すくらっぷ・ブック

ex)audioblaze,frost flower

プシュケ

2007-10-29 15:32:55 | diary
最近更新していなかったのには理由があります。

会社のPCの十字キーの近い部分にページ送り、戻しのキーがついていて、
ブログの更新中、ミスタッチでふとページ戻しのキーを押してしまうことが多々ありました。
それで、また更新中のページに戻ると本文が一切消えているという事象が続きました。
そうするともう萎えちゃうわけ。
せっかく長文打ったのにって。
もういいやってなって更新を怠っていたというわけです。

しかし、先週PCの入れ替えがあったので、
キー配置が至極普通のPCにチェンジしました。
ということで、今後は更新できると思います。

近況はというと、光明も見えつつ、でも自分は藪の中という感じ。
普段では考えられないようなスピードの中に身をおくのか、
もしくはその時の流れから完全に脱却するのか、
普段や日常というものが、いつの間にか本当にルーチン化したものになってしまっている。
新たなものを模索しても、それすらも世間一般的な出発点であり、
それに酔ってしまうことを完全に拒否している自分がいる。
経験として身に付けたものはそれなりに役に立っているようだ。
時代の流れは移れども、目的は変わらず、その手段のみは多種多様に変化する。
その選択肢が増えれば増えるほど、手段と目的をはき違えることが増える。
それすらも経験として身につけばよいのだが、
その選択肢が増えた分、1つに割ける時間はどうしても減ってくる。
そこで妥協が生まれる。
大体、「極める」なんていう言葉をいつからこんなに軽々しく使うようになったんだろうか。
本質の何割を知ったらそのことを「知った」ことになるんだろうか。
ただし、中心だけ見てたらその周囲の大きさは分からない。
中心を知り、そこからぶれることなく、その周りの大きさを把握する。
独りよがりでもかまわないだろうが、
それを可とする自分がいるかどうかは考えなきゃいけないところだ。

人からどう見られても気にしない、
人からどう思われても気にしない、
人から何を言われても気にしない、
じゃあその終着点にあるものは何?って最近ふと思う。

こんな葛藤が果たして生まれるのかどうか。
大きいエビ食ったら、今度はもっと大きいエビ食いたくなる。
で、もっと大きいエビ探す。
でも、もっと大きいエビが見つからない。
そこで2択です。

1.自分が食べたのが有史以降一番大きいエビだった。
2.大きいエビはどこかにある。ただ、見つからないだけ。

さぁどっち?

1は物事の本質のこと。
でも、有史以降一番大きいエビだなんて確認する方法は皆無だな。

2は現実的。
でも、どこであきらめるかの話は自分次第。
永遠に探し続けるっていう手ももちろんあり。
それでも目的は永遠に達成されない。

こんな数値として換算できるものですら、
答えを出すのは難しい。

でも、実は3というのもある。

3.大きいエビは嫌い。だから別に探さない。

3の一番の問題点は質問の趣旨に反していること。
エビを食いたくならないし、探さないと。
それでもこの回答は普段なら成立するよね。
要するに「どうでもいーよー」ってやつだ。

けど、どうでもいいという前に、
質問に答えてないんだからどうでもよくはないのだ。

いい例えではないことは承知だが、
10tトラックが道で事故ろうが、軽自動車が道で事故ろうが、
車線潰したら、その後に巻き起こす渋滞は全く一緒。
そこで、
「俺そっち向かってねーもん」とか、
「チャリンコっす、歩道走ります」
っていうのは違うんじゃないかなと思う。

そのフィールドに立ってみてはじめて分かることもある。
その事故の大きさだったり、悲惨さだったり、
目を向けなければ分からないことはたくさんある。
それですら燃え上がる炎に目を取られ、
その元では今まさにひとつの命が生死を行きかっていることに気がつかず、
後日新聞でその惨状を目の当たりにするかもしれない。
当事者としてその場に居たにもかかわらずだ。

とは言いつつも、人間はそんなに馬鹿じゃない。
自分の環境を「これでよし」なんて決め付けることはあまりない。
それはよく言えば向上心、悪く言えば独占欲。
誰も自分の思ったとおりには動かないし、
動かそうなんていう欺瞞に満ちた考えは淘汰されていく。
片方を立てればどちらかが崩れるというだけの話。
難しい話ではないのだ。

