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Real Reality in a Dream

「夢の中のリアルな現実」?? …その肌感を求めて彷徨う日々の記録

前を、向く

2007-01-30 01:44:00 | feel
前を、向く。
心を、開く。
周囲を、見渡す。

ほら、そこは新しい世界。

守るために造った殻を、抜け出せ。
惰性から来る習慣を、壊せ。

振り向かなくても、大丈夫。
後ろにはあなたが、いる。

5 Hours

2007-01-29 09:00:06 | love
我ながらよくもまぁ、5時間も話が出来るものだ。
なんだか尽きることのない話が次から次へと湧いてきて、いつのまにか、明け方を迎えていた深夜の電話。

「やんちゃな娘が学校で悪さをして、先生に呼び出された」なんて話から始まって、娘の話、京都の店のママの近況の話や、「将来海外で暮らす」なんて前から言っていた計画の話、そして相も変わらず思わせぶりなここ数年間のどん底の話、そして懐かしみながら振り返る一緒に生きていた遠い過去の話・・・等々、あなたはひたすら喋り続けた。

年月の経過の速さというのは本当に恐ろしいもので、そしてもちろんもう戻れはしないのだけれど、だがしかし、いま得られるこの安心感と柔らかな時間は、きっとふたりに流れたこの永い時間の経過の賜物なのだろう。

・・・あなたはつい口にする。
「こうやってまた甘えてしまっていること」への負い目を。
・・・あなたは敢えて口にする。
昔から言っていた、娘とふたり海外に移住して暮らしたいという計画を。
そして、そのために娘は日本語よりむしろ英語のほうが得意なくらいに育っていて、自分もまた、ずっと英語のレッスンを続けていることを。
・・・そして、あなたは言う。
「あなたには、幸せになって欲しいのだ」と。

時間をかけて、心を決めて、揺るがないことへの自信を身につけ始めたからこそ、いま、あなたはあの頃の優しさと強さを、いま正真正銘のものに、したんだろうね。

まるで母親のように、「僕の結婚を、心待ちにしている」とあなたは言う。
「忙しくて電話なんか出てる暇はないよ」と言ってくれた方が、どれだけ気が休まることか、とあなたは言う。
「あなたを好きな誰かは、こうして私と話していることがきっと嫌で、耐えられないハズだから、やっぱり電話するべきじゃないね」とあなたは言う。

・・・そうだね。きっとその通り。
「もう一度、やり直す」という選択肢は、選ぶべき道ではないという確信が、あなたを突き動かしているのだろう。
あなたは随分と先回りして、僕のことを僕以上に、理解しているんだろうね。

そう。きっと、あなたが、正しい。
「どうせ周りをちゃんと見ていないでしょう??」とあなたは笑う。
僕はきっと「片方の目を瞑って歩くくらいが、ちょうどいいんだ」とあなたは諭す。

見渡せてしまうこと、見えてしまうもの、そんなものがあったとしても、目を瞑ればいいじゃない、とあなたはいう。
昔と比べて随分と丸くなったと思うけれど、それだけの大きな優しさと余裕を身につけたら、もっともっと良くなるよ、とあなたはいう。

早く、そうなった僕を見てみたい、と。

・・・また、置いていかれたのかも、知れないね。
結局僕は、そういう意味では、いつまで経っても、あなたに追いつけていない。

不思議と、あなたの弱さも充分に知っているからこそ余計に、その強さは、尊重しなければいけないのだと、汚してはいけないのだと、素直に、思った。

・・・たぶん、そういうことなんだと、思う。たぶん。

time will tell

2007-01-27 02:12:27 |  -another love
時間の経過が教えてくれたこと。
それは、出逢いはいつも突然で、ふたりの(精神的な意味での)距離感はそもそも、時間を掛けることによって縮まったりするようなものではないということ。つまり、その人との(精神的な意味での)距離感は、実は逢った瞬間に決まっているのだということ。

それを「運命」と呼びたいのならそう呼べばよい。

だからたぶん、ゆっくりと(精神的な意味での)距離を縮めていくなんてコトは、本当の意味では起こりえないのだ。

直感は、正しい。それは僕の中で確信に変わりつつある。

・・・しかし、そのことが、時間の経過によってやっとわかるというこのパラドックスもまた、面白いものだ。

そう、往々にして後から気付くのだ。
「あれが、その、出逢いだったのか」と。・・・気付いたときには、彼女はもう、そこにはいない。(物理的な意味での)距離を、もはや縮める術はない。

またやってきた忙殺されるのみの日々を過ごす麻痺した頭の中で、ボンヤリとそんなことを、思った。

Lesson 14

2007-01-26 23:00:30 |  -English training
少しは上達しているのかなぁ・・・。
とりあえず、英語での会話上で「言われていることがわからない」ってコトはほとんどなくなってきたけれど。

でも、やっぱりいろんなことを表現するのはまだまだ苦手です。そもそも必要な「語彙力」が足りなすぎるんだろうとは思いつつ。

まぁでも、仕事の隙間を縫いつつ少しでも英語に触れておくというのは、とりあえず悪いことではないだろう。どうせならもうちょっとちゃんと時間作って勉強しないともったいないんだけど・・・。

