり、他者との差や溝を感じてしまうこととなる。
 野球と、オフとの切り替えをしているつもりでも、意味や価値、または自分自身だけの正しさや原則などに拘りが強いからこそ、どうしても他者との差や溝を感じてしまうのである。


イチロー 茂木さん、僕、あのー、何回か番組、拝見させていただいたんですけど、あのー。
茂木 どうもありがとうございます。
イチロー 本気で笑ってないですよね。
茂木 (苦笑)そんなことない……。えっ、どういうことですか?
イチロー 僕は、あのー、何か目が恐いなーと思って、笑ったときの……。(と腕組み)
茂木 それはね、あのー、ゲストの本音を引き出そうと思って、真剣にやってますから。
イチロー その感じが、何か違うなっていう……。
茂木 ああ、でもねー、イチローさん、正しい。実は脳科学的に言うと、作り笑いと、本音の笑いを見分けるのは、ここなんですよ(と自分の目の当たりを指す)目の周りっていうのはね、意識で自由になんないから……。
イチロー じゃあ、笑ってない、ってことじゃないですか。心理をついてしまった、じゃないですか。
茂木 いや、分かった。ごめん。


 これほど他者との差や溝を感じでいるのである。
 それでいながら、2007年にはストライクゾーンに拘るということでその確実性を追求し、そして2008年もまたそれに拘ることとなるのだ。
 ボールを見極めようとすると、審判のジャッジと対立することにもなりかねない。バットを止めたとしても、塁審からハーフスイングでのストライクをとられてしまうこともある。より客観的なストライクとボールの見極めなどを優先させようとすると、審判がより介入してしまうのだ。
 それでも本質的なイチローは、他者との差や溝を感じやすく、それは硬さとして表われ、いつまでも彼をリラックスさせないだろう。



田丸麻紀さんの分析2

2008年01月25日 07時01分02秒 | 分析
さんま御殿
ゲストが全員女性SP

さんま 田丸さんは結婚してらっしゃるんですか?
田丸 私はしてなくてですね、もう、2007年、もう29になったんですけど、あの、結婚できなかったことで、悩みに悩んで、6キロ痩せちゃいました。(あっ、したいんだ?)もう私、生まれたときから結婚願望、あるんですけど、ああ、もう29歳になっちゃったって思って、焦っている内に6キロ落ちちゃっていて。(どうしようと……)そうなんですよ。(去年、結婚したかったの?)したかったんですよ。予定では、自分の人生のプランでは。だけど、まー、ぜんぜん予定もないんで、私、このまま、1人で部屋で死んでいくのかな、って思ったら、泣けてきて……。
さんま いやー、お前、虻川、贅沢、言ったら(あかん)、こんなんでもいないねんから。
虻川 どっかがおかしいんですよ。
さんま なっ、これだけの要素があったらな……。
田丸 ぜんぜんないんですよ。もっ、理想の条件なんて、1つだけなんです。あの、精神が安定している人です。それだけなんです。それだけでいいんです。
さんま 前の男、精神が安定してなかった?(笑い)
田丸 (笑い)そうですね。
さんま 今年も焦っているんだ?
田丸 そうですね。もう30という歳になるんで……。

省略

さんま 田丸さんは、よー呼びだせんもん。二人きりで、ご飯……。お前なら、呼び出せるもん。なんか、ご飯、食べに行こう、って言えるわ。ああー。(そしたら、ますます出会いが無くなっちゃうじゃないですか?)ああ、そうか……。
田丸 そう、誘いにくいとは言われました。(きれいすぎるとか?)いや、あのー、重、重くなっちゃうと……。(誰が? あなたが?)ある程度の、なんか、あのー、年齢とかいった人を、簡単に呼べない、とか言って……。テレビ局の人に言われました。(28、9やから)だから、たぶん、あかねちゃんだったら、行こうよ、って行きやすいんじゃないかと思って、羨ましいなって聞いたんですけど……。
さんま せやなー。


田丸麻紀さんの分析 - 言語分析未来予測
 前の田丸さんの分析では、「彼女の寂しがり屋を、“放置されている”寂しさとし、“実に曖昧で無目的”な自己における不安である。まるで人生設計をたてられないというような将来への不安であり、その理由としての葛藤が解決できない」と書いた。

 これは、1年前のビデオだったが、それを2007年12月29日に分析したものだ。
 このさんま御殿は、2008年1月22日の放送であった。

 彼女は1年前には自分で、極度の寂しがり屋、と言っていた。
 それを言語分析では、「彼女の寂しさとは“わびしさ”であることが分る。これは非常に自己評価が低い意味での言葉と、頼りない心寂しさと、二つの意味が含まれている。つまりこれらの寂しさとは“放置されている”寂しさなのである」と書いたのである。

 さんまさんから「去年、結婚したかったの?」と聞かれると、「したかったんですよ。予定では、自分の人生のプランでは」とは言っているが、「だけど、まー、ぜんぜん予定もないんで」と、実に曖昧で無目的なことを明かしてしまう。そして次には「私、このまま、1人で部屋で死んでいくのかな、って思ったら、泣けてきて……」と、自己における不安、を語った。

 また、他の出演者から「きれいすぎるとか?」と言われると、少し焦って「いや、あのー、重、重くなっちゃうと……」と言っていた。
 モデル出身でありながら、強く謙遜している。自信がないのとは違うようだ。しかしながら自ら男性を誘うことはないようである。そして「だから、たぶん、あかねちゃんだったら、行こうよ、って行きやすいんじゃないかと思って、羨ましいなって聞いたんですけど……」と続ける。
 ここでも、前に書いた通り、寂しがり屋の原因としての、意志の弱さ、が見て取れる。

 これで田丸さんの本質が1年前とさほど変わってないことが分かった。
 以前の分析も、ここでより確かなものと検証できた。
 このように客観的な分析とは、時間が経ったとしてもこのように数少ない情報からでも検証することが重要である。それで何らかの一貫性が得られれば、それはより確かな確信となるだろう。さらに何らかの変化がある場合は、それはより確かな分析から、その変化の度合いまでも認められるはずだ。
 しかしこのような追跡しての検証で一貫性の得られない分析であるなら、それが精神科医にしても、心理学者にしても、占い師か、霊能力者と同じレベルであると言わざるを得ない。

田丸麻紀さん、精神科医名越氏の分析 - 言語分析未来予測
 1年前の「心理分析ドキュメント ラポールの旅」という番組で、精神科医名越氏は「このタイプの人を、僕は、過剰適応っていうふうに呼んでますけど」と前置きしながら、「人から自分が求められたり、あるいは希望されたりっていうことが自分の喜びだ。……あまりにもそれが行き過ぎてしまうと、他人軸が強くなりすぎて自分が一人きりになったときに自分が何ものか分らなくなるっていうことが出てくる人もたくさんいます。一般論として……たとえばヨガを習ってみたり、カルチャーセンターで何かを学ぶっていう、やっているうちに、これは自分の世界だ、ということを一つ獲得すると、かなり違ってくるとは思いますね」と続けた。しかし名越氏の助言は1年を経ても、彼女に有効ではなかったようだ。
 「田丸麻紀さん、精神科医名越氏の分析」という記事の中でも指摘したように、彼女は過剰適応というよりは、単に同調的である程度で、それはさんま御殿でも見て取れる。

