Siamo tutti un po' pazzi.

~我々は皆少しおかしい(イタリアの慣用句)~

普段色々考えていることの日記です。

祖父の戦争体験談2

2010年05月25日 | 雑記
「悲惨な戦争」だとか「お国のための戦争」だとかそんなのではなく、
その当時を生きた人の生の声として

嫌いな上官がいたことについて
「すぐ、天皇さんのために命をささげろとか言う嫌な上官がいた。ある日敵が飛行機で攻めてきた時に、みんなでそれっと森へ逃げた。そいつは敵が甲板に開けた穴に落ちて、出れなくなってしまった。『助けてくれ~』と叫んでいたが、誰も森から出て助ける者はいなかった。夜になって敵がいなくなってから、そいつが落ちた穴へみんなで見に行って『生きてるか~』て声をかけて、助けた。二度とわしらの前でお国のためとか天皇万歳とか言わんなったけどな」

祖父は下戸だった。お酒を一滴飲んだだけで、ふらふらになる。
祖父の上官に大酒飲みがいて、祖父はいつも配給のお酒をその上官にあげていたから、かなり可愛がられた。
その上官がお酒を飲んだら祖父に言った言葉が、
「こんなアホな戦争で死んだらバカや」「俺らのための戦争やない。お上のための戦争や」「陸軍のメンツだけでたたかっとう戦争やさかいな、俺らは関係ないんや」「もっと早くやめれるのに、陸軍が戦いたいから戦っているんや」

赴任地のサイパンについて。
「サイパンはええとこやった。水が飲めへんからな、マンゴーやパパイヤを食べて水分を取るんや。今スーパーで売られているのよりずっと美味しいで。あれは日本へ持ってくるために熟れてないうちから採るからまずいまずい。おじいちゃんが食べたのはもっと甘くておいしい奴や」
「飯炊きや風呂焚きはほとんど中国人がやったから、内地は良かった。船の上は全部自分でやらなあかんから、内地の人間はええなぁと思った」

(食べ物に関して私の知人の祖父(陸軍少尉)の話によると)
「食べるものがないからベルトの革を食べた。自分の汗がしみ込んで塩気がついて、かなり美味しい方の食べ物だった」
「行軍で倒れる人間がいると、その人の食べ物をみんなで奪う。死ぬ人間に食料はいらないから」

……おじいちゃん、本当にサイパンだったの?

(食べ物に関して別の知人の知り合い(海軍)は)
「豚とか魚とかを飼っていた。自分たちの排せつ物を豚や魚が食べて、その豚や魚を自分たちが食べるからそれは綺麗なものやったで」

……あんたら、ほんまにサイパンやったの?

戦後のこと
「政府は俺らをだましたからな。政府は信用できんのや」

コメントを投稿