休息

2007-01-24 23:24:39 | weblog
突然休みたくなって、今日は突発的にちょっと休日的な過ごし方をしてみました。まぁ、午前中はもともと仕事できるような状況ではなかったのですが。・・・二日酔いで。
でも、半日くらいはゆったりと過ごしてみたり。
・・・結局夕方以降はちょっと仕事をしてしまいましたが。

突然ですが、若槻千夏ブログ『マーボー豆腐は飲み物です』(タイトルがまた微妙に目を惹く)が始まったようです。なんだか面白いってことで話題になっているようで。ブックマークにも追加しておきます。

デーモン閣下のカバーアルバム(※)も早速聴きました。いや、これもまたイイ!!!
goo Musicの中に特集ページが。
過去記事参照

さて、じゃあまた明日から、諦めて働きますか。

生きてるんだなぁ・・・

2007-01-23 02:24:37 | feel
ちょっとくどいかも知れないけど、またまた中村中の話です。

ブログがほとんど毎日更新されているのを読んだりしつつ、「あぁ、この同じ時間に藻掻きながら生きている人がここにいる!!!」ということを感じて、少し安心したりしている自分がいます。

まぁ、当たり前のことなんだけれど、あらゆる人に同じだけの時間が流れていて、誰もが同じ1日24時間を過ごしている、と。
その遣い方は人それぞれだけれど、しかし、誰かが1日48時間を持っていて、誰かが1日12時間しか持っていないという類いの不公平は、そこには全くないわけで。

そんなことを考えると、ついつい、「オレももうひと踏ん張りしなきゃ」と思ってしまいます。
実際のところ最近はちょっと疲れていて、正直あまり前には進みたくない(あるいは、走りたくない)という感じはしているのだけれど、しかしまぁ、そういうわけにもいかないわけで。

・・・足掻きながら、藻掻きながら、また明日を進んでいきましょう。

泥酔

2007-01-20 00:10:32 | night
飲んでいて気付いたときにはもう既に酔っ払い、明け方下手したら記憶がない・・・なんてことは、これまでの人生でほとんどなかったはずなのに。
・・・どうも近頃、頻発している感がある。「二日酔い」的なダルさや頭痛なんかに悩まされることも増えてきたし・・・どうも、おかしい。

弱くなったというのも、たぶん疲れているというのも、そういうこと含めて、年齢・・・というのもあるのかもしれないけれど、それにしても、これは、ある程度その衰えを認めて、ちゃんと修正していかないとマズいかも。

・・・いつまでも昔のまま無茶し続けるのも、限界、ということだろう。まぁ、そりゃそうだ。

Lesson 13

2007-01-19 23:59:51 |  -English training
仕事上での役割分担の打ち合わせをする・・・みたいなロールプレイ。
なんとなく「慣れ」で適当になってきている感もあるけれども、しかしまぁ、苦手意識みたいなモノが基本的には払拭されているとすれば、それはたぶん良いことだろう。

とはいえ、そろそろ次のTOEICのこととか、考えなきゃいけないなぁ、たぶん。

安心感みたいなもの

2007-01-18 00:28:49 | love
子どもとの日常の話なんかを、笑いながら愚痴ったりしている彼女がいる。
そして、僕も、それを聞いて、笑っている。
仕事のスケジュールの話なんかを、笑いながら愚痴ったりしている僕がいる。
そして、彼女も、それを聞いて、笑っている。

ふたりのあいだに流れるのは、もはや特別な時間ではない。
どこまでも、日常。

子どもとの時間と切り離されたところで彼女が自分の居場所を探していたあの頃には、そんなことはありえなかった。
子どもの話を自分からしだすなんてコトは、考えられなかった。
逢う時間をつくることが何よりも大切だったあの頃には、そんなことはありえなかった。
どんなに忙しいかなんて、話しても意味のないことだったから。

いまやそこには安心感のようなものがあり、そして、この距離感は「友達」と呼ばれるところのものなのだろうか???
あるいは、「夫婦」と呼ばれるところのもの???

なんだかよくわからなくなってきているけれども、とりあえず、おやすみ。
また今度。

痛みが他人(ひと)を癒す

2007-01-16 01:41:27 | feel
不思議だね。
苦しんで苦しんで苦しみ抜いた人の詞(ことば)が、人を癒す。

誰かを助けようなんて、思ってもいないし、そんなことを意図したって、誰かの助けになんかならない。

だけど、その必死に生きる姿が、どこかで誰かの助けになっているということは、たぶん、あり得る。
・・・例えば僕の。

痛みを見せあい、傷を舐めあうのとは、違うよ。

でも、そうやって自分が誰かの助けになっていることがわかったとしても、たぶんその人自身の癒しにはならないのだろう。
深い苦しみを、癒えない傷を負った彼女への救いは、いつかどこかから、誰かから、差しのべられるのだろうか。