 過去の私の分析を読んでも、彼女の意志の弱さが、どのように変化するのかが、彼女の現実的な変化となると思われる。だが、誰か心優しい男性のサポートがあれば、と考える人も多いだろう。しかしそれで本当に彼女はより良い幸せを手に入れられるだろうか? この点は疑問である。



イチローの分析4

2008年01月17日 06時28分22秒 | 分析
 本来は、「イチローさん」か、「イチロー氏」と書きたいところだが、これでは何か知合いのような気安さや、選手名の「イチロー」にして「氏」というバランスの悪さともなってしまうので、名前での敬称や丁寧な表現などは全て略させていただきます。

 前回の分析では、「自分の理想を実現させようとする気持ちは、彼自身の華々しい経歴を見ても達成されていることが分かる。それは将来に向けての努力のたまものである。しかし自分自身を意味や価値のあるものにしたいという欲求は、それが自分が幸福であるための必要条件となることで、その神経をすり減らすことになるだろう」と書いた。
 この分析とは、「イチロースペシャル(2008年1月2日放送) | NHK プロフェッショナル 仕事の流儀」というテレビ番組で、去年の大リーグを振り返ってのインタビューを基にしたものだ。

 最近でのニュース記事では、新たなイチローへのインタビューが読める。

イチロー 球宴までに3000本安打だ!!(デイリースポーツ) - Yahoo!ニュース
イチロー 今季のテーマは「遊び」(スポーツニッポン) - goo ニュース

 この記事で最も注目するのは「2007年でようやく苦しみから解き放たれた感触を得たんでここから先は、ちょっと遊びたいなと思ってます。見てる人が『イチロー、遊んどるな、あれ』と印象を抱くような雰囲気でプレーをしたい」というものである。

 私は、『確実性を得るまでの葛藤におけるストレスを「越えたい」と願って、それに立ち向かう。本人が強く欲して、追求しているその確実性が得られれば、そのときが「越えた」ときなのであろう』と分析したのだが、本当にイチローは「苦しみから解き放たれた感触を得た」のであろうか?

 ニュース記事では『メジャー7年目にして初めて苦しむことなく200安打に到達した。最終戦を終え、技術で精神面をカバーできた1年を「ようやくスタートしたかな」と表現した』と書いている。

 最多安打の日本記録、張本勲の3085本が視野に入ってきて、プレッシャーに追われる焦りが失せたのかもしれない。
 しかしどうもこの現在的なイチローのインタビューは、前の分析からすれば面目通りには受け取れないものだ。

イチロースペシャル(2008年1月2日放送) | NHK プロフェッショナル 仕事の流儀、から
イチロー 僕、あのー、ストライクゾーン、いわゆるストライクゾーンってありますよね、ベースの上に通る。あのストライクゾーンだけ、もし打つことが出来たら、僕よりヒット打てる人はいないと思うんですよ。間違いなく、僕が一番ヒットを打てる。でもわけの分かんないボールに手を出したりね、ダメだ、これ手を出しちゃダメだ、ということがいけないんですよ。これがなくせるんじゃないか、っていうことなんですよ。で、この感覚を得れば、今までの技術なんか必要ないな。ようは無駄な技術を駆使する必要がない。普通に打てると思った玉を撃ちに行けば、ヒットが出る、ということなんですよね。


 2006年までは、悪玉を打ってもヒットに出来る技術があるというものに拘った。だがそれを変化させようと、ストライクゾーンに拘ることになる。それが2007年だったのだろう。
 それで選球眼を優先しボールを見極めようとすると、審判のジャッジと対立することになる。バットを止めたとしても、塁審からハーフスイングでのストライクをとられてしまうこともある。
 悪玉を打ってもヒットに出来る技術という、感覚的(主体的)なものを優先させると、審判の介入する余地がなくなる。だが、より客観的なストライクとボールの見極めなどを優先させようとすると、審判がより介入してしまう。

 前回はこのように分析した。
 確実性を得るまでの葛藤におけるストレスの影響で他者が“硬さ”を感じるほどだ。その硬さがある人により頑固さとして感じてしまうほどであるなら、これからの審判との関係が懸念される。

 分かりやすさの追求から心理学用語は書かなかったが、それを使用すれば、イチローの人並み外れた向上意欲とは、“神経質傾向のような特長”があるものだ。
 たとえば、彼が心理カウンセラーのサポートを受けていたとすれば、カウンセラーはその完全主義的な意識をより緩和させるような助言をするだろう。

 より強く拘るほど近視眼に陥るものであり、そんな視野を広げるために「遊び」という意識を持ち込みたいと考えた。「遊び」とは、1人でも出来るが、より大勢であればもっと楽しいものだ。この幅の広がりが「遊び」にはあるからだ。きっとイチローの“硬さ”を、この「遊び」の意識が緩和させる、とカウンセラーとして考えた。この「遊び」が、より健全で質の高いものであるなら、精神的な健康も育むものであろう。

 去年の200安打への到達において、より確実性を得たのであれば、プレッシャーやストレスからより逃れるための「遊び」という考えとは、イチローに、より精神的な安心をも約束させるのではないかと思われる。だがもちろんそれが新しいシーズンの成功を保証するものではないだろうが……。

 遊びを意識しすぎて不意のけがに見舞われないように、という心配は天才イチローには失礼な予測であろう。



イチローの分析3

2008年01月16日 06時34分42秒 | 分析
 名前での敬称や丁寧な表現などは全て略させていただきます。
イチロースペシャル(2008年1月2日放送) | NHK プロフェッショナル 仕事の流儀
知られざる闘いの記録

脳科学者
茂木健一郎

住吉美紀

ナレーション 2007年のイチローは何かが違っていた。6月には25試合連続安打で自己記録を更新。オールスターでは、3安打。史上初のランニングホームランも記録し、MVPを獲得した。


 情熱をもって一心に深く打ち込むことで成功している。常に貴重な情報を得ようとしているのも、仕事中心の生活であるからであろう。技能の発展性が、仕事での成果に比例している点は、芸術家と同様である。
 まるでピアニストなどの芸術家と同じようなレベルに到達しているようだ。そのように日常でも、いつまでも鋭敏な神経と、その高度な技術をいつまでも維持させようとしているのである。「毎日、繰り返す」、「徹底的に拘る」など、習慣化する事で、自分、個性的、独特、スーパースター・イチロー、であり続けようとする。


ナレーション 続いて向かったのは室内練習場。普段選手以外の立入りは固く禁じられている。今回、特別に撮影が許可された。練習場の奥にはイチロー専用の特殊なトレーニングマシーンが置かれている。