ただ、両サイドに聳えている塔が、
いつでも自分の方向に倒れてくるとは限らない。
自分に塔を支えられる資質があったとしても、
その塔が同時に反対側に倒れたとしたならば、
もはや自分できることは何もない。

備えあれば憂いなし。
もはや手段はその塔を倒さないようにするしかない。
片方の土台を強固なものにしている最中に、
もう片方は倒れるかもしれない。
ならばと、もう片方の土台を固めている間に、
さらにもう一方が倒れるかもしれない。
事もなくどちらも強固な土台で固め終えた時、
どちらの塔からも、もうこの塔は土台がしっかりいてるから倒れないよ。
だから支えてもらわなくても大丈夫だよ。と言われるかもしれない。
そのとき自分に残るものは果たして何なのか。

こんなことばかり言っててもしょうがないのでマンガの話。
うちにもそれ相当のマンガがありますが、
その中から最近のブームは青春恋愛物。
しかも一昔前のやつね。
今でこそ少年誌のマンガにファックシーンは普通に登場しますが、
その昔、少年漫画ではタブー視されてました。
その頃にファックシーンを普通に描いたマンガ。
このへんを読むことが多い。

ファックシーンを包み隠さず描くことによって、
それに関するナイーブな部分をごまかさずに表現できる。
それでもマンガという部分での幻想も忘れない。
ファックシーンがなければ成立しないのならファックシーンは描くしかない。
とても自然なことです。

で、もう一個。
最近12年読み続けたマンガがやっと最終巻を迎えました。
まぁ、またしても少女マンガなのですが。

少女マンガのいいところ、というか少年誌にはないところで、
終了後の読みきりというのがあります。
本編が終了した後に後日譚だったり、サブキャラメインの話だったりが掲載されることが多々あります。
個人的に、これはちょっとアホですが、
未だにマンガのキャラは自分とは違うパラレルワールドに住んでいる幻想に駆られます。
マンガが終わっても、その生活を誌面からのぞくことができなくなっただけで、
その世界は未だに続いているのです、自分の中では。
なので、今回も最後に主人公が結婚したことや、その周りのキャラが元気に暮らしているのを見ると安心するのです。

物事や生活はやっぱり細切れのシーンの繋ぎ合わせではないし、
その場その場のフラッシュでもない。
写真で一瞬を捉えたにもかかわらず、
その一枚の写真からそれ以上の感情が生まれるのは、
その流れだったり想いだったりをまさに読み取っているからでしょう。

並大抵のことではないよね。




Landscape,Sucker,Dance

2007-10-17 11:35:22 | diary
今日は自分の仕事をちょっと置いといて、
会社の別口の仕事へ行くことになっている。
昔取った杵柄というか、以前扱ったことがあるシステムをレクチャーしに行くのだ。
こういうときに怖いのは、ある程度の前情報は提供してもらっているが、
実際お客さんに会ってみないとどう考えてるか分からないということ。
すごいシステムに詳しいお客さんなのか、
それとも右も左もわかんないお客さんなのかは会ってみないとわからない。
行ってみてからそのお客さんを探って、
且つ、求めていることを的確に説明するのはなかなか骨の折れる仕事だ。

ただ、そんなに時間が掛かるものでもないだろうから、
直帰すればかなり早く帰れるはず。
これはちょっと嬉しいね。

最近は時間の使い方ばっかり考えている。
例えば、今は楽々座って通勤できるので、
そこで小一時間睡眠がとれる。
だから寝る時間を少し遅くしてやりたいことがやれる。
昼食をデスクで食べることで、PCを触れる。
だから家に帰ってからPCを使う時間を減らして、
他の事に時間が割ける。
時間は決められた分しかないのだから、
どうやってできるだけのことをやろうかと考えてる。
時間がないなんていうのはできれば言いたくないしね。

そんなこんなで、わりと計画性を持って過ごそうと考えている。
ただ、突発的に何かをしなければいけないことは多々あるので、
その為に少し余裕を持って動きたいと思っているところ。

