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「桂太郎:ニコポン宰相」

2013-02-04 17:01:33 | 日記




前回に続き、明治のお話です。

明治の諸事多難のおり、「ニコポン首相」と言われた傑物がおります。
ニコポンとは「ニコニコしながら相手の肩をポンと叩き、親しげにする
ことで人を懐柔したり、人に物を頼むという処世術の一つである」と言
われ、余り良い意味では使われないようですが、人をまとめ動かすリ
ーダーに取っては、大切な処世の術と思えます。「人たらし」と言われ
ながらも天下を掌握した太閤秀吉を見れば、良く理解できましょう。
ニコポン首相とは 「桂 太郎」その人で、早速wikiを見れば、

『桂 太郎(かつら たろう)。1848年(弘化4年)~1913年(大正2年)
は、日本の武士、陸軍軍人、政治家、元老。
階級は陸軍大将(元帥贈号の内示を固辞)。位階は従一位。
勲等は大勲位。功級は功三級。爵位は公爵。
台湾総督(第2代)、陸軍大臣(第10・11・12・13代)、内閣総理大
臣(第11・13・15代)、内務大臣(第22代)、文部大臣(第23代)、
大蔵大臣(第13代)、貴族院議員、内大臣、外務大臣(第25代)な
どを歴任した。
長州藩士であり、戊辰戦争に参加し、明治維新後、ドイツへ留学。
帰国後は山縣有朋の下で軍制を学んで陸軍次官、第3師団長、台
湾総督を歴任した後、第3次伊藤内閣・第1次大隈内閣・第2次山縣
内閣・第4次伊藤内閣で陸軍大臣をつとめた。
1901年(明治34年)、首相に就任。日英同盟を締結し、日露戦争で
日本を勝利に導いた。
西園寺公望と交代で首相を務め「桂園時代」と呼ばれ、総理在職日数
2886日は佐藤栄作を凌ぎ、歴代1位』・・・
とあり、勲等・名誉・位階・官職を総ナメです。

何と言っても、日英同盟締結(あの、7つの海に君臨した世界に冠たる
大英帝国が、唯一、対等な同盟を結んだのが、この日英同盟)と、ボロ
ボロになりながらも、日露戦争を勝利に導いたのが最大の功績です。
元勲・山縣有朋に匹敵します(東京の椿山荘は山縣の別邸)。

桂ほどの人物なら、親友もさぞや多いことでしょう。
そのウチの一人を、私は明確に指摘できます。
その名は、「キ・ワ・キ リョウ」で「木脇 良」と申します。
そうです。木脇の一員です(笑) 
薩摩(木脇)と長州(桂)は本来、仲が悪いのですが、にもかかわらず、
何ゆえ親友関係になり得たのか、と申せば、その鍵はプロシア(ドイツ)
に有るのです。

 (以下、続きは後日に)