イチロー まあ、これはですね、筋肉の、硬化を招きづらい、むしろ弾力性のある軟らかい筋肉を作れるマシーンなんですよね。それは動作中に酸素供給が上手くいったり、乳酸を発生させないような動きが出来るマシーンなんですよ。


 仕事中心の生活であり、それらの情報収集能力もあるので詳しい。もちろんメジャーリーグのシアトル・マリナーズという球団の施設や、コーチやトレーナーなどの助言や、科学的に集められた情報などや、それらを分析して得られた客観的な実践などを参考にしているのは言うまでもない。それらをより良い自分の将来のために、本人が判断し選択しているのである。

 それも観念的にも夢を現実的に描きたいという作家のような欲求があるからだ。それはまた他人を楽しませたいという意識と同レベルであり、リラックスした日常ではユーモアなどの表現としても見られるのである。

 これらの最も根源的な動機とは、自分自身を価値付けたいという欲求、であろう。
 自分自身を価値付けたいという欲求が、まるで芸術作品の制作という社会的高水準な価値へと上りつめているのだ。


ナレーション 重圧がイチローの技術を微妙に狂わせていた。(9月10日シアトル)3日後、イチローはシアトルに戻った。(セカンド前への内野ヒット。センターへ抜けるヒット)一気に調子を上げていった。5打数2安打。(9月13日)その3日後、(センター前。レフト手前。三遊間を抜くヒット)3安打の固め打ちを見せた。探し続けていた新しいバッティング、その手がかりが見つかったのだろうか? 試合後、それを尋ねると、イチローは不思議なことを言った。

テロップ 目に見えない、何か
イチロー まっ、目に見えない部分というのは、今の僕にとってかなり大きなもの部分を占めてるので……。そこですらね、これからの課題というのは。目に見えるところにあれば、それほど難しくないですよ。見えないから難しいんですよ。うん。

ナレーション 9月16日。イチローは最後の遠征に出発した。アスレチックスとの3連戦の初戦。マウンドには球界を代表するピッチャー、ヘイレン。(オークランド・アスレチックス ダン・ヘイレン投手 レフトよりセンター前にヒット。ライトよりセンター前にヒット。)相手エースを打ち崩した。その日の夜、今、イチローがつかみかけている、目に見えないものとは何か? 深夜1時、イチローはカメラの前でそのことを話し始めた。

イチロー 僕、あのー、ストライクゾーン、いわゆるストライクゾーンってありますよね、ベースの上に通る。あのストライクゾーンだけ、もし打つことが出来たら、僕よりヒット打てる人はいないと思うんですよ。間違いなく、僕が一番ヒットを打てる。でもわけの分かんないボールに手を出したりね、ダメだ、これ手を出しちゃダメだ、ということがいけないんですよ。これがなくせるんじゃないか、っていうことなんですよ。で、この感覚を得れば、今までの技術なんか必要ないな。ようは無駄な技術を駆使する必要がない。普通に打てると思った玉を撃ちに行けば、ヒットが出る、ということなんですよね。

ナレーション イチローはとんでもない悪球に手を出すことが少なくない。人並み外れた技術と反射神経を持つために、悪球でも思わず反応してしまうのだ。重圧がかかれば、よりその制御が利かなくなる。自分を抑え切り、ストライクだけを打つ。そのための感覚を今、つかもうとしていた。

イチロー あそこの空間でしか分からないことって必ずあると思うんですよ。バッターボックスでしか、感じられない、感覚、まっ匂いだとか、雰囲気だとかね。あそこでしか生まれないものってあるからやっかいなんですよねー。


 ここで語られていることとは、自分自身だけの正しさや原則などに拘る、ということである。
 この自分自身だけの正しさや原則などに拘る姿勢は、自己の硬さとして、周囲には頑固のように映るが、それでも組織的な意味を理解し団結することができる。彼を言葉で表わそうとすれば、精密で確かな意味としての「精確」という言葉がぴったりである。
 これはシアトル・マリナーズという球団の欠くことのできない一員としても、このシアトルに多くのファンが認めているところでもあるだろう。このような精確さは、日常的にも一見、硬さや頑固さとして周囲に映るのであるが、それは、自分自身だけの正しさや原則などに拘る、スーパースター・イチローとしての確実性の追求のためなのである。

 自分の技能の発展を目指して、絶えず変化しなければならないと考えるのは、評論家のような知識や見識を持っているからだろうが、それでもどこまでも耐えて一生懸命の努力を強いているので、笑顔も緊張しているように見られるときがある。
 それもこれも確実性を得るまでの葛藤におけるストレスに立ち向かうためである。


イチロー 精神って言うのは限界があると思うんですね。僕のレベルでは、限界だと思ったんですよね。で、幾度となく、その精神を追い込まれてきた。そのたびに、何となくこう重いものを背負ってプレーし続けてきた。でも200本は越えてきた。日本では首位打者をとり続けてきた。越えてるように見えるよね。でも越えてないんだよね。だからね、そこをテーマにしたわけ。それが来たらそれから逃げないと、俺は。プレッシャーはかかる。どうしたってかかる。まっ逃げられない。だからもう賭けようと、今回はね。もっ170(安打)なった時点で、来た来た来たーっみたいな感じになって、(自分に言い聞かせるように)いくぞ明日から、って……。


 確実性を得るまでの葛藤におけるストレスを「越えたい」と願って、それに立ち向かう。本人が強く欲して、追求しているその確実性が得られれば、そのときが「越えた」ときなのであろう。この姿勢、これが本質的にも意味や価値に無意識にも拘っているということなのである。それが自分自身だけの正しさや原則などに拘っていような“硬さ”と映っているのだ。

 このように自分にとっての意味や価値に無意識にも拘るので、他者との溝は避けられない。女性から見ると目に見える表面的な印象などが地味に感じられるのは仕方のないことであろう。それは一般的な女性の価値観とは、まったく違うものなのだから、だ。
 この意味や価値への拘りは、精力的な努力への動機となるのだが、それが入念で周到な準備や努力へと注がれている。それこそ彼の確かさであり地道さを物語っていることである。

 自分の理想を実現させようとする気持ちは、彼自身の華々しい経歴を見ても達成されていることが分かる。それは将来に向けての努力のたまものである。
 しかし自分自身を意味や価値のあるものにしたいという欲求は、それが自分が幸福であるための必要条件となることで、その神経をすり減らすことになるだろう。


ナレーション 9月19日。
実況 イチローの打率は3割5分2厘トップのオルドニエスは3割5分4厘。
ナレーション (センター前ヒット)3打数2安打。イチローはつい手に1厘差で打率首位に立った。残り試合は11。最後の遠征地、アナハイムに入った。いつもは流れるように進む練習。なぜかじっと考え込んでいた。ヒットが出ないまま迎えた第4打席。マウンドにはイチローが苦手とする数少ないピッチャー、シールズがいた。(ロサンジェルス・エンゼルス スコット・シールズ投手)空振りを誘う内閣のボール球。バットを止めた。しかし審判はパットは回ったと判定した。イチローはこれまでにない猛抗議を行なった。大事な何かがそこにあった。この日、オルドニエスに首位打者を明け渡した。