先日修理に出したマイギターが帰ってこない。
音沙汰もない。
土曜日までには帰ってきてもらわないと困るんだけどな。
最近過去に録った自分の音源を聴き返しているけど、
面白いもんで、あれだけエフェクトかけてても、
どのギターで弾いてるかわかるね。
やっぱりプレイスタイルが変わるからだろう。
で、今修理に出してるギターは半年くらい使ってるけど、
その頃の音源から聴き返していくと、
どんどんそのギターの使い方がわかってきてるのが聴いて取れる。
最初の頃の音源はなんかぎこちなかったけど、
最近の音源では、まぁうまい具合に使えてると思う。
そうやって自分の物にしていくのでしょうな。
そういう意味では時間が解決してくれることもある。
なんで、出来るだけ時間を有効に使いたいのだ。

うちの会社で何人かがハンガリーに視察だか研修で行くんだと。
で、ちょっと調べてみたら、オープンカンファレンスに参加するみたい。
1人600ユーロ払って3日間。
ブダペストまでのエアー代が8万円弱。
そんだけ払ってわかりもしないシステムのことをちんぷんかんぷんの英語で説明されるそうですわ。

意味ねーな。
得るものといえば、それに参加したというステータスのみでしょうね。

そこで問題なのは、
このカンファレンスは講師の面子とか見ても結構すごいし、
内容もなかなかいい感じなのよ。
ただ、行くやつにその意識があるかどうかと、
これは確実に言えることだけど、
英語が話せるやつは1人もいないから、
そのなかなかいい内容を全く理解できないで帰ってくること。

スウェット上下でベンツから降りてきたおっさんがロレックスしてるようなもんよ。




渚音楽祭07・秋

2007-10-15 15:23:01 | musics
去年の春以来の渚音楽祭。

結局もう単純なレジャーレイヴに成り下がってしまいましたな。
イベントは客層は選べない。
でも本当はそうじゃない。
気軽さを売りにすれば食いつく連中がどんな人間かは予測できたはず。
むしろ、狙ってる環境なのかもしれないね。

ドイツのLOVE PARADEもそうなんだけど、
数年前に、観光誘致イベントではなく商業イベントだと判断され、
国からの援助がなくなり消滅の危機になっていましたね。
元々、小さなRAVEからはじまったものが、
最盛期には150万人以上の人を集めることになった。
結果生まれた問題は処理には余りあるゴミと治安の悪化。

どんなに小さいイベントをやる時だって、
常にこの2点はネックになる。

主催者はイベントでは別にゴミを持って帰れといってるわけじゃない。
ただ、分別して決められた場所に捨てることを促してるだけ。
そのかわり、分別すればこれだけのリサイクルが出来るということを情報提供しているし、食器やゴミ袋やトイレットペーパーのリサイクルとして実践している。

人が沢山集まれば、揉め事だって起きるのはしょうがない。
けれど、それをフェスとかの独自の雰囲気で「穏やかにいこうぜ」「みんなでなんとかしようぜ」と促してるだけ。
けれど、それだけの自然環境だったり、施設の充実だったり、はたまたオフィシャルのBBSで情報交換や協力体制なんかの一体感を提供している。

ドラッグは法律的に禁止だけど、歴史的見地やカルチャーとして認めていないわけではない。
素材としてのヘンプがどれだけクリーンで有効な資源かということをアピールする場を忘れない。

どれだけ小さいイベントでもそう。
タバコの吸殻をぽんぽん地面に捨てるような客だらけだったり、
近隣で夜中に騒いだり、暴力行為があったりなんかしたら
その箱はもう次は貸してくれないね。
そうならないために、主催者は努力をする。

べつに渚を自分に合わないからといって批判するわけではないし、
以前に比べたら、トイレの数が増えてたりするのはちゃんとやっている証拠だと思う。
ただ、単純に渚音楽祭というイベントが都市型で気軽でごちゃ混ぜのオールジャンルの音楽をやりたいという趣旨に基づいてやっているのは、
おそらくそういう趣旨の元で楽しめる客が集まるだろうし、
僕らみたいな違った趣旨の元で音楽を楽しみたい人は背を向けることになる。

