超絶なるまでのアコースティックな欲求を邪魔する安っぽい金色のブロンズ。
賛美なフォスフォアの響きには遠く及ばない。
整備された空間にて初めて発揮されるノートは、
集まり列を成し、そして自由気ままに流れ出すはずなのに。
ひとたび触れれば、それはさながら使い忘れられた井戸のような音を出す。
しかし、それでも環境が彼を丸くする。
人が若いときは尖っているのと同じかもしれない。
しかし、人ほど長くは無い人生で、彼が輝くのは一瞬の出来事。
1970年代から来た21世紀生まれの彼らは、
さながら特権階級であるかのごとく立ち居振る舞いをするが、
それは常に下々の者へのわけ隔てない思いやりである。
アプローチの違いはあれど、解雇主義であることも否めない。
遠く山間にこだまする雷の音も、
川のせせらぎを乗せて走る笹舟も、
はたまた、工場でひとつのずれもなく動く機械も、
それは全てが意味を成しているのだ。
川の水が枯れ果て、田畑が痩せ細り、
食物が尽き、屍累々となっているのだ。
水脈を探そう。
小さな芽を摘む前に。