 悪玉を打ってもヒットに出来る技術がある。だがそれを変化させようと、ストライクゾーンに拘ることになる。
 それでボールを見極めようとすると、審判のジャッジと対立することになる。バットを止めたとしても、塁審からハーフスイングでのストライクをとられてしまうこともある。

 悪玉を打ってもヒットに出来る技術という、感覚的(主体的)なものを優先させると、審判の介入する余地がなくなる。だが、より客観的なストライクとボールの見極めなどを優先させようとすると、審判がより介入してしまう。

 感覚的なものを優先しようとすると、他者との「まったく違うんですよ」という差や溝を強く意識しなければならなくなり、それは特に公式な関係のときに見られる、硬さ、として表われるほど、彼をいつまでもリラックスさせない。
 それを変化させるためにより客観的になろうとするほど、他者をより受け入れなければならなくなり、つまりそれは自分のプレーが他者に影響されてしまうということで、さらなるストレスを生んでいる。

 過去を受け入れても確実性を得たことにはならない。
 だが未来のための戦略はさらに不確実である。
 それにしても現在的には、スーパースター・イチロー、であり続けるために、日常生活にしても、練習にしても、規則的にしかも丹念に繰り返すという強い拘りを持ち続けなければならない。

 どちらにもストレスを感じざるをえないのだ。



イチローの分析2

2008年01月15日 06時41分46秒 | 分析
 本来は、「イチローさん」か、「イチロー氏」と書きたいところだが、これでは何か知合いのような気安さや、選手名の「イチロー」にして「氏」というバランスの悪さともなってしまうので、名前での敬称や丁寧な表現などは全て略させていただきます。
イチロースペシャル(2008年1月2日放送) | NHK プロフェッショナル 仕事の流儀
知られざる闘いの記録

脳科学者
茂木健一郎

住吉美紀

他者との説明できない感じ

 また前の文章で取り上げたことを再度、持ち出す。


イチロー 実際見ると、あっ速い球に詰らされた、ラッキーなヒットだった、言う人って結構いると思うんです。でも僕の中って、まったく違うんですよ。変化球が来てもヒットに出来る、真っ直ぐが来ても詰らせてヒットにするって技術があるんですよね。


 イチロー自身の考えに、この「まったく」と言えるほど、一般との差や溝との、その感じとは何か?


ナレーション 数々の記録を打ち立ててきたメジャーリーガー、イチロー。その陰で素顔の鈴木一郎は苦悩の日々を送ってきた。一郎は保育園の頃からプロ野球選手を夢見ていた。小学校三年生のとき、本格的に野球を始める。毎日、日暮れまで父親と練習。夕食の後、バッティングセンターで、またバットを振った。ボールをはじき返す。そのことがただただ楽しかった。高校を卒業後、ドラフト4位でオリックスブルーウエーブに入団。3年目、仰木監督に見出され、登録名をイチローに変えた。レギュラーをつかむやいきなり大記録を打ち立てる。前人未踏のシーズン210安打。イチローの名は瞬く間に全国に広まった。だがこの頃からイチローは、ある違和感を抱き始めていた。
テロップ 「イチロー」は、自分ではない
ナレーション マスコミが描く、天才バッターイチローのイメージは、21歳の鈴木一郎にとって、あまりに重かった。その苦しさから逃れようと、常軌を逸するほどの苦しいトレーニングに明け暮れた。ヒットを量産し続ける、一郎。さらにヒートアップする世間の注目。イチローの名前だけがどんどん巨大になっていった。次第にイチローは人目を避け、部屋に引きこもることが多くなった。

イチロー もう人が通ると、必ず帽子をかぶってたんですけど、あの、ベースボールキャップをかぶってたんですけど。うっと下を向いてしまう自分がそこにいたんですね。なぜか分かんないですよ。条件反射的に下を向いてしまう。

ナレーション 首位打者は取って当然。その期待が重圧となって、イチローにのしかかった。来年も頑張ってと言われるたびに、背筋が寒くなった。追い立てられるように、打撃の改良に取り組んだ。毎年バッティングホームを変えた。気が付くとあれだけ好きだった野球をまったく楽しめなくなっていた。

イチロー 次の年のプレッシャーって当然かかるじゃないですか? で、その、まあ、責任感とか、まっ重圧ですよね。やってびっくりされるというより、やらないことで驚かれる。純粋に野球をしている感じってまったくなかったですね。もう成績を残すことだけ。その使命感に縛られて、面白くはなかった。

ナレーション このままでは自分はダメになってしまう。イチローは大きな決断を下した。野球の本場、アメリカに渡る。イチローは、メジャーリーガーとして再スタートを切った。いきなり首位打者。そしてMVPの大活躍。4年目(2004年)にはメジャー記録のシーズン最多安打記録を塗り替えた。だが、結果を求められる重圧は変わらなかった。重圧に苦しむ生活も変わらなかった。自らに貸した200本安打という目標。毎年170本を越えると、とたんに打てなくなった。精神的に追い込まれて、食事の最中、突然、呼吸が苦しくなることさえあった。その中で結果を出し続けるために、イチローは毎年新たなバッティングに挑んだ。外から見れば軽々とヒットを量産するスーパースター。しかし素顔の鈴木一郎はずっともがき続けてきた。そして2007年、イチローは1つの決意を固める。重圧にただ耐えるのではなく、正面から重圧と、向き合う。

イチロー (友人との食事のときの会話が繰り返される)プレッシャーはかかる。どうしたってかかる。やっぱ逃げられない。だからもう賭けよう、と。今年、そこをテーマにしようと思ったわけ。それが来たらそれから逃げないと、俺は。

茂木 マスコミがね、作り上げたイチローっていう、それと本来の自分は違うという、このズレに苦しんでいたわけですよね。そのときの何か気持ちというのは、どんな感じだったんですか?
イチロー 当時、20とか21ぐらいだったんですけども、当然、たくさんの人に会った経験もなく、ドラフト4位で高校生で入ったので、当時、ちやほやそれることもなく、静かにプロ野球の世界に入っていったんですね。それがこれだけ劇的に変わられると、まあ、目指してはいたものの、それに対応できる自分ではなかったんですよね。僕はそれから周囲に大して、もう尖りまくったんですけど、それで何か自分を守っていくことしか方法がなかった。だからおそらくああいう表情になってると思うんですよね。もう必死なんですよ、自分を守ることで。
住吉 そんな風に周りがなってしまうような野球は、ちゃんと好きでいられたんですか?
イチロー いられなかったですね。(いられなかった?)いられなかったです。(嫌いになりましたか?)嫌いになりかけましたね。
茂木 それはシリアスですね。
イチロー 憂うつになりましたね、グラウンドに行くのが。うん。


 ここでは、野球以外での人間関係における自信のなさが語られているように聞こえる。自分の立場で、他人に対してどんな態度であったらいいのか、ということにいつも惑っているような印象ではないか。脳科学者の茂木はマスコミとイチローとの「ズレ」と指摘しているわけだが、本人にとって語られていることは、もっと大きな「ズレ」では済まないことなのである。まさに前の「まったく違うんですよ」と言うぐらいの差や溝であろう。
 しかしこれには続きがある。この続きを聞くと、あることが理解できる。