そんななかで今日見つけた動画。
http://jp.youtube.com/watch?v=eD82Y6WcRlY

horning's hideoutっていうのは、
string cheese incidentが夏にやってた主催のキャンプインイベント。
ここで「やってた」と過去形で書かなきゃいけないのが悲しい。
年1回はこれからも続けるとかないのかな~。
で、ファンが今年のhorning'sのドキュメンタリー?をアップしてるのがこの動画。
1/4となっているので、おそらく今後まだ続編をアップしてくれるのでしょう。
zillaがかっこよすぎる。

horning'sも一回行ってみたかった。
ライブだけじゃなくて、ワークショップやファイヤーショー、パレードみたいなのもある。
ステージは基本1つ。
キャンプインで昼間は各自ゆったり過ごして、夜はライブ。
こんな感じのイベントなのです。

ま、イベントも沢山あるよねっていうはなし。
ただ、どれにも共通で言えるのは自分でやれることやんないと潰れちゃうよってこと。

今回渚音楽祭に出店してた某ショップのブログに笑った。
一言、「黒い」




朝霧jam07

2007-10-09 14:41:33 | diary
今年も行ってきました。

感想から言うとスゲー楽しかった。

けど実際に見たのはほとんどなくて、
pnuma trioをフルセット見て、
あとはthe baysとsouliveとUAをちょっとづつ見ただけ。

あとはもつ鍋食べたり、
テントサイトで飲んだくれてたり、
お買い物したり、
早寝して早起きして朝からビール、肉、ビール、肉、ビール、カレー。

そんな感じ。

けど、スゲー楽しかったのです。

今年はイベントとしてなんとなくターニングポイントを迎えた気がした。
いい意味でも悪い意味でも。
それは来年で実証されるでしょう。

そんな感じで帰ってきたもんだから、
さすがに今日あたりは仕事する気がぜんぜんおきない。

日常は嫌でも目の前に現実として広がってる。
脱却するよりは共存を目指したい。




朝霧に行ってくる

2007-10-05 15:34:06 | diary
明日から朝霧JAMに行ってきます。

冷静に面子見てみるとそんな悪くないな。
トリがthe cornelius groupっていうのはイベントとして新展開を狙っているのか、
はたまた世界レベルの認知度のバンドとしてのthe cornelius groupの出演なのかはまだ読めないけど。
個人的には見たいのはpnuma trioと春に行きそびれたthe baysかな。
昼間激晴れしたならsouliveやozomatliもきっと楽しいよ。

バスで行くくせに割と荷物が多いがその辺は(・ε・)キニシナイ!!
快適に過ごすためには必要なのだよ。

感想はまた帰ってきてから。




楽器とか

2007-10-04 17:36:45 | diary
またもや熱病的にガットギターの音色が欲しくなる。
ただ、もうこれ以上楽器は増やしたくないのと、
出来れば手軽にバンド内でも使えるようにと、
シミュレータを探してみた。

値段的に手ごろなのは、ToneWorksのAX3Aとzoomのa2。
さっそく翌日試奏しに楽器屋へ。

やっぱダメだねー。
高水準の物は別に求めてなかったけど、
それでもガットの音色には程遠い。
ギターシンセレベルじゃないとダメかもね。
あきらめた。

月末には来日するkeller williamsですが、
最近落としたkeller williams WMD'S。
聴いてみたら完全なバンドサウンド。
なんだ?と思ってyoutubeで探してみる。
なんと、ベースKeith Moseleyじゃん!
しかも、ドラムもどっかで見たなーと思ったら、
Trey Anastasioのバックで叩いてた人じゃん!
あと1人ギターがいる4人編成。
この人は知らなかった。

kellerはいっつもmidiギターとしてスタンドにセットして使ってるgodinをメインで使用。
やっぱりmidiは使ってるね。
今月のkellerの来日はソロで、
来月からWMD'S名義でUSツアーをやるみたい。
一回生で見てみたいな。

そんで、その流れでどっかのイベントでのKeith Moseleyのギター弾き語りの映像を発見。
Sometimes a river歌ってた。
元々ギター出の人だからね。
これもカッコいい。

ついでにYonder Mountain String BandのJeff Austinの弾き語りも見た。
最近の個人的マンドリンブームの中で、この映像は神がかってた。
マンドリンはもっとがんばる。

