goo blog サービス終了のお知らせ 

Real Reality in a Dream

「夢の中のリアルな現実」?? …その肌感を求めて彷徨う日々の記録

不在と、存在の不在と。

2007-05-09 00:26:32 |  -brand new love
「孤独」とは、ただひとりでいる時に感じるものではないのかもしれない。
単なる「不在」は、なんらかの存在を意識することがない以上はごく当たり前のことで、自分自身はそもそもどこまで行ってもいつもひとりでしかないのだから、「孤独」を感じさせるものとは明らかに違う。
・・・「孤独」???
いや、むしろ、ここで言っているのは「寂しさ」のことか。

「存在しているはずのものがいないこと」を「存在の不在」と呼ぶとすれば、「寂しさ」を感じさせるものの元凶は、まさにそれだ。

長く一緒にいる時間がそれなりにあったりすることの弊害。
・・・逢えない時間が、一日でもむしろツラくなる。
物理的な距離がそれなりに近いことの弊害。
・・・話せない時間が、数時間でもむしろツラくなる。

こんなことを感じている状態はつまり、「ふたりの距離感」というものへの正常な感覚を僕が見失っているということ。
あるいは、それに伴う「離れていても繋がっていることへの確信」が持てないことの不安。
・・・そんな「冷静さの欠落」が今の実態、かな???

これまでのように「信じることができる」というのは物理的・時間的な距離を超えて大事なことで、それはもちろん多大なる時間の積み重ねと、コミュニケーションの賜物なわけだが、しかし、物理的・時間的な距離が近くても簡単には「信じることができない」というのは、こんなにも「寂しい」ものだったのか。(ただ単に、「まだ何も知らなさ過ぎる」というのも、もちろん、ある。)

・・・まぁ、もはや盲目的に信じ込むことができるほど子どもではない以上、それは当たり前のことだ。でも、むしろ、「だからこそ信じることができる」という大人に、ならなきゃいけないね。

でも、自分の中にまだ、なんというか関係に於いて"Give&Take"を欲する程度の「若さ(?)」が残っていることに、自身でもちょっとビックリするなぁ・・・。
そもそも、この、どうも自分が感じているらしい「寂しさ」に、ちょっと驚いてしまう。

結局、端的に言えば、彼女も何日か前に言っていたような、一緒にいる時間とそうでない時間の「ギャップのツラさ」ということなんだろうけれど。
・・・要はまだそういうのに慣れない、ということなんだろう。うん。そうだということにしよう。


最新の画像もっと見る