茂木 それはシリアスですね。
イチロー 憂うつになりましたね、グラウンドに行くのが。うん。
茂木 あの、メジャーリーグに来てから、重圧の質って変わりましたか?
イチロー そうねー、こちらでは結果を残すことだけでしか語られないので、そういう種類の違いはありますかね。
住吉 ご自分は重圧に強い人間ですか?
イチロー 弱いですね。重圧には弱いと思いますよ。
住吉 重圧が、まっでも、否応なしにかかってるんですよね。その本当にかかってしまったときっていうのはどうなるんですか、イチローさんは?
イチロー おそらく2006年までであれば、脈が変わるし、気持ち悪くなるし、家に持ち帰るし、もうろくなことなかったですね。そういう瞬間って。
住吉 試合中に気持ち悪くなることもある(んですか)?
イチロー ありますよ。試合中ですよ。
住吉 (驚く)えー。それでも行くわけですよね?
イチロー 行かなきゃしょうがないしね。(えー)
茂木 全身の症状として出るってことですか?
イチロー まずね、なんかこう、血の気が引いていくんですね。脈がどんどん変わってきて、速くなっちゃって、しまいには吐き気をもようす、って順番なんですけど。
住吉 それでヒットを打ってきたんですか?
イチロー なんとかですね。それで1本出てしまえば、それから解放されるんで、1本出るまでですよね。


 つまりこのようにイチローが感じている他者との「まったく違うんですよ」と言うほどの差や溝とは、確実性を得るまでの葛藤におけるストレスであったということが分かる。またこのストレスとは大記録を何度打ち立てたとしても、また新しいシーズンが来ると、また新しく襲ってくるものでもあるのだ。


茂木 メジャーで、これだけもう歴史に残る偉業を達成しながら、なぜ、なおも、その先を追求することが出来るんですか? シスラーの記録を抜いちゃったんですよ。
イチロー (すぐさま)そんなの関係ないですよ。(関係ない?)はい。僕の達成感の問題ですから、これは。
茂木 達成感はまだ十分じゃないんですか?
イチロー っていうか、ないんですよ。ほとんど。


 イチローは、達成感がほとんどないと言っている。その理由こそ、来るべき新しいシーズンにおける確実性が問題となっていることが分かる。
 「ドラフト4位でオリックスブルーウエーブに入団。3年目、仰木監督に見出され、登録名をイチローに変えた。レギュラーをつかむやいきなり大記録を打ち立てる。前人未踏のシーズン210安打。イチローの名は瞬く間に全国に広まった」としても、次のシーズンでも同じように活躍する絶対的確信がない。そのストレスに耐えられないでいたのが、若かりし頃のイチローであったのだ。
 そしてこれは今になっても、スーパースター・イチローとなっていても、プレッシャーを越えたストレスとなり、達成感は「ないんですよ。ほとんど」と言わせるほどなのである。

イチローの分析1

2008年01月14日 07時15分32秒 | 分析
 本来は、「イチローさん」か、「イチロー氏」と書きたいところだが、これでは何か知合いのような気安さや、選手名の「イチロー」にして「氏」というバランスの悪さともなってしまうので、名前での敬称や丁寧な表現などは全て略させていただきます。
イチロースペシャル(2008年1月2日放送) | NHK プロフェッショナル 仕事の流儀
知られざる闘いの記録

脳科学者
茂木健一郎

住吉美紀

 これは密着取材でのVTRだった。
 私は以前から、インタビューに対するイチローの“硬さ”に注目していた。深く考えられた言葉でありながら、それは話し言葉とは違う、まるで書き言葉のような文語調とでもいえるほどのその“硬さ”に違和感を感じた。
 あの“硬さ”とはいったい何なのか?
 このVTRを見てもそれは随所に出ていた。
 このような“硬さ”が出る場面とは、こと野球についての見識が表わされるときだ。最初にそれが見られる場面は、試合前の練習、フリーバッティングから、イチローのバッティング技術へと展開されたときである。


イチロー 実際見ると、あっ速い球に詰らされた、ラッキーなヒットだった、言う人って結構いると思うんです。でも僕の中って、まったく違うんですよ。変化球が来てもヒットに出来る、真っ直ぐが来ても詰らせてヒットにするって技術があるんですよね。


 駿足を活かした内野安打のことについて、である。しかしながらこれは彼が話した言葉を書き起こしたものである。まるで書いた文章のように、その説明は分かりやすい。
 通常、より説明的になればなるほど、言葉が長くなり、分かりにくい話になりがちだが、それをイチローは効果的な長さを意識しているように話している。特に「でも僕の中って、まったく違うんですよ」と、その前後の話を対比させている。
 書き起こして読んでみると、これがやはり文語的といえるほど読みやすいものなのである。聞くよりも、読んでその無駄のない言葉に気づかされる。
 しかしこの“硬さ”とは、口語調か文語調かということだけではないことを発見した。それは「まったく違うんですよ」という言葉で分かる。
 イチローには、我々が見ている一般的な見方と、イチロー自身の考えには、この「まったく」と言えるほどの差があると思っているところである。

 イチローが考えている、この一般視聴者やファンたちとの差か溝のようなものは何か?
 また野球についての見識が表わされるときに言い表される言葉の文語調的な硬さとは何か?

 それにしても最初からこのVTRには驚かされる。
 それがカレーの話である。
 ナレーションでは「12時少し前に朝昼兼用の食事を取る。メジャーに移籍して7年。メニューはいつも妻の手作りのカレーだ」と紹介されるのだ。
 7年、いつもカレー?


イチロー (独り言のようにリラックスしているが声が大きい)7年間同じ昼飯食っている奴っていないのかな? まあ、そもそもそんな調査しねぇか(と納得)。(本当に7年間毎日?)(改まって)カレー以外ってあったかな? 記憶にはないですね。うん。(トーンが高くなる)シンプルなものじゃないとダメなんですよ。カレーの上にカツなんて考えられないですよ、僕。有り得ないですよ。

弓子 (何かイチローさん用に特別にされているということはあるんですか? カレーに)カレーですか? カレー、特別にはしてないんですけれど、あの、いつでも食べられるように、結構、遠征から帰ってくる日にたくさん作って、それで冷凍するんですよ。冷凍したカレーがございます。(と冷蔵庫を開けて見せる。中にはタッパに入っているカレーがたくさんある)このくらい、いつも作って冷凍しておきます。はい。
イチロー (今からキッチンに入ってきて)おー、炊きたてはいいね。(はい)(と手を洗う)じゃあ、いただきまーす。(はーい)(食べながら)おいしいね。やっぱりね。


 確かお笑いの明石家さんまもカレー好きで「毎日食べても飽きない」などと言ってたことを思い出す。
 それに有名な作家でも1つの料理に拘って毎日食べる話を聞いたことがある。
 イチローの拘りは食べるだけではない。