マンドリンはすげー楽しい。
うちのはまだまだ初心者用のAタイプフラットだけど、
将来的にそこそこものになったら、ぜひFタイプの古いのも欲しいね。
そういえば、この間マンドリンの試奏を何本かしました。
KAYの古いAタイプのと、godinのA8、あとstaffordの変型Fタイプみたいなやつ。
全部ピックアップ付き。

KAYはもうネックがぜんぜん手にあわない。
びっくりした。
サウンド的には悪くはなかったけど、ちょっと無理だな。

godinのA8はなんだろ?
サウンド的にまとまってるけど、なんとなくパンチに欠ける。
ただ、設定次第では面白く使えそうな感じ。

staffordのはもうピエゾ臭がプンプンするくらいシャリシャリの音。
個人的に求めてる音とはぜんぜん違う。

そんなこんなで、うちにある今のセットはなかなかいい感じだと思うんだ。
自画自賛。

でも、一回新品でもいいんでGibsonのFタイプを弾いてみたいね。
どんな感じなんだろう。
ただ、今のスキルでは「すいません、これ試奏したいんですけど」なんてとても言えない。
もう少し上手くなったらね。
そんでも、ヴィンテージのF5とかは値段が桁違いなので無理ですが。

バンジョーは挫折気味。
アコギの練習をサボってたツケがここで露呈したくらい弾けない。
少し眠らせます。




どーでもいいことの羅列

2007-10-03 17:27:23 | diary
えー、昨日会社でちょっと業務上のことで社員の一人と揉めました。
あまりにも低レベルな考え方の元に絡まれたかたちなのですが、
おそらく「すいませんでした」みたいな言葉を引き出して優越感に浸りたかったのでしょう。
この業界にはよくいるタイプです。
「おれってスゲーだろ」アピールするやつ。
しかし、そんなマスターベーションのおかずに使われるのはまっぴらなのです。
そんなヤローにはガツンと言い返してやるわけです。
そんで途中で仲裁も入り、むすっとしながら部屋から出て行きました。

そして今日の朝。
部署用メーリングリスト宛に長々とした文句メールが。
送信時間見ると朝の7時11分。
思わず笑った。
たぶん悔しくて眠れなくて、待ちきれなくて早朝に出社して、
モニターの前で真っ赤な顔しながらキーボードを叩いたのでしょう。
内容的には「おれは正しい」の一点張り。
メーリングリストでまたみんなに恥さらしちゃったけど大丈夫かな。
おれにしてみると、プギャー(^Д^)9mってかんじなんですが。

と、まぁ、世の中にはリアルバカがいるわけですよ。
こういうのが一人いるだけで仕事がめんどくさくなるんだよね。
ま、今後そんなに絡むこともないのでほっとくだけですが。

こんなことはさておいて、

先日、今のメインギターのモントリオールを修理と調整に出しました。
ピエゾとマグネットのピックアップセレクターの調子が悪い。
数年ぶりに買った新品のギターなんで、
保証期間中だし調整もしてもらうかと思ったのです。

そもそもうちのエレキギター群は全部ヴィンテージなので、
ちょっとの不具合とか、デッドポイントなんていうのは、
「味」ということで、ぜんぶひっくるめてそのギターとして納得して使っているのです。

しかし、モントリオールに求めてるのは、
ツールとしてちゃんと使えるギターなので、
その辺は妥協しません。
ピッチもぴったりあわせるし、
どのポジションでも均等に鳴るようにしないといけないのですよ。

ということで、じゃあこのモントリオール不在期間になに使おうかなと考えて、
結局テレキャスターに弦張りました。

この際だからと、軽ーくバラしてみた。
ネックは今いい感じでささっているので、
躊躇してはずさないことにした。
ロッド調整用の隙間からネックの製造年を見ると、
やっぱり72年製っぽい。
けど、ポットは69年製なんだって。
結構謎なギターなのですよ。
ピックアップもフロントはリンディーだしね。
リアはオリジナルだろうけど。

で、さっきのことを踏まえつつ、
やっぱり違うギターを持つと、
同じ曲の同じ部分を弾いても、
やることが変わってくる。
で、「あ、こういうのもありだな」って気づいたりする。
たまには全部弾かないとダメだな。

