Real Reality in a Dream

「夢の中のリアルな現実」?? …その肌感を求めて彷徨う日々の記録

The first chance is the last chance.

2007-07-07 03:17:09 | think
And, always we don't have a second [another] chance.

「タイミング」というのは、全てに於いて最も重要なものかも知れない。
適切な機会を逃すと、その先には何をしようともそれが無駄な努力となったりする、そういうことは、実際に多々、ある。

ある意味、最初のチャンスが、一度きりの最後のチャンスであり、そのタイミングに於いて為し得なかったコトへの2ndトライ・3rdトライは、存在しない。
・・・そう思って生きた方が、より、僕らの人生の実態に近いという気がする。

「後悔先に立たず」とは良く云ったもので、最初のワンチャンスを、如何に捉えるか・・・それが全てなのだ!!くらいの覚悟で、日々生きていく際の感覚を研ぎ澄まし、当たっていかなければ、だね。

でも、難しいんだよなぁ、一球目のストライクから打ちにいくのって。。。
(・・・しかし、人生に於いては、往々にして二球目は、来ないのだ。)

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今日は、七夕。
空を見上げれば、一年に一度、晴れれば逢える、ふたり。

それはそうと、07年07月07日と「777」のこの日、これ以上ないラッキーなこの日に、幸せじゃないとしたら、おかしいよねぇ・・・。

回顧

2007-06-27 00:21:58 | think
振り返ってみると、ずいぶんといろいろなことを、僕はここに書き綴ってきた。
そこには波もあるし、そしてまったく変わらないスタンスも、あるだろう。
でも、いずれにせよ、これだけの量の日常の出来事と僕の思索と、そして想いを書き綴ってきたこの全てを、ひとつずつプロットしていけば、なんとなく、たぶん「僕自身というものに限りなく近いもの」が描き出されてくるのかも知れない。

もちろん、ここには書いていないこともたくさんある。
基本的には、自分に正直に書いてきたから、そこに嘘はないのだけれど、それは確かなのだけれど、それでも、美化している部分があったり、敢えて口を閉ざしている汚い部分があったりすることは、否めない。

でも、それらを含めても、ここにいるのは紛れもなく僕なんだろうなぁ・・・と、いくつかの過去記事を読みかえしてみて、思った。

もはや様々な自分の書いたことが相対化されつつあるだけの時間も経過しているし、読みかえしたときに新たな発見があるくらい、僕から離れた場所に置かれているコトバ達・・・という感じでもあり、そういう意味では、必ずしも「今の僕」がここにいるわけではないだろう。

でも、振り返ると「確かにそう感じていた」とか、「確かにそう想っていた」とかいう類のことばかりだから、そういうルートを辿って今ここに来たのだ、とは、間違いなくいえると思う。

・・・それにしても。また、同じことを繰り返そうとしているような気もするし、もはやそれは「性(さが)」と呼ぶしかないような僕の志向性(嗜好性)なのかもしれないけれど、とにもかくにも、そうやって生きることで前に進めるのならば、あるいは、そうやって生きることで高く跳べるのならば、そうするしかないんだろうと思う。

リアルな現実のリアリティが僕に与える衝撃を、感じ続けていくために。あるいは、麻痺し続ける日々の生活の中で、痛みを、歓びを、僕を突き動かす何かを、得続けていくために。

まぁ、僕にとって「生きる」ってのはそういうことだもんね、たぶん。


・・・おやすみ。また明日。

forgive and forget

2007-06-09 03:45:02 | think
人のコトを赦せるかどうかは、たぶん、自分が持つ精神的余裕と、幅と、そして、そういうものに裏打ちされた優しさだろう。あるいは、それはいわば「強さ」なんだと言い換えても良い。若い頃には、たぶん、それが出来ない。自分自身が生き抜くことで精一杯ならば、なおさら、そうだ。

あるいは、あなたのいうところの「女の子」は、赦されていることを当たり前だと思っている。もしくは、それが赦されているということだということにすら、気付いていない。
それは確かに、あなたのいうとおり、いつか自分で気付く日が来るのかもしれないし、人によっては、来ないのかもしれない。
それは自分で気付く以外に手だてがないような気もするし、もしかしたら、「あの時彼が言っていたのはそういうことだったのか」ということに、言われ続けていたからこそ、後で気付けるのかもしれない。

・・・あなたは、どうだった?