ナレーション 食事の後はいつも好きなDVDを見て過ごす。
イチロー だけど今、白い巨塔なんて見ている奴いないんだろうな。まあ30回は見てますね。


 よっぽど気に入ったとしても、同じストーリーを30回も見て楽しんでいる。
 本当かどうかはよく分からないが、アインシュタインが同じ服装に拘っていたということを聞いたことがある。
 このようにイチローには、嗜好としても自分が好んだものを、何度も繰り返して楽しむということがある。

 このような強い拘りが、彼の話し言葉としての硬さに表われているようにも感じられる。「……言う人って結構いると思うんです。でも僕の中って、まったく違うんですよ」という言葉を切り取れば、我々の一般的な見方や感じ方と、イチロー自身の考えには、この「まったく」と言えるほどの差や溝があり、それがときに強い拘りとして、ときにその話す言葉の硬さとして表われているのではないか。

 このイチロー自身が考えている、一般の人達と自分が「まったく違う」というものは、イチローが感じているほど違うものではないだろう。イチローの駿足における内野安打を、だれもラッキーとは思わないものだ。これほど走攻守全ての才能が高レベルの選手のプレーを、我々はただただ感嘆の声を上げるだけでしかないのだ。
 しかしイチローはそう思ってない――これが彼の思い過ごしにしても――これこそ彼の“硬さ”である。
 そうだ、この“硬さ”には、もっと別の意味があるのだ。


ナレーション 午後4時半、グランドへの練習が始まる。試合前のイチローは、毎日同じであることに徹底的に拘る。オリジナルの練習メニューを正確に淡々とこなしていく。

住吉 あの、自宅から球場に行くところで表情がまったく、まったく変わっていたんですけども、ご自分の中ではスイッチを、こう切り替えるとか、そういうこと意識的にされていますか?
イチロー 意識的にしなくてもそれは勝手にできますね。(勝手に?)はい。勝手になっています。
茂木 イチローモードに変わっていくときの、その頭の中で起こっていることって、どんな感じなんですか?
イチロー それは茂木さんが解析して下さいよ。専門家なんですから。
茂木 いやいやいや、ちょっとデータをくれるとね、ちょっと私もね……。
イチロー あのー、時間がきっちり決まっているんですよ。動き出す時間、ストレッチの時間、ゲームに入る前の準備の時間、もう、(強く)きっちり決まっているんですね。それをこなしていったら、徐々に、ぽん、ぽん、ぽん、って入っていくんですよ。意識はないんですよね。意識なくスイッチが入っていってる。
住吉 でも、それって、和の、なんとか道、みたいなのも全部そうですよね。剣道とか、全部その所作が決まっているものほど、それをしている内に、集中が高まるって聞いたことがあるんですけど。
イチロー すごくよく分かる。
住吉 ちなみに脳科学的には、その同じ所作を繰り返すと集中力が高まるっていうことはあるんですか?
茂木 ありますよ。だから、そりゃ、無意識を扱おうと思ったらそれしかやる方法がないっていうかね。
住吉 えっ、それしかないんですか?
茂木 うん。だから、だって、言葉とか、イメージトレーニングって言うけども、ああいうものっていうのは限界がありますからね。だってその無意識の中の脳の状態の方がはるかに大きいんですよ。そっちを何かいろいろコントロールしようと思ったから、身体の方が、だって身体の方がだって、ものすごい神経繊維、脳に行ってますから。
イチロー じゃあ、身体にゆだねることっていうことは間違いではないわけですね。
茂木 間違えでは、ないです。


 ナレーションでも「毎日同じであることに徹底的に拘る」ことを伝えてる。これは、丹念に生真面目に、である。「時間がきっちり決まっているんですよ。動き出す時間、ストレッチの時間、ゲームに入る前の準備の時間、もう、(強く)きっちり決まっているんですね」と、ここにも彼の強い拘りがある。
 特徴的なのが次のような会話である。
 茂木が「イチローモードに変わっていくときの、その頭の中で起こっていることって、どんな感じなんですか?」と聞いたとき、イチローは「それは茂木さんが解析して下さいよ。専門家なんですから」と言っているところ。
 また住吉が「でも、それって、和の、なんとか道、みたいなのも全部そうですよね。剣道とか、全部その所作が決まっているものほど、それをしている内に、集中が高まるって聞いたことがあるんですけど」と言うと、イチローは「すごくよく分かる」と納得し、さらに「じゃあ、身体にゆだねることっていうことは間違いではないわけですね」と確かめている。

 彼は脳科学者の見解を伺いたかったし、武道による所作や型における無意識の領域について大いに興味を持った。
 このようにイチローが強く拘っているのは“確実性”なのである。
 彼が練習で時間や順序、内容などが常に毎回、同じであることに強く拘ることとは、確実性を追求しているということなのである。
 もう一度、前に戻って見てみると「変化球が来てもヒットに出来る、真っ直ぐが来ても詰らせてヒットにするって技術があるんですよね」という話でも、その内容そのものは、ヒットを技術で可能にしている、というものではないか。

 彼の嗜好にしても、いつまでも変えないという強い拘りとは、この確実であることへの影響ではないだろうかと考えてしまう。
 それを決めて、繰り返す。そのように習慣化することで、イチロー、であり続けようとする。それとは、確実性を欲している、または、追求している、ということであるのだ。


テロップ 9月3日 ニューヨーク
ナレーション そして迎えた9月3日。ニューヨークでのヤンキース戦。マウンドには、メジャーきっての豪腕クレメンス。ライトスタンドら飛び込むホームランで、7年連続の200本安打を達成した。2007年のイチローに何が起こっていたのか? その翌日、イチローは日本から尋ねてきた友人と夕食を共にした。
友人1 去年ね、神戸でご飯食べたときに、こうさ、プレッシャーを技術で越えるって言ってたじゃない。僕はそれをずーと残ってんの。
イチロー 精神って言うのは限界があると思うんですね。僕のレベルでは、限界だと思ったんですよね。で、幾度となく、その精神を追い込まれてきた。そのたびに、何となくこう重いものを背負ってプレーし続けてきた。でも200本は越えてきた。日本では首位打者をとり続けてきた。越えてるように見えるよね。でも越えてないんだよね。だからね、そこをテーマにしたわけ。それが来たらそれから逃げないと、俺は。プレッシャーはかかる。どうしたってかかる。まっ逃げられない。だからもう賭けようと、今回はね。もっ170(安打)なった時点で、来た来た来たーっみたいな感じになって、(自分に言い聞かせるように)いくぞ明日から、って……。

茂木 ……でもね、ちょっと、どうしてもお聞きたいことがあって、イチローさんは、ホームラン、なかなか、その数としてはそんな打ってないとは言いながら、何か記念になる打席だと意外と打つじゃないですか。
イチロー 今、意外と、と言いました?
茂木 (慌てて)意外とって……多く打ちますよね。あれは何でなんですか?
イチロー (多く打ちますよね、と言い換えたことで、笑う)いや、僕ね、こんなこと自分で言うのも何なんですけど、ホームランは打てるんです。茂木さん。僕は、狙ったら飛ぶんですよ、打球。だから、ここっていうときは狙いに行くんです。
茂木 狙いに行ってるんですか?
イチロー もちろんです。