ただ、次のライブまでには戻ってきて欲しい。
ツールではあるけど、愛すべきツールなのですよ。
フィルモアの騎士とファティマの関係みたいな感じかな。

あ、エヴァ見てきた。
ラミエルスゲー。
個人的にシンジの家出は映画のパターンのが好きだな。

ヽゝ゜ ‐゜νサヨナラ




H-O-H

2007-10-01 16:08:57 | diary
例えば4人で飲んでる状態を飲み会と呼ぶとするならば、
どこまでが飲み会として成立しているかを考える。

4人で談笑。
どう見ても飲み会です。本当にありがとうございました。

2人が2組でそれぞれ談笑。
まだ飲み会な気がする。

逆に、
1人→しんみり酒を飲む。
1人→携帯メールで激盛り上がり。
1人→PSP。
1人→雑誌読んでる。
これは完全に飲み会じゃないね。
各自勝手に家でやれ。

2人が談笑。
1人→PSP。
1人→雑誌読んでる。
これも飲み会じゃねーだろ。

となると、
3人が談笑。
1人→PSP。
これがボーダーラインだ。

これは飲み会?それとも、もはや飲み会としては成立していない?
さあ、あなたはどっちだと思う?

個人的見解を述べるとするならば、
この時点で飲み会ではないと思います。
理由は飲み会というグルーヴが発生していないから。
逆に言うと飲み会というグルーヴを発生させるのは個々にほぼ均等に掛かっているものだと思うから。
「自分がいなくても周りが盛り上がってればいいだろ」とか、
「自分は今これがやりたいので問答無用でやる」とか、
「俺のことはほっとけ」なんていうのは、
実は飲み会を潰してるという意識を持つべきなんじゃないかと思うんよ。

みんなでやることは、みんなでやるから意味がある。

みんなでやるから飲み会は成立するし、
みんなでやるから会社は成立するし、
みんなでやるからバンドは成立するし、
みんなでやるからイベントは成立する。

そんな意識の中で動くと、まぁ、なんてスムーズに事が運ぶんでしょ。
そんなこともあるかもね。

水素と水素と酸素がいて、
水素が1人手を差し出さないだけで、
水は成立しないのだよ。




Oh Lord, won't you buy me a Mercedes Benz ?

2007-10-01 10:42:54 | diary
メルセデスベンツは高級車です。

では、なぜメルセデスベンツは高級車だといえるのでしょう?

メルセデスベンツより高い車はたくさんあります。
「ベントレーのが高くね?」
じゃあメルセデスベンツは高級車ではないのでしょうか?

メルセデスベンツより速い車もたくさんあります。
「フェラーリのが速くね?」
やっぱりメルセデスベンツは高級車ではないのでしょうか?

もしくは盲目的に「メルセデスベンツ=高級車の代名詞」だからでしょうか?

僕らはもちろんメルセデスベンツより高い車も速い車も知っています。
逆にメルセデスベンツより安い車もそれ以上に知っています。
だから、メルセデスベンツは高級車だといえるのです。

メルセデスベンツを選ぶのには人それぞれ色んな理由があります。
「メルセデスベンツ=高級車の代名詞」で選ぶ人もいれば、
「人に自慢したい」という意味で選ぶ人もいるでしょう。
はたまた「スリーポインテッドってかっこよくね?」という人もいれば、
「安全性高いらしいっすよ」って選ぶ人もいる。
でも、どんな選び方をしようが、
「メルセデスベンツ=高級車」は決して崩れません。

「ベンツ?街乗りにゃでかすぎだろ」
「みんな乗っててダセー」
「あたし、もっとかわいい車のが好きだしぃ」
「キャンプ場にベンツ?おめでてーな」
「ベンツで峠攻めらんねーだろ」
といった理由でベンツを選ばない人たちもいます。
それでも「メルセデスベンツ=高級車」は決して崩れません。

逆にメルセデスベンツしか車を知らなければ、
メルセデスベンツが高級車かどうかはわからない。

メルセデスベンツの本質を知るには、
酸いも甘いも知ってこそ。

自分がどれだけのことを知っていて、
より知りたいと望むのか。

「とりあえずベンツ知ってるし高級車はこんなもんでいいだろ」
「俺はベンツ知ってる、よって高級車は知り尽くした」
これでは確実に視野は広がらないね。