いずれにせよ、そういう無茶苦茶な若い時期を過ごしてきた人間だからこそ、ある程度の年齢になったときに(それは20代後半、あるいは30代か)、より、まっとうな、優しくそして強い人間に、なれるという部分は、否めないのだろうし、だとすれば、その通過儀礼のような時代の只中にいる若い子達を、見守ってあげること、包んであげることが出来るように、可能であるならばなりたいものだ。

あなたと僕との関係は、そうした時代をふたりで一緒に通り抜けたからこその、今やなんとも心地の良い、関係。
でもそれは、お互いをボロボロに傷つけあいながら過ごした、あの永い時間の賜物であり、そして、それはその苦しみと重たさ故に、誰も彼もと築き上げることができるような簡単な関係では、ない。

そしてまた、いま、この新しい人々との関係の中で、その学びを元に自分自身で再びそれ(=赦すこと)が出来るようになったのかと、自問してみる。
確かに、あなたと一緒にいたあの頃には、明らかにそれが出来なかった。それはとてもよく、憶えている。若かったし、理解できなかったし、そして、あなたがとにかく許せなかったから。その感情は、思い出すだけでも苦しくなる、とても、激しい感情だった。怒りに近いような。というかむしろ、怒りそのもののような。

・・・さあ、翻って、どうだろう?

ある部分、出来ていて、ある部分、出来ていない。
ある時は、出来ていて、ある時は、出来ていない。
それが実態だろうか。

それはさておき。

不思議だなぁ、やっぱり、彼女が気になる。もともとはそれほど興味がなかったハズなのに、そして、おそらく、僕が正面から向き合おうとすることは、むしろ逆効果になることは、少しずつアタマでは理解し始めているのに。
気分屋さんで、束縛とお説教が大嫌いで、「目指せ自由人」で、そして、たぶん、人の為に自分を曲げたり、めんどくさいことはしたくないワガママさん・・・だもんね。

でもね。

Please forgive me.
I can't stop lovin' you.

赦す、だから、赦される。忘れる、だから、忘れられなくなる。
まだまだ、僕自身も、本当の優しさを獲得できるまでの強さを、身につけられていないってコトだね。

・・・いや、そもそも、自分自身が、赦されたがっている?

結局のところ、あらゆることは「関係性」の中で規定される。僕が誰に対してどの立場でどういう態度が取れるか、それも全て、「相手次第」だったりは、するんだろうね。たぶん。(・・・いや、それこそが甘えであり、僕の甘さか。)

Secret

2007-04-13 01:28:05 | think
墓場まで持っていく秘密が、またひとつ。
・・・そうやって自分の中に抱え込んでいかなければならない痛みや重みが増えていくということ、これが、すなわち大人になるということなのかもしれない。

その苦しみをちゃんと自ら引き受けるということ。
・・・そうだね、しょうがない。生きていくというのは、そもそもそういうことなのだろうから。

an essential lack of something

2007-03-26 01:16:39 | think
とある決定的な「欠落」が、おそらくそこにはあり、しかもそれは、きっととても自然で、ごくごく普通なハズのモノの大いなる「欠落」だ。

これは、自分自身のことでもあり、そして、おそらく、自分が惹かれていく人・モノ・出来事のことでもある。

時にはそれは、「常識の欠落」というカタチをとって現れる。
良い意味では、それは非凡な才能であり、そして悪い意味では、それは非常識でどうしようもない反社会的な行動だ。