茂木 あの、このスーツケースの中見ても思ったんですけど、よくジンクスって言うじゃないですか、こういうことやるとね打てるんだとか、ああいうのと、イチローさんの拘りは違うんだね。いろいろな自分の実験の結果、こういうことをやると、何か身体のコンディションが良くなるんだ、ということをやってわけですよね。
イチロー やってますけども、験も担ぎます。(担ぐんですか? あれ)うん。まっ、たとえば、打席に入る前、ダッグアウトからフィールドに上っていく階段が、まあ、5段ぐらいあんのかな? あれは、最初、必ず僕、左で上がっていく。左で上がっていく。1、2、3と……。で、ヒットが出れば、当然、次も……。でも、(ヒットが)出なかったとき、凡打したとき、右からなんですよ。(へー、気付かなかったです)で、また次、凡打したときは、左から。だから、あっ、どっちだったかな、って、なっちゃうときがあるんですよ。あっ、分からない。そうしたら、もう一度下がって、あっ、こっちこっち、ってやるんです。

茂木 背面キャッチも遊びですか? よくやるじゃないですか?
イチロー まあ、あれは誰が見ても遊びっていう感覚を覚えると思いますけど、実は違うんですよ。あの背面キャッチというのは、ボールがもう明らかに消えるわけですよね、視界から。それで後ろでキャッチするというのは、まあ、最も難しい行為の1つ。ボールを取ることに関して言えば。で、ボールから目を離してキャッチすることの意味がそこにあるんです。普通のフライ、平凡なフライがセンターに飛んできました。そのときに、油断しますよ、僕も。そのときにやっぱ目が離れるんですね。そのときのための練習なんです。用は、ここで目を離して取ってんだから、ここに来て取れないわけがないよな。油断しているとき用の練習です。(そうだったのか)そうですよ。遊びじゃないですよ。その結果、喜んでもらったらいいな、って順番ですよ。

ナレーション 9月16日。イチローは最後の遠征に出発した。アスレチックスとの3連戦の初戦。マウンドには球界を代表するピッチャー、ヘイレン。(オークランド・アスレチックス ダン・ヘイレン投手 レフトよりセンター前にヒット。ライトよりセンター前にヒット。)相手エースを打ち崩した。その日の夜、今、イチローがつかみかけている、目に見えないものとは何か? 深夜1時、イチローはカメラの前でそのことを話し始めた。
イチロー 僕、あのー、ストライクゾーン、いわゆるストライクゾーンってありますよね、ベースの上に通る。あのストライクゾーンだけ、もし打つことが出来たら、僕よりヒット打てる人はいないと思うんですよ。間違いなく、僕が一番ヒットを打てる。でもわけの分かんないボールに手を出したりね、ダメだ、これ手を出しちゃダメだ、ということがいけないんですよ。これがなくせるんじゃないか、っていうことなんですよ。で、この感覚を得れば、今までの技術なんか必要ないな。ようは無駄な技術を駆使する必要がない。普通に打てると思った玉を撃ちに行けば、ヒットが出る、ということなんですよね。

友人 もちろんという言い方はあれかもしんないけど、首位打者は狙うの?
イチロー (すぐさま)当たり前じゃん。(首位打者を狙うと断言した)残り10試合で、16本ヒットを打てば、まっ間違いなく取れるでしょう。その上を行かれたら、もうこれはどうしようもないんで……。
友人 あっ、そういう考え方になる、やっぱし。
イチロー 10試合で16本打つプレッシャーは、ちょっと感じている。それは感じる。
友人 少なくても何となくそういうの感じ始めたんだよね。バリバリに感じる?
イチロー もちろんです。っていうか、毎打席ですよ。はい。

ナレーション 首位打者争いは、近年まれに見るハイレベルな闘いに突入した。イチローは固め打ちで3割5分をキープ。2001年以降、3割5分台でリーグ首位打者を逃した例はない。しかしオルドニエスはその上を行った。打率を3割5分9厘にまで上げてきた。4試合を残して差は9里。

イチロー どう考えたって、後4試合でしょう? 4試合でどうでしょう? 2本づつでは間に合わないんで、まっ最低、3、3、2、2、でしょうね。可能性が生まれるとしたら。2、2、2、2では、おそらく無理でしょう。


 プレッシャーを技術で越える、という考え。
 記念になる打席で、ホームランを狙う姿勢。
 しかしジンクスにや験担ぎも行うということ。
 また背面キャッチが油断しているとき用の練習だということ。
 つかみかけている、選球眼、についての考え。
 そして10試合で16本打つプレッシャーを感じながらも首位打者を狙うという宣言。
 と、実際ではオルドニエスとの首位打者争いでの安打を数えている葛藤。

 これらは全て“確実性”を欲していることであり、さらに“確実性”を追求していることでもあるのだ。

テレビと心理学

2008年01月13日 12時20分31秒 | 分析
 去年の12月28日から、過去のビデオで分析し忘れていたもの、テレビ東京「ラポールの旅」(精神科医名越康文氏の分析と監修)と、TBS「21世紀エジソン」の「夢のシルシ」(心理カウンセラー、萌夏里沙氏監修)と、暮れの特番でのTBS「21世紀エジソンSP」を分析してきた。それで1月13日までかかってしまった。

 言語分析は言葉の分析であるため、カウンセリングは必要ではなく、カウンセラーが故意に聞き出そうとしたり、意図的な誘導などもないため、ただ客観的な思考でいられるものである。
 特にこのブログでは、カウンセラーの主体性からの意図的な操作や、心理学的結論に結びつけるための努力などを問題にしたのである。
 萌夏里沙氏では、占いなども考慮されていることなど、その分析においての間違いを多数指摘した。

 テレビは、オーム真理教の麻原や、ノストラダムスの大予言、などの例もありながら、未だに、予言の的中率が90%だの、1人のタレントを神格化だの、東北の神様だの、こりもせずにまた同じことを繰り返している。
 またこの間、見た占いを特集した番組では、何とかの母が、女性タレントの頭を叩きながら「不倫をした」と繰り返していたが、女性タレントはそれを否定、というもう滅茶苦茶なやり取りが繰り返されていた。だいたい若い女性の20代で3年間の時期に恋愛経験があったか、なかったかなどと、ひじょうに一般的なエピソードを指摘して運命だの、宿命だの、占いが当たっただの、このようにも古典的なやり方を改めてテレビで見せられるとは、ただ呆れるばかりである。

