努力について否定的なコメントをしたバレエ・ダンサーもいましたが、人間、易きに流されやすいもの。
そんな私からすると、努力できることは、まさに才能だと思います。
有名な話ではありますが、イチロー選手のバットは、ノッカー(守備練習でボールを打つ人のことです。)用くらいのすごい細さだそうです。
当然、スイートスポットも極端に狭い。
でも、バットの工場で、それを握った瞬間、これだ!と感じたそうです。
バットという道具が、自分の一部になるような感覚。
これで打てなかったら、問題は自分にある、と言っていました。
そんなバットで、日本最多安打記録をたたき出しました。
理詰めで選べばうまくいく、という訳でもなく、やはり感覚は大切だな、と思います。
そんな私からすると、努力できることは、まさに才能だと思います。
有名な話ではありますが、イチロー選手のバットは、ノッカー(守備練習でボールを打つ人のことです。)用くらいのすごい細さだそうです。
当然、スイートスポットも極端に狭い。
でも、バットの工場で、それを握った瞬間、これだ!と感じたそうです。
バットという道具が、自分の一部になるような感覚。
これで打てなかったら、問題は自分にある、と言っていました。
そんなバットで、日本最多安打記録をたたき出しました。
理詰めで選べばうまくいく、という訳でもなく、やはり感覚は大切だな、と思います。
“努力”という行為に対して、否定的な解釈をされるかたが
舞台の世界には、かならず存在しますよね。
ある意味、確かに舞台の世界はシビアです。
出来て当たり前。出来なきゃバカ。
「一生懸命、頑張りましたー!」は
決して“免罪符”には、なりません。
そんなことは、充分承知しています。
けど、学生時代から生粋の運動オンチで
身体能力や舞台人としてのセンス的な才能にも恵まれず
なおかつ、この世界に入ったとき既に
ダンサーとして高齢の域に達しており
この先どんなに鍛えても限界があることを承知で
“ダンス”を好きになってしまった自分には
“努力”という行為に頼る以外、術がなかったのです。
もしかすると、ずっと“ダンス”を
“好き”であり続けたことが
自分の、いちばんの“才能”なのかもしれません。
イチロー選手、素敵ですよね。
WBCのときは、批判的な声も多くきかれましたが
それで、あの大活躍ですから
並大抵の精神力で、ないでしょう。
自分はメンタル面が弱い人間なので
彼には見習いたいところが、たくさんあります。♪
舞台人としての才能があるかどうかも、やはり、踊りたいという思いがあって努力しなければ、埋もれたままになって、開花しないんじゃないでしょうか。
なんというか続けているうちに「気づき」みたいなものに出会う気がします。
どんなレベルで取り組むにしても、今の自分を乗り越える作業なのは、同じだと思うんですよね。
「好きこそ、ものの上手なれ」ですよ。
私事ではありますが、モダンダンスでは、チケットノルマもお金をいただく舞台がどういうものかも経験し、そしてショービズの独特な世界も垣間みました。
火事場の馬鹿力も出るのは出ますが、私には、とてもとても。。
ただ、踊りが好きなのだけは変わらなくて、自分ができるところまで、趣味とはちょっと違う自分なりの取り組み方で、本気の努力を続けようと思っています。(へんな言い方ですが。)