時にはそれは、「愛情の欠落」というカタチをとって現れる。
・・・愛情の欠落???
あるいはこれは、一般的には愛情(感情)故の行動と思われている行動が、むしろその逆をいっているような、そういう意味での「lack of something」か???
そういう意味では、これは「空白」とか「虚無」とかと言い換えることが出来るようなものかもしれない。

・・・「普通」ってなんだろう???
そんな青臭い問いを発している時点で、もはや自らが「普通じゃない」と言いたげな虚栄心が見え隠れするが、しかし何故かそれを「嗅ぎ分けてしまう」その感覚は、いったいどこからやってくるものなのだろうか???
(・・・往々にして、それはいつも「お互い様」なのだが。)

不思議だね。・・・そしてまた登場するWordはこれだ。
・・・「螺旋階段」。
いったいどこまで同じことを続けるのだろう。
ここでも、ここでも、ここでも。

そして、そのスピードは、ますます、増していく。
その中で、自己が溶解していく・・・。そういうことなのだろうか???

・・・その先には、何がある???

そしてまたやってきたMy Birthday。
また新しい一年が始まり、いよいよ深みを増していくこの暗闇の中で、光を求めて彷徨う。
・・・「光を求めて」???
本当に光を探しているのかどうか、あやしいものだ。
いや、あるいは、逆に、「探していない」という状態、それがむしろ正しい道なのか。

救われようとなんか、していない。
・・・そのコトバが強がりのうちは、実際は救われようとしているが故に、どこまで行っても救われない。

強がってなんかいない。
・・・そんなことを意識している時点で、充分強がっている。

それにしても・・・「欠落」というワードでこのブログの過去記事を検索してみると・・・やはり、そうか。前にも、似たようなことを、書いているね。ここでも、ここでも。


・・・Happy Birthday to Me. まぁ、ボチボチ、いこか。

信じることの意味

2007-01-14 13:04:52 | think
「様々な外側から入ってくる情報には、左右されるべきではない」と考えて生きてきた。誰がどう言おうと、自分が見てきたその人の姿、聴いてきたその人の話、その人といて感じてきたこと・・・それらだけを、信じればよい。
むろんそれは時には、「騙されることの意味」と同義だ。そのことはわかっている。
しかし、大事なのは、その人が僕に対して見せてきた姿は、少なくとも「僕に対してそう見て欲しいと願った姿」であり、また、僕がその人から感じ取ってきたものは、少なくとも「生身のその人から発せられていた空気を、<僕が>感じ取った」のだ。

つまり、「人を信じること」は「自分を信じること」と同義であり、そこには、「事実」と呼ばれるものとはまた位相の違う「真実」がある。

人は、あらゆる場面に於いて常に同じ人では、ない。
そして、例えば、物理的に24時間一緒にいたとしても、その人の全ては、そこだけにあるわけではない。

たまに揺らいで自信がなくなりそうになるけれど、でも、あらゆることを疑って生きることの不健康に比べたら、自分の判断力と感覚を信じて生きていくことの方が、自分にとってより意味があるだろう。

周囲の人間が鳴らす雑音には揺るがないこと。それがつまり信じることだが、一方で、宗教的なものを盲信するのとは、確実に一線を引いておく必要があろう。
拠りどころとすべきなのは、自分の勘と経験と、そして何よりも、感覚。

・・・That's the game of life, isn't it?

まぁ、女の子はいつも、往々にして嘘つきだけどね。でもそれは別に、悪いコトじゃない。

懺悔(その2)

2007-01-11 00:37:55 | think
記事が増えていくに連れ、何処かで一度使ったような気がするタイトルで書き始めてしまうような時が、近頃はつい、ある。
例えば、「懺悔」。(その1はコチラ。)

・・・何をそんなに懺悔しなければならないのかよくわからないが、しかしまぁ、思ったこと・考えたことは綴っておこう。

とにもかくにも、好むと好まざるに関わらず、人に影響を及ぼしてしまう立場なのだ。仕事でも、プライベートでも、それは変わらない。
いや、立場の問題だけではないかも知れない。そもそも、生きていくということは、人と関わり合っていくことである以上、人に影響が及ぶのだ。
だからこそ、相手よりも強い立場に置かれてしまっている状況下では、傲慢であってはいけない。
強い立場・・・仕事上の立場であれ、年齢であれ、性別であれ、あるいは知識であれ経験であれ、さらには財力であれ。

「これ以上人を傷付けたくない」と、大学に入りたての頃に、昔を振り返って思った。そして、人との深い接点を、極力排除しようとしたような時期もあった。

むろん、深く立ち入らず、また、深く立ち入らせないようにしていけば、そうしたリスクは多少は軽減されるのかも知れない。
しかし、それではきっと、生きていることにならない・・・と当時の僕も感じたのだろう。

だからこそ、言いたいことは言い、多少余計なくらいにちゃんとコミットする・・・という態度でやっていく。
でも、そんなときには特に、あまりにも上からモノを言って、ペシャンコにしてしまってはいけないのだ。
そこには常に真摯さが必要で、そして、同様に人から学ぶべきコトがたくさんあるということを、肝に銘じておく必要がある。

What for ?

2007-01-08 13:12:18 | think
「何故、どうして、何のために?」という例の問いが再燃するとき。
それは、やはりどこか自分を見失っているというか、あるいは、いわば踊り場的な場所に自分がいるということを、示しているのだろう。

「何のために」と問われたときに、人に対して話せる答えが出せている状況というのは、必ずしも健全なことではない。例えば「彼女のために」「子どものために」「仲間のために」「プライドのために」「お金のために」。それらの答えは、全て本当の意味での答えではない。その答えはいつも、どこかで無理をしていることを自覚しながらか、あるいは自分をも騙しているかはさておき、常に、胡散臭さを放っているから。

何度も言うように、「何のために」なんて「考えちゃいない」というのが、その問いに対する唯一の正解なのだ。
ただ、ただただ強がって僕がその正解を口にしようとするとき、そこには更なる欺瞞がある。

・・・「弱さ」だなぁ・・・。

original intention

2006-12-11 01:06:43 | think
・・・<初心>って、何だっけ???
そうそう、そういえば、あの頃考えていたように、「様々な人達が明日の現実に帰っていくためのチカラと成り得るような場所・体験を提供している人間で、常に、ありたい。」ということ、それをいま、本当に僕は憶えているのだろうか。

初心忘るべからず。
何のために裏方をやっているのか、それは常にアタマの片隅に残しておかないと、あの頃僕の周りで僕に期待してくれていた人達に、笑われちゃうね。

その一度の体験が、その後のその人の人生を変えていくということ、その一度の体験に支えられて、その人がその後の人生を歩んでいけるということ・・・。
そういうことが、本当に起こるということを、信じられるし、実際にそれを見てきたからこそ、それを創り出せる人間になることを、目指したハズだったよね。

・・・思いださなきゃ。

ペースを取り戻せ

2006-11-29 00:58:43 | think
日々に追われると感じるのは、本来、良いことではない。
自らが走り出したはずなのに、いつの間にか、何かに追い掛けられているように感じ、それを振り切るように、さらにまた走る。
でも本当は、別に、何かに追い掛けられているわけではない。
自分に課した枷に、いつのまにかただ雁字搦めになっているだけだ。

もう一度、思い出せ。
走り出したのは、自分なのだ。自分が、走っているだけなのだ。

だから、別に休んでも良い。止まっても良いし、別の方向に向きを変えたっていいのだ。

・・・そう思えば、少し気が楽になるのでは???

ペースを、取り戻せ。自分で、コントロールできるのだから。