 これは予言や、宗教を利用したりする行為、霊視、占いなどへの批判で終わっていいというものではない。

 実は心理学としても過去に問題となったことがあるのだ。
 岩月 謙司(いわつき けんじ)理学博士なのだそうだが、2002年2月10日、育て直しに関してTV報道された直後の4月27日に「準強制わいせつ事件」となってしまったのだ。
岩月謙司元教授の「育て直し」の検証特集
 『1審判決によると、岩月被告は02年4月27日夜から28日午後まで、自宅の浴室や寝室で、20歳代の女性に「父からのセクハラと母の嫉妬(しっと)という呪いがかかっている」などと言って、治療行為を装い胸などを触るわいせつ行為をした』ということらしい。香川大学は、教育学部教授岩月謙司被告(51)を控訴中だが、06年3月27日に懲戒解雇した。
 テレビ番組(ドキュメント)では「……カウンセリングに密着、現代社会が抱えた病理を考える」と説明している。

 振り込め詐欺や、食品偽装などが社会問題化しているが、それと同様にテレビのこのような問題も見逃せないことだ。



SP夢のシルシ、吉夢の分析

2008年01月13日 06時08分07秒 | 分析
「夢のシルシ」TBS「21世紀エジソンSP」

Q.吉夢はどっち?
お葬式の夢
メリーゴーランドの夢

ナレーション 正解は、お葬式の夢。過去の自分と決別して、新たな自分の誕生を意味する、とってもいい夢。
 メリーゴーランドの夢は、単調な毎日にうんざりしている証拠。


 こちらの分析では、お葬式の夢とは、煩わしい人間関係から解放されたいという願望であるので、とても吉夢とはいかない。人間関係による悩みが解決出来ないということであり、今年もそんな状況が続くのであれば、とても吉夢などと言ってられないだろう。
 メリーゴーランドの夢は、子供の頃を懐かしがっている夢となります。仕事に忙殺されているのではないでしょうか。

 これらの意味から考えられることとは、選択するならばメリーゴーランドの夢の方が“吉夢”であるということです。
 つまり、メリーゴーランドなどの夢を見たのであれば、子供の頃の自由さを懐かしんでいるのだから、その願望を満足させるために、遊園地へ遊びに行くことで、子供心を取り戻すという最高のリフレッシュとなるだろうと分析予測できるのだ。

 夢を見たから、運が良い、というのはあまりににも占い的なアプローチである。
 「遊園地へ遊びに行くことで、子供心を取り戻すという最高のリフレッシュとなる」と書いた方がよっぽど心理学的であろう。

 夢分析は不思議な心理学ではない。
 心理学は誰でも学べば理解できる客観的な学問である。
 しかし萌夏氏のように、ユングもフロイトも占いも一緒くたにした、独自の分析、では間違ったものとなってしまい、分析対象者に余計なストレスを与えるだけである。それでも利益優先であると考えているのだったら、悪徳の何ものでもない。考え直すべきです。



SP夢のシルシ、有吉弘行さんの分析

2008年01月12日 10時02分04秒 | 分析
「夢のシルシ」TBS「21世紀エジソンSP」

M度チェック

 私の分析では「第3回夢のシルシ、出川哲朗さんの分析」で、「自分が死んでしまう夢は、自分の嫌な面があるので生まれ変わりたいと思っている」と分析した。萌夏氏の「自分が死ぬ夢が、自分に対しての攻撃性」という分析とは大きく違っている。

 このように「自分が死んでしまう夢は、自分の嫌な面があるので生まれ変わりたいと思っている」という夢から分析すれば、有吉弘行さんの話とはどういうものだろうか?

名倉 有吉ですわ。8個ってほとんどやからな。お前、ドMやで。
有吉 十年前ぐらいにSMクラブに行ったときに、僕Sだと思ってたんですけど、女王様に、久しぶりに出たな天才が、って言われて、それでほこりをかぶっているアタッシュケースを開けられて、7色のボールを出されて、そこに立ってなさいと言われて、股間に7色のボールをぶつけられるってプレーを、7年ぶりよ、って言われたことがある。
竹内 (雑音を遮断しようとするように左手を大きく振って)しかも番組サイドで調べた結果、有吉さんは、自身のブログにM度満点の写真をたくさん掲載していることを発見しました。
有吉 これは、ブログの1つのコーナーの中で、僕がセルフタイマーで撮っているんですけど、グラビアアイドルがやっているポーズを同じポーズを自分が撮るんですけど、グラビアやってみよう、っていうコーナーがあるんですけど……。

 有吉さんが、自分が死んでしまう夢を見ていたとして、それで自分の嫌な面があるので生まれ変わりたいと思っている、としたら、この有吉さんにおいては、ものすごい生まれ変わりようではないか。毎日脱皮しているカニのようだ。
 自分はSだと思っていたのに女王様によってMとなり、ブログではグラビアアイドルに変身している。
 これだけ激しい生まれ変わりようであれば、もはや自分の何が不満であるのかさえ分からないのではないのか。
 しかしこれだけ激しく変身したい動機とはいったい何であろうか?

 それにしても8個もチェックが付いているのだから、この中にお笑い芸人として特徴的な要素が入っているかもしれない。

 特に警察署に行く夢では萌夏氏の分析では、支配と服従の象徴、としている。
 しかし私は警察署に行く夢を、反道徳的な願望における葛藤と分析する。

 つまり、有吉さんは、自分のセルフヌードグラビアや、SMなどをやりたいという願望と、社会的な価値観との間に板挟みとなっており、それが心の奥で葛藤となっていると分析できる。

 有吉さんは、この通り、M(マゾ)というよりは、自由な芸風と社会的価値観の間で葛藤している、お笑い芸人である、ということではないだろうか。



SP夢のシルシ、中尾明慶さんの分析

2008年01月12日 06時05分24秒 | 分析
「夢のシルシ」TBS「21世紀エジソンSP」

M度チェック

 私の分析では「第3回夢のシルシ、出川哲朗さんの分析」で、「自分が死んでしまう夢は、自分の嫌な面があるので生まれ変わりたいと思っている」と分析した。萌夏氏の「自分が死ぬ夢が、自分に対しての攻撃性」という分析とは大きく違っている。
 このように「自分が死んでしまう夢は、自分の嫌な面があるので生まれ変わりたいと思っている」という夢から分析すれば、中尾明慶さんの話が良く理解できるはずだ。

中尾 僕、Mですね。僕、趣味でボクシングとかやっているんですよ。お腹殴られたりするんですよ。そういうのとか、いいな、って思っちゃいますね。痛いんですよ、ものすごく苦しんでいるですけど、あっ、今、鍛えているな、みたいな。筋トレとかしてても、今効いてるよ、ここ今効いてるよ、とか言われるんですよ。それで、頑張ろう、って思うんですよ。

 中尾さんは、自分の弱い面を改善させようとボクシングを習っているのであろう。生まれ変わりたいと思うほどの葛藤があったのではないだろうか。
 前の、寂しい愛されたい度チェックでは、過去の性体験を秘密にしたいという抑圧された意識、というのを夢分析から問題視した。ここにも彼の何か堂々と出来ない弱さが感じられてしまう。

 これらのことからM(マゾ)というよりは、コンプレックスが動機の向上心、と言った方が